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第17話
しかし、それならばそのまま快感を追っていけそうなものを、神野はそれだけでは不服だったようで、やたらと首を振るとヒステリックにシーツを掻きだした。必死になって尻を擦りつけてくる彼に、こちらも苛立ち煽られる。
「……ぅううっ」
神野の呻く声は篠山の快感と嗜虐性をますます掻きたてていった。背中に覆いかぶさり彼の胸のまえに腕をまわすと、細い両手首を掴んでそれごと締めつけるように抱きしめる。左の耳のつけ根に噛みつくと、神野からはひっきりなしに高い声が上がった。篠山はそのまましばらくのあいだ、薄い耳たぶを食みながらながらその声を愉しんだ。
彼は耳を舐められるのも弱い。舐めしゃぶっているあいだ中、ひどく喘ぎながらずっと篠山のペニスを締めあげてくる。密着しすぎて腰が振れない体勢だったが、びくびくと動く彼の粘膜に包まれているだけで充分気持ちがよかった。
ただし神野にはこれも気に入らなかったようで、ベッドと篠山のあいだにはさまれた狭い空間の中でぐずって腰を悶えさせていた。
「ああ……ああ……、んあっ、痛っ、ん、」
次第に呼吸が浅くなりはじめた神野が、自分の体重を全部受け止めて息苦しくなっていることに気づき、篠山は彼を抱き起すと自分のあぐらのうえに座らせた。
「ひゃぁっ! ……なにっ? ……いやっ」
神野にははじめての体位だ。相当怖かったらしく彼は腹部にまわした腕を引っ掻いてきた。
「こらっ、暴れるな」
力ない弱々しい抵抗も、緩く腰を突き上げはじめた途端にすぐに治まる。ずん、ずん、と下から突き上げるたびに、どんどんおとなしくなっていった神野は「あん、あん」とちいさく喘ぎながらすぐに快感を追いはじめた。
「ふふっ。気持ちいいのな」
(かわいいな……)
どうせなら目のまえの白い肌に齧りつき、首をひねりあげて深く口づけ舌を絡めてしまいたい。しかしどれだけ乱暴にこの身体を扱ったとしても、それだけはしないでおく。
神野ははじめからセックスに弱かった。行きがかり上、ノンケの彼に手を出してしまったが、しかし彼をゲイの道に引っ張る気はさらさらない。
篠山は彼が男に抱かれる行為にのめり込まないように、いつかはまっとうに女性ともセックスができるようにと、いつも手加減していた。だからいままで神野とは情欲を押し留めながらのセックスしかしてきていない。
直接に繋がるところ以外は極力触れないように注意して、彼が新しい快感を知らずにすむように、常に気を配ってきたのだが――。
しかし神野のこの異様な感じかたを見ている限り、そううまくいかないのではないかと、最近では危惧している。
(そろそろ、こういうのもなしかな?)
「あっ……あっ、あっ……っ」
腰をくねらすも、慣れない背面座位でうまく悦楽を拾いきれないらしい。そろそろ本気で辛そうだ。さすがにもうおしまいにしてやろうと、思ったとき。
「⁉」
熱に浮かされたようになんども苦しげに首を振りながら呻いていた神野が、掴んでいた篠山の腕から手を離すと、その細い指を自分の性器に絡ませて緩く扱きはじめた。ヌチヌチと聞こえてくる粘っこい水音に、彼のなかに沈んだままのペニスがさらにぐっと張りつめた。
自慰しながら「あん、あん、」と気持ちよさそうに鳴きはじめたあられもない彼の姿に、堪らず射精してしまう。
「――くっ」
「やっ、ん、んんっ」
(しまった……)
大きな胴震いのあとの硬さを失った篠山のペニスに、神野は不満そうに身を揺すった。
さんざん焦らしたあげく、自分だけさきにイってしまっただなんて、さすがに勝手が過ぎるだろう。しゅんと冷えた頭で彼を一瞬ぎゅっと抱きしめ「悪い」とひとこと謝罪する。篠山は彼を横たわらせると、手ばやく避妊具をとり換えた。
そのあいだも虚ろな瞳で自身を扱きあげてつづけている卑猥な身体に、篠山の官能の灯は消えることはない。軽く扱くだけである程度復活したペニスをまた彼の中にさっさと挿入してやり、今度は焦らすことなく彼の好むところを擦こすってやった。
「ふあぁぁっ。あっ――、ああっ――……」
いつもと変わらない心地よいだけの交接を与えはじめると、彼は気持ちよさげによがり狂う。そうしてようやく叶った吐精のあとも、「もっともっと」と、口にして、腰を振って強請ってきた彼は、明けがたごろにやっと意識を飛ばして、ぐったりと動かなくなった。
眠る目じりは赤く染まり、長い睫毛には涙が絡まっている。意地悪がすぎたと頭を掻いたが、自分の横で疲弊して眠る姿に悪い気はしない。
一服しようかとたばこの箱に手を伸ばしたが、その隣にあった灰皿に転がる吸い殻が目にはいると、さすがに今日は吸いすぎかと、篠山は手にしたばかりの箱をそのままベッドサイドの上に戻した。
近藤のことでむしゃくしゃしていたはずだったが、気持ちはすでに凪いでいる。それが単なるセックス後の賢者タイムだからとは、思えなかった。
八つあたりのつもりで寝ていた神野を起こして無体を働いたのだが、――もしかして自分は彼に慰めを求めていたのだろうか。
そして彼の意図しないところで、自分がうまく慰められたのだとしたら……。
白い額に手を伸ばすと、彼の縺 れた前髪を指さきで梳 く。細い髪はすぐにさらさらと指から流れていった。
いらいらの根っこの感情は、悲しみや寂しさだと聞いたことがある。親友に見捨てられたとでも感じて傷ついていた心のどこかが、彼とのセックスに癒された。それもこの身体に癒されたのではなくて、このあどけない表情で眠っている神野自身にだ。
とっくに近藤への気持ちは熱い恋心なんかではないと割り切っていたのだが、今回こうも気持ちがぐらつくと実際はどうなのだと、篠山は猜疑心に囚われていた。しかし今夜、こうして彼を抱いてみると、それで不思議と自分の気持ちの再確認ができていた。
やはり間違いなく近藤への恋は終わっていたのだと――。
おもむろに彼の濡れた睫毛を拭うと、擽ったかったのだろうか。眠りを妨げられ「ううんっ」首を振って憤 った神野に、篠山は晴れた気持ちで薄く笑った。
*
ああああああああああ。
やってしまった。どうしよう。
午前中はヘミング加工が担当だった。大きな金属パネルを右へ左へとひっくり返しては、機械を使って加工を施した。
はたからは一見真面目に取り組んでいるように見えたかもしれないが、その実は昨夜の篠山との情交を思いだしては顔を赤く、今朝の春臣のまえでやらかした失態を思いだしては顔を蒼くと、ずっと赤くなったり蒼くなったりを繰り返していた。
幸いひとりでできる作業だったので、百面相をほかの社員に見咎められることなくいられたのだが、それでも念入りにマスクと必要のない溶接眼鏡で顔を隠して働いていた。
なにせ篠山にとんでもない醜態を曝したあげく、寝坊までしてしまったのだ。
そもそも昨夜のセックスは、はじまりが遅かったうえに時間も長かった。そのせいで寝過ごしたのだ。そうでなければ、朝はいつもちゃんとはやくに起きて、出勤のしたくどころか洗った洗濯物まで干して春臣を待っている。
ところが今朝、へとへとに疲れて篠山と絡まるように眠っていた神野は、春臣に腕を強く揺さぶられて、やっと目を覚ますことができたのだ。
しばらくのあいだ両手をついて上体を起こした状態で寝ぼけていた神野は、ふと覚醒すると羞恥に身体を真っ赤に染めた。ついに篠山との現場を春臣に知られてしまったのだ。
(見られた! 見られた! 見られたー!)
大いに慌てた神野だったが、おなじく大慌ての春臣に「時間がない!」とパンツと服を投げつけられて、容赦なくベッドから引きずり降ろされた。そして着替えも終わらぬうちに、彼に手を引っ張られて家を出てきたのだ。
顔すら洗えなかったが、おかげで遅刻はしなくてすんだ。春臣には感謝だ。
そうして目まぐるしいうちに午前が終わり、やっと今、昼休みにはいったところだった。
敷地内の庭に設えられたテーブル席に、すらっとした長い脚を投げだして座った春臣が、今朝は忙しすぎて説教すらできなかったと苦笑している。
「どんだけチャイム鳴らしても出てこないと思ったら、いい大人がふたりして寝こけちゃて、まったくなにやっているんだよ」
なにをやっていたかだなんて、口が裂けても云えない。
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