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第21話

「じゃあ、春臣くんもいっしょに入ってください。なら安心でしょ?」  じゃあと、断られるだろうと思いつつも食い下がってみると、彼は一瞬目を見開いて意外そうな顔をした。それでもその提案を、「うん、じゃあそうしよう」と受けてくれる。 「こっちで風呂済ませておいたら帰ったらすぐ寝られるしね」 「よかった。じゃあ、お風呂の準備してきますね」 「いいや、祐樹、待って」  リビングを出ていくところを、春臣に腕を引っ張られた。 「俺がいくから、祐樹は着替えの準備でもしてろ」  ソファーを指さして見せた春臣は、さっさと風呂場へと向かって出ていった。  ソファーのうえには、取りこまれた洗濯物が散乱している。確かにこれもはやく片付けないといけない。神野はソファーのまえに移動すると、座面に放りだされていた衣類を畳みはじめた。  朝、出勤前に干していった洗濯物は日中、仕事の合間に篠山が取りこんでおいてくれるのだ。そのなかには神野の作業着もあるのでたいへん助かっている。だからせめて仕上がった洗濯物の片づけくらいはいつも自分がしたい。  神野がふたりぶんの衣類を畳むあいだに、春臣は部屋のあちこちを動きまわり、当然のように掃除や洗い物をしたりして、その姿はまるでこの家の主婦のようだった。  慣れた春臣の振舞いからここの家主である篠山との親密さが垣間見え、引け目を感じた神野は重ねたタオル類を持って、逃げるように脱衣所へ向かった。  春臣のいるときにこの家で勝手知ったるふうに振舞うことは、彼のテリトリーを荒らす行為になるかと懸念している。しかしタオルは自分だって使うのだから、これくらいは大目に見てもらいたい。そう云い訳しながら手ばやく運んできたタオルのあいだには、こっそり篠山の下着を隠し持っていたりするのだが――。  それらを脱衣所の引きだしにしまい、リビングに戻ろうとした神野は、 「あれ? やっぱり誰かいる」  ふと例の部屋からした気配に気をそそられて足を止めた。  明り取り窓のない扉からは、中の様子が伝わってこない。それでも一度気になってしまえば引き下がることができなくて、神野は部屋のまえに足を忍ばせて移動すると、その扉にそっと耳を近づけた。室内にはひとのいる気配はするが、特に話し声はしてこない。  たまにこの部屋で遼太郎が籠って絵を描いていることもあるが、それで静かにしろと云われたことはない。  これほど気になるのならば扉をノックして声を掛ければいいだけの話なのだが、しかしなぜか胸の裡に引っ掛かる棘のようなものがある。それに邪魔をされてしまった神野は行儀が悪いとは思いつつも、こっそり中を覗いてみることにした。 (末広さんだったら、ごめんなさい)  音を立てないように注意しながら扉を開けて、僅かな隙間に顔を寄せた。 (あ……)  部屋に明かりをつけたままで行われていたベッドのうえでの行為に、神野はちいさく息を呑んだ。 (セックス、してる……)  動悸を押さえるために胸もとをぎゅっと掴む。それでも扉を閉めて身を翻すことはしないで、房事に耽るふたりにじっと目を凝らした。。  ここからでは顔が見にくいが、上に被さっているのは篠山だ。漏れ聞こえてきたあえかな声で、その相手が遼太郎だということもわかった。  遼太郎の腹のうえにぴったりと上体を添わせた篠山の裸体は、とてもうつくしく、神野はしばらくのあいだ彼の逞しい背中が蠢くのと、そしてくっきりと浮きでた肩甲骨がうねるさまを眺めていた。  篠山の背中が滑らかに波打っているのは、手のひらで遼太郎の肉体を滑るように愛撫しているからだ。脇腹をなぞりあげられた遼太郎は、なんども伸びあがるようにして身体をくねらせ、甘い吐息を吐ついていた。 「んあっ」ととても気持ちよさそうにあがった彼の声に、篠山のくぐもった笑い声が重なる。  篠山が遼太郎の耳になにかを囁いていたように見えたが、それともそれは耳にキスしただけかもしれない。神野の胸を掴んでいた指さきに力がこもった。  遼太郎が時折びくびくと痙攣することから、すでに篠山の肉塊が彼の内部に穿たれているとわかる。 「なにするっ」 「ここ、遼太郎の好きなところだろ?」 「ばっか! それ好きじゃねぇって!」  暴れる彼を笑いながら篠山が拘束すると、それからふたりは静かになって身体を揺らしはじめた。布団のなかまでは見えないが、なにがなされているかは充分理解できる。  ふたりはずっと互いの口の中を貪りながら抱きあっていた。そしてキスを解いたあと、篠山は遼太郎の首から肩へと滑らせた唇で、彼の肌を啄んでいた。  遼太郎の吐息が弾んでいるのは下肢に刻まれる律動だけが理由ではなく、キスとともに篠山の指が、彼の胸に絶えぬ愛撫を施しているからで――。 「遼太郎……」  名まえを呼ばれた遼太郎は、「くにひこ」と舌足らずに、篠山の名まえを口にして、そして言外(げんがい)に要求された口腔をまた彼に明け渡していた。  胸から背中を辿る篠山の愛撫に、彼の強い腰の打ちつけに、遼太郎が堪らないとでもいうように首を振ると、長く交わされつづけていた口づけが解けてしまう。 「……ふっ……」  ふたたび彼の唇を追って篠山が噛みつくようなキスを与えたところで、睦みあうふたりからぎこちなく視線を離した神野は、震える手でそっと扉を閉じた。  激しく脈打つ胸に指をあて、戦慄(わなな)く唇をぎゅと咬む。  ふたりが繋がる部位はかろうじて引っ掛かった布団で隠れてはいたが、それでも他人のセックスを見るのははじめてだ。神野がその生々しさにうけたショックは大きかった。  全身に地面に引きずりこまれそうなほどの重力を感じて、この場にへたりこんでしまいそうなほどだ。  見たばかりの光景が、脳裡に繰り返される。神野は床の木目をじっと睨みつけると、落着こうと懸命になんども深呼吸してみたが、それでも動揺は治まらず、伏せた睫毛のさきは震えていた。 (俺、馬鹿だ。いつまでもあんなの、覗きつづけて……。すぐに扉を閉めればよかった)  他人の性行為を盗み見して、それでこんなに震えて、愚かすぎだ。しかし行為に没頭する彼らをじっと見ていたのにはわけがある。  彼らのそれに、引っ掛かりを感じたからだ。それがどうしてなのか知りたくて、その答えを見出そうとするあまり、睦事をまじまじと観察してしまったのだが。 (なんかしっくりしない。どうして?)  なにが、ではない。どうしてと考えているあたりで、すでに自分自身をはぐらかしてしているということに神野は気づいていなかった。  指し示すものを誤魔化して、そのさきの原因を探したとて、目的のものは見つけ難いのだ。  そんなことでは心の奥に潜む真相に行きあたるわけがなく、神野は脳の片隅にカチリとちいさく尖るものが、なにであるかということに、目を向けられずにいた。  篠山が遼太郎の陰部に性器を埋めこみ、腰を振る。篠山は擦られる性器に生じる快感で、遼太郎は体内を擦られて生まれる快感で、ともに昂り極めて精を吐きだす。ただそれだけのことで――。  神野は、ぶるりと身を震わせた。   自分がいつも、そして昨日も彼とした行為と、――それと、おなじだ。  ただそれだけのことだと幼稚な自分に云い聞かせ、重い脚を引きずるようにしてその場を離れた。 (この扉の向こうで、いつもとおなじことがされていただけ……)  通りかかった脱衣場からした水音に引きよせられて、神野はふらっと浴場に足を踏みいれた。浴槽のまえに立つと、塩素を含んだ水の匂いが鼻孔を刺激する。脳のてっぺんへと快楽物質が突き抜けた感覚に、強張った身体がふわっと緩まった。  そのままその場に膝をつくと、足を崩して浴槽の縁に凭れかかるようにして座りこむ。 浴槽に溜まっていく湯が描く緩い波紋を、なんとなしに大きく見開いた瞳で追っていった。瞼をおろすと、意識を集中してしまうと、さっきの彼らの姿が蘇ってきそうで怖いのだ。 「えっと……ちょっと、落着こう……」  浴槽の縁に頬を載せると、ひやっと冷たくて気に障ったが、いまはそれぐらいがちょうどいい。気を散らしておきたかった。  勢いある水流の鈍い音は陰鬱と淀んだ神野の胸の不快感に相まって、とても心地よく鼓膜に響いた。  心臓が破裂しそうなほど高鳴っているのはとんでもない光景を見たからで、胸が重苦しいのだって、ふつう見る機会なんてない他人の情交を目の当りにしたからだ。不快になってあたりまえなのだ。 「そっか。ふたりって、そういう関係だったんだ…‥」  そういえばはじめてここに来た日に、神野はふたりがキスをするのを見たような気がする。はっきりと「見た」と云えないのは、あの頃の記憶があいまいだからだ。

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