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第18話

「ほんとにごめんなさい」  しゅんと項垂れた神野は春臣が買ってきてくれた弁当を食べながら、ちらりと彼の顔を盗み見た。たばこを吹かしながらコーヒーを飲む春臣が、怒っているのか呆れているのか自分には判断が難しい。  春臣は篠山の恋人であるのだから、今朝の自分たちの姿には、なにかしら思うことがあったはずだ。なにせいくら見張りのために篠山と自分がいっしょのベッドに寝ているのだとしても、彼に見られてしまったふたりの距離は、男同士にしては近すぎる。  そもそも篠山のベッドはキングサイズで、充分にゆとりがあるのだ。にもかかわらず自分はべったりと彼に貼りつかれていた。しかも彼の腕を枕にして、素っ裸でだ。それを春臣が見て、快く思うはずはない。 (バレたかな? バレたよな? どうしよう。あれだけ春臣くんのまえでは、篠山さんと距離を置くように注意していたのに。よりにもよって、あんなところを見られてしまうだなんて)  いつも情事のあとは神野がベッドに伏しているあいだに、篠山が身体を拭って残滓(ざんし)の始末をしてくれる。今朝もまったく記憶にはなかったが、神野の身体は清潔にされており、例え裸でくっついて寝ていたとしても、一見しただけではふたりがなにをしていたかだなんて普通なら気づかないだろう。  しかし篠山がゲイだということを春臣が知っていて、しかも彼が篠山の恋人であるのならば、勘づいてもおかしくはない。むしろ自分たちになにもなかったとしても、あの状況を目のあたりにしたのならば、その恋人である春臣は疑ってしかるべきだ。 (春臣くん普段通りに見えるけど、実は怒ってたりする? それとも悲しんでたり……?)  ぎりっと心臓が痛んだ神野は身を竦ませた。判決をまつ罪人はきっとこんな気持ちに違いない。いっそ白黒はっきりしてどっちつかずのこの状況から抜けだしたいのだが、さすがに春臣に自分たちのことに気づいていますか? と聞く勇気はなかった。  彼にはいままでたくさん助けられているが、それがなくても自分は彼のことが大好きで、相性がいいと思えるはじめての友だちだ。せっかく親しくなれたのに、嫌われてしまうのは嫌だった。  バレたとしても正直に話して自分と篠山とのあいだに恋愛感情が一切ないということをわかってもらえたら、許してもらえるだろうか。  でももしまったく春臣が気づいていないのならば、このまま隠して通して一生の秘密にしておきたい。嫌われたくないのももちろんだが、なにより彼を悲しませたくなかった。  そのためにも自分は篠山とのああいった関係は金輪際止めて、一刻でもはやくあの家を出なければならない。  気鬱で箸が止まり気味な神野に、「はやく食べないと休憩おわるよ?」と春臣が声をかけてくれたが、罪悪感に打ちひしがれた神野は、重い顔を上げられないまま「うん」と返すだけで精一杯だった。 「祐樹、今日少しだけいつもの店につきあって」  昼の休憩後、持ち場に戻る自分を見送ったあとは春臣は酒造工場に出かけると云った。彼はちょくちょく、そこに出いりするようになっていた。そしてよくあの梅酒を買ってくる。春臣が考えた梅酒を使ったカクテルが、今度店で提供されることになったそうだ。 「ついでに夕飯も店で食べて帰ろ? 匡彦さんには俺から連絡しておくから」 「……はい」  返事に少し間があいてしまったのは、迷ってしまったからだ。彼の心の裡がわからないいまは、彼と長くいっしょにいることは心臓に悪い。  しかしそんな春臣とよりも、自分がいまもっとも顔をあわせたくないのが篠山だった。少しでも帰宅時間が遅くなるのなら、正直ありがたいのかもしれない。  昨夜は寝込みを襲われた。  篠山が自分を起こしてまで挑んでくることはじめてのことだったので、その時も一瞬戸惑ってしまったのだが、そのあとあれだけ彼に焦らされたことには、本当に驚いていた。  そしてどうやら篠山は神野の身体の最奥(さいおう)の部分の、どこがいいところで、どこをどうされるとどう反応するかを熟知しているらしい。昨夜のひどく揶揄的なセックスで、神野は自分の肉体がすっかり篠山に支配されていることに気づいたのだ。  いつも射精するのにあんなに簡単に昇りつめられていたのは、篠山の巧みな手管と神野の肉体を網羅してのことだったのだろう。 「俺、早漏じゃなかったんだ……」  思わず口から零れた言葉に、ぎょっとして周囲を見回した。幸いそれぞれが担当のプレス機についている。だったらいまの言葉はだれにも聞こえてはいないはずだ。みんな耳栓をしているのだから。 (俺って恥ずかしいな)  午後の仕事が始まったばかりだというのに、もう気が緩んでしまっている。 (しかも、いやらしことばかり考えて……)  雑念を払うために首を振って、製品を金型にはめ込んでボタンを押す。しかしおなじことを繰り返すだけの単純な作業に、やがてまた神野の意識は手もとから昨夜のセックスに(うつろ)いでいった。  昨日、パジャマの下だけを脱がせてきた篠山は、自分をうつ伏せにして腰だけを突きださせるとたっぷりのローションで窄まりを寛がせた。最初のうちはピチャピチャと入り口でたっていた水音はやがて肉襞をさかのぼっていき、次第に粘膜によく絡まったヌチャリ…とした粘りけのあるものにかわっていった。  内壁が緩まり神野が甘い吐息をつきはじめると、彼はいいちばん気持ちいい一点をしつこく擦りあげてきた。自分がそれに悦んで「あんあん」と声を出したところまではいつもといっしょだったのだ。  ところがだ。昨夜の篠山は神野のペニスが爆ぜそうになると、その根本をぐっと指で締めて射精を阻止してきたのだ。 「ぃやぁぁっ――、なんっ⁉ やっ……」  さらに指を引き抜かれてしまい、もどかしさに捩じる腰を押さえつけられた。はぐらかされた絶頂感がひいていくまで、彼は卑しく収斂する入り口を擽るように撫で、そしてまたおもむろに指を挿しこんできて神野を追いこんだ。 「あっ、あっ………あぁあっ……いぁっ、いやああぁっ」  そんな意地悪がなんども繰り返され、そのうちつらくなってきた自分の口からは悲鳴があがったほどだ。イかせてもらえなくて痛む腹部に、声はするどく響いた。 「指、もう、いやっ、やめ……てっ……やめて、下さ……ぁあんっ」 「ん、もう少し我慢してみろ」  できるわけなかった。痛いのだから。  全身に波紋のように伝わるぞくぞく感も、ペニスが流した大量の先走りの液でシーツがびしょびしょになるころには、まるでどこか遠くでのことのように感じていて――。  いつしか全神経は張りつめすぎて腐落ちてしまいそうなペニスと、下腹部の痛みにだけ集中していた。  そして。 「んーっ、んっんっ、んあっ………痛いっ、痛いっ」    はやく出したい、はやく出させてっ。  解放してもらうことだけで頭をいっぱいにしていた神野がふい襲われた感覚は、射精のときのようでいて、またそれとは微妙に異なっていた。 「ひゃぁっ、あぁぁーっ」  篠山の指を呑みこむように蠕動(ぜんどう)したり、ぎゅうぅっときつく締めつけたりを繰り返していた狭い器官が、いきなり全身を襲ってきた浮遊感のあとに、とろんと蕩けたのだ。 「ほら」 「あぁあっ……あぁ…‥‥…はあぁ、はぁ」  ぐったりする姿態が時折びくびくと震えて緊張を走らせたが、彼の指を食む内部だけは柔らかく解ほどけたままでいて、それがとても気持ちよかったのを覚えている。「あぁん、あぁん」としばらくちいさな鳴き声をあげていたのだ。  肌が泡立つような感覚と四肢の弛緩、そしてあとをひく悦楽で身体が不規則に痙攣する。これはいつもだったら彼に後ろを突かれながら吐精したあとのものだと、荒い息をつきながら困惑した。 (いったいなに……?)  視線をやった濡れそぼった自分の分身は、やはりまだ緩くたちあがったままで――。 (なに? ……なんなの? 俺、知らないあいだに出した……?)  ふっと頭上で篠山の笑った気配がしたあと、肩をひかれて仰臥位(ぎょうがい)にされる。呼吸の治まらないでいる自分の頭に手を伸ばした彼は、もつれる髪を梳いてくれた。  その行為はまるで親が子どもを褒めて撫でるのに似ていて、感情の琴線を揺らされた神野の涙腺が思わず緩む。もし怒られていたのだとしたら、赦されたのだという、そんな気すらしたのだ。しかし。  そのあとやっと体内に埋められた篠山の固く張りつめたものに、安堵と期待で甘い吐息をついたのも束の間で、それからがまたひどかった。神野の体が疲労に砕けてしまうような、気が狂ってしまいそうな終わらない交接が、明けがたまでつづけられたのだから。

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