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第20話
気がすむまで「もっともっと」と声に出し、さんざん淫猥に腰を振りつづけた。といっても、自分では腰を振っているつもりだったが、それすらもあやしい。なにせ身体はくたくただったのだから。
(結局最後にあんな醜態を見せるくらいなら、もっとはやくにお願いして、スッキリさせてもらえばよかったんだ)
しかもだ。もうこれ以上は意地悪をされたくない、篠山のペニスを逃したくはないと、意地になってしまった自分は、彼の腰に脚を執拗に絡めようとした。最悪だ。
すでに疲弊感がただならなく、膝をもどかしげに蠢かすことしかできなかったことに、その時は癇癪を起こしたが、いま思うと脚が動かせなくて本当によかった。
(あんなの、もう人間じゃない……。とんでもなく下品な言葉もいっぱい云ってしまった……)
猥褻すぎる一夜の記憶を、なんとか抹消できないものかと、神野は頭を抱えた。それも自分からだけではなく、篠山の記憶からもだ。
今朝、篠山はいたっていつもと変わらない様子だったが、はたして自分はどうだっただろう? きちんと普段通りに態度を繕えていただろうか。
そして春臣にたいしても、自分はいつもとおなじように振舞えていたのだろうか。
篠山と肌を重ねるたびに感じていた春臣への罪悪感が、いつもに増して重くのしかかってくる。このあと春臣の顔を正面から見るとこがつらい。
そしてそれは彼に勘づかれたかもしれないという理由からだけではなく、もうひとつ。
神野は唇を噛んだ。
(だって、あれじゃまるで……)
またもや、昨夜のセックスを蘇せて、頬を染める。
(まるで、自分が、……求められたみたいだった……)
胸がきゅんと、せつなく鳴った。
篠山が自分を貪ったというか、なんというか――。
確かに昨日の篠山は意地悪だったが、いまにして思えばそれはまるで特別な相手にだけしてみせる我儘みたいで、 ――神野を甘く狂おしい気持ちにさせた。
あれは本来恋人である春臣に向けるべき、情欲だったのではないだろうか。それを自分が間違って受け取ることになってしまった。だから春臣への後ろめたさが半端ない。
篠山も今ごろ後悔しているのではないだろうかと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。自分がたまたま彼のベッドにいたせいで、思わぬ事故がおきたのだから。
家に帰って彼と顔をあわせたときに、もしも彼がその表情を曇らせでもしたら。
「篠山さんの顔見るの……怖いな……」
ベルトコンベアで次々に流れてくる段ボールに丁寧にピッキングを施しながら、神野は暗鬱な表情でちいさく呟いた。
*
仕事が終わったあと、春臣の行きつけの店に寄った。そこで軽く夕飯を食べて半時間ほど過ごしたあと、マンションに帰ってきた。
玄関のまえまでくると、春臣がキーケースから鍵を取りだして手際よくシリンダーに挿しこんで扉を開けてくれる。
篠山は自宅の鍵を春臣や遼太郎にも持たせていて、彼らが自由にここに出入りすることを許していた。遼太郎にいたっては従業員でもあるので、仕事に使っている部屋の鍵まで持っている。
そこまで彼らに託せてしまえるのは磊落 な篠山の性格からか、それとも彼らが篠山にとって特別な存在だからなのかと、ここに来た当初に首を傾げたことがあった。
仕事に行くときも帰って来たときも、大抵春臣が扉を開けたり閉めたりしてくれるので、自分が持たせてもらっている鍵はいまのところずっと鞄の中にいれたままだ。
もしかしたら自分がその鍵に触れるのは、篠山にそれを返すときになるのかもしれない。その光景が頭に浮かんだ神野は、感情の昂るのを感じた。鍵ひとつに感傷的な気分にさせられ、俯いて玄関に足を踏み入れる。すると一足さきに玄関に入っていた春臣の背中にぶつかってパフンと跳ね返された。
「……?」
ぶつけた鼻を押さえて顔をあげると、彼が立てた人差し指を口にあてている。
「祐樹、しぃー」
理由がわからなかったが、ひとまずこくんと頷いた。
玄関のすぐの両サイドの居室が職場として使われていて、左側が事務所だ。平日には来客もある。こちらの部屋は営業中は常に扉が開けっ放しだが、今日はすでに仕事は終わっているらしくいまは扉が閉じられていた。
もう片方の部屋は寝具の用意があって、休憩時間には昼寝もできるらしい。その部屋のまえを通り過ぎるとき、中から僅かな物音がした。
(篠山さん?)
玄関を見てもそこには春臣の靴しかない。自分の靴をしまった棚とはまた別の扉を開けたところにスタッフや来客用の靴の収納スペースがあるので、そこまで確認しないことには、いまこの家に誰がいるのかがわからないのだ。
そのまま春臣の背中について入ったリビングには、篠山の姿はなかった。
(いない。よかった)
だからといってこれですむわけではない。いまから篠山がこの部屋に戻ってくるまで、ずっとどきどきするはめになるのだ。
「さっきの部屋に篠山さん、いるんでしょうか? まだ仕事中?」
すでに時刻は十九時を過ぎているが、このところ篠山は遅い時間まで事務所に籠っていることが多い。
それとも彼はいないのだろうか。自分たちが寄り道をしてくるのを知って、篠山もたまには羽を伸ばしに出かけているかもしれない。それだったら助かる。
(だったらさっき部屋にいたのは、いったい誰なんだろう?)
「もしかして末広さん?」
仕事が詰まると、彼女はここに泊まって行くことさえあった。
「んー」
上着を脱いでキッチンのシンクで軽く手を洗った春臣が、冷蔵庫のなかからミネラルウォーターのペットボトルを取りしてキャップを開けた。やや神経質そうに口もとを歪めて云い渋る彼を見ていると、神野は落ち着かなくなる。
臑に傷をもつ身としては、春臣にいつもと違う態度を取られると、それだけではらはらしてしまう。春臣は煩わしそうに眉間を寄せていた。
(悪い質問しちゃったのかな?)
でなければ、春臣はきっとこんな顔をしないだろう。
「まぁ、俺たちがもっと遅くなると思っていたんじゃないかな?」
それは質問にたいしての直截な答えにはなっていなかったが、春臣か、もしくは篠山にとって、自分に知れるとまずいことなのだと充分に察することができた。
不安要素は残るが下手に触れてとんでもないことになるくらいならと、神野はあたり障りなく聞き流すことを選ぶ。
とりあえず、今日はもう篠山の顔を見る時間を極力減らしたいのだ。できることならば彼がここに現れるまでに、布団に入って寝てしまおう。
ところが、篠山と春臣がバトンタッチしないことには、春臣が帰れないことに気づいて、神野は困ってしまった。
今晩はもう食事も終え、彼はここにいてもすることがないのだ。用がないのならはやく帰らせてあげたいのだが、
「春臣くん、篠山さんいないし、もし家でやることあるならどうぞ帰ってください。私はひとりでも大丈夫ですから」
「それはダメ」
「……はい」
即座に却下されてしまった。自分はまだ信用されていないようだ。
それでは、帰れない彼には申し訳ないが、せめてさきに寝る準備だけでもさせてもらうことにする。
「あの。春臣くん、お風呂に入ってきてもいいですか?」
しかし、飲みかけのボトルをカウンターにトンと置いた春臣は、腰に手を当てて「はぁっ」と大げさな息を吐いてみせた。
「それも、ダメ」
「えっ⁉」
「祐樹にはまだひとりで行動させられない」
「えぇ……。どうしてですか? そりゃはじめはいっぱい心配かけましたけど、私はもう大丈夫ですよ?」
「鬱になってメソメソメソメソ三日三晩泣きつづけたのは、ついこの間のことなんですけど? 祐樹はもう忘れちゃった?」
「…………ごめんなさい」
余りもの過保護ぶりに眉を顰めたが、先日みんなに迷惑をかけたことを持ちだされると、云い返す言葉がない。あの時は篠山に仕事を休ませただけでなく、春臣にも随分心配をかけている。
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