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第16話

「私が足手まといになっているばっかりに、おふたりともゆっくりお時間とれなくて本当に申し訳ないです。春臣くんにもまだいろいろ面倒みてもらっていますし……」 「気にするな」  神野にこんなことまで云わせて、春臣はなにをしたいんだ。呆れた篠山は自宅に帰る春臣を、久しぶりに玄関まで送りにでることにした。 「おい、春臣。お前なんか企んでいるだろう?」 「企むって?」  春臣がにやりと笑ってみせたので、「すでにその顔が証明しているじゃないか」と額を小突いてやる。 「いい加減にしておけよ。あいつを困惑させるな。今度はうっかり東尋坊(とうじんぼう)にでも行ったらどうするよ?」 「大丈夫、大丈夫。俺がちゃんとついているもん。そんなところには行かせないよ」 「だったら――」 「なにも企んでいませーん。ただ俺が祐樹のこと、気にいってるってだけだよ。じゃ、匡彦さんおやすみ」  靴を履いた春臣が首に腕をまわしてくる。そのまま意外に力のある彼は、自分を引き寄せてうちゅっ、とふざけたキスをしてきた。 「こらぁ……、おちょくるな」  溜息を吐きながらおもむろにひき離すと、ドアを開けた春臣はぺろっと舌をだして「じゃあね」と悪戯に笑い帰っていった。 「まったく、アイツは……」                     *  暇があると余計なことを考えてしまうのは、誰しもおなじだ。  じつは神野だけではなく、篠山もここ数日、うだうだと詮無(せんな)いことを考えてはたばこの本数を増やしていた。  近藤の結婚が決まったのだ。  篠山は確かに学生時代から近藤に好意を寄せていたが、ノンケの彼とどうこうなるつもりなんてまったくなかったのだ。彼のことを好きなのかもしれないと気づいたときには、彼はすでに自分の中で友だちとしての価値が大きくなっていた。  だからいっときの満足のために、彼と拗れて疎遠になってしまうのだけは避けることにした。結果、篠山は自分の気持ちを告げることはしないで、彼とは友だちのままでいることを選んだのだ。そしてそれは正解だったと思っている。  あの時とかわらず近藤はいまも自分の親友のポジションにいて、プライベートでも仕事でも、学生時代以上のいいつきあいをつづけられている。  だから篠山は、あの時の自分の選択に間違いはなかったのだと自負してきた。  それなのに今回、彼の結婚話に思いのほか気鬱になった篠山は、そのことですっかり滅入ってしまった。つまりショックを受けたことがショックということで。 (まさかあいつに未練があっただなんて、気づきもしなかった)  胸の真ん中に大きな穴が開いたような感覚がしている。近くに居てあたりまえだった存在を、するっと横取りされて悔しいような気持ちもある。  友人はいつまでたっても友人だ。嫁とは立ち位置が違うので、奪うも奪われるもない。すべては勘違いなのだと、――そう自分自身に云い聞かせているのだが、自分に未熟なところがあった所以(ゆえん)のその行為自体が、篠山には情けなかった。 (俺もまだまだガキだった……)  眉間にぐっと皺を寄せ、はぁぁと大きく紫煙を吐く。  ここまで人生を歩んでくるまでの、どの時点でどうしていたら、いま自分がこんな気分に陥ったりせずにすんでいたというのだろうか。 (いっそ学生のうちに一度すっぱりフラれておいて、一晩中泣くでもしていたら、すっきりとこの日を迎えられていたのか?)  先日三日も泣きあかした神野は、それで病んでいた体内物をすべて押し流してしまったらしい。肉体的な疲労はまだ残っているようだし、胃が小さくなってしまっていて食べる量も少ない彼は、まだまだ身体つきも貧相だったが、目には光がしっかり宿るようになっていた。  泣くことに効果があるのならば、学生時代に自分もどうにかして泣いておけばよかったのかと、くだらないことを考えてみる。かといって、じゃあ今泣けばいいじゃないか、いうわけにもいかない。なにしろ篠山には、近藤にたいして熱い情動が一切湧いていないのだから。  わかりやすいくらいの失恋だったのならば、嘆くなりして誰かに可哀そうだと云って慰めてもらえばいいのかもしれない。しかしいまの気持ちは、どうやら失恋とも違う。まったく悲しくはないのだから。  なんにせよ、中途半端。すっきりしない。そしてそれが原因で、またむしゃくしゃする。 (せめてあいつの報告が、もう少しあとだったらよかったのに)  まもなく仕事の繁忙期にはいる。そしたらその忙しさで、こんなしょうもない気持ちになんて浸かっていなかったのだろう。暇がひとをダメにするのだ。篠山は咥えたたばこの最後のひとくちを吸いこむと、短くなったそれをぐいっと灰皿に押しつけた。 「んあぁっ」  大きく背中を反らせた神野のなかから、ペニスがずるりと抜けそうになる。篠山は逃がしてやるかと彼の股をぐいっと自分の腰へと引き寄せ、さらに結合を深くした。 「ふあぁあんっ!」  ずんと突くと、いきおい白声が部屋に響く。  絶頂感に身を投げようとする彼に、自分がついて行ってやればそのままうまく彼は昇りつめて果てを迎えることができたのだろう。しかし自分が意地悪な気持ちでそれを阻止したので、彼はまたもや終わらない快感の責め苦に引き戻されてしまったのだ。  それを示すように神野の眉間には深く皺が刻まれ、細い首はいやいやをするように振られた。 「あっ、あっ、あっ」  またしばらくはいいところを突いてやり、彼の鈴口がぱくぱくと開閉し粘液を垂れ流して、いい、いい、と訴えだすと、それを確認した篠山はまたわざとポイントをずらして、自分本位に強く腰を振った。さっきから、もうなんどもこの繰りかえしだ。  いつもとは違う焦らされてばかりのセックスで、彼はいままでセックス中では見せたことのない、辛そうな表情をしていた。  かわいそうに。求める言葉を知らない初心な彼は、素直に篠山に振りまわされるだけだ。 「ふぅっ……っ、んーっ」  肢体をもどかしそうにシーツに擦りつけ、無意識に篠山のカリを自分のいいところに当てようと身体を捩っている。その姿は煽情的でもあったが、なによりも篠山の加虐心をひどく満足させた。  自分の未熟さを痛感したこの夜、苛立つ神経のまま布団に潜りこんだ篠山は、さきに眠っていた彼の寝顔があまりにも幸せそうに見えたので、思わずその形のいい鼻を抓んでしまった。  くさくさしている自分とは反対に彼はここ数日、仕事もプライベートも絶好調なのだ。  実際に自分にたいしてもよく笑いかけるようになったし、口数がますます増えた。それは白浜から連れて帰ってきたときの、あのむっつりと黙りこんで昏い目をしていた男と、同一人物とは思い難いほどだ。  彼の得ているこの無防備な睡眠には自分の功もあるのだろうと、らしくもなく恩着せがましいことを考えてしまった篠山は、鼻を抓まれて「むぅ」ともがいた神野の、不愉快そうに眉間に寄った皺と歪められた唇を見つめながら、不健全な嗤いを唇にのせた。傲慢な気分を払拭しようとも思えず掛け布団を剥ぐと、すぅすぅ寝息をたてる彼へと手を伸ばして下だけを脱がせた。  それからもう一時間近くなる。篠山は無理やりに起こした神野をずっと自分勝手に扱い、彼を気持ちよくさせるだけさせておいて、そのくせまだ一回もイかさせないという非情な行為をつづけていたのだ。  容赦なく送りこむ律動に、細い身体がゆさゆさと揺れる。  「ああっ、……もっ、も……あぁあんっ」  息も絶え絶えに、痛い、しんどいと口にしはじめた彼から自身をひき抜くと、今度はうつ伏せにひっくり返す。せつなそうにひくつくそこに、すぐに自分のものを挿れなおした。ヌチャリと音をたてる穴に、めりめりとペニスを埋めていくと、背筋に快感が走り抜け思わず「くぅっ」と吐息が漏れる。神野が手繰ったシーツをぎゅうっと握りしめるのが目のはしに映った。  今夜、神野にはまだ射精させてやってなかったが、意外にも彼はドライオーガズムのほうで一度達している。一瞬しまったと臍を咬んだが、それでも自分の腕の中で新境地を迎えて恍惚となる存在に、溢れてくる愛しさはあったわけで。その時は絆されかけたのだ。

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