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第24話
「そ、それは……えっと……」
錯乱していてつい正直に謝ってしまっていたが、理由を聞かれてしまうと、犯した所業を欠片も白状することができない神野は困ってしまう。
(い、云えない。云えるわけがない)
じっと向けられている視線は、まるで自分を責めているようだった。しばらくの沈黙のあと「あぁあ」と呟いた彼に、びくっと肩を震わせて俄かに汗ばんだ手を握りしめた。
(バレた?)
「祐樹は頑固だね。ほんとに」
「?」
嘆息した春臣は軽く肩を竦めてみせると、まるで幼い子を相手にするような口ぶりでつづけた。
「じゃあ、俺から云うよ? このままだと祐樹はひとりで我慢して、あとあと、とんでもなくなっちゃいそうだからね」
「……べつに、頑固ではありません」
意地なんてなにも張っていないのだからと、口を尖らせてカップで湯気をたてる牛乳を睨む。
「真相を云わずにすまそうとする祐樹が、そのことで返ってつらい思いをするのなら――」と春臣は云いおいた。彼は穿った物云いが嫌いらしい。
「祐樹は俺と匡彦さんが恋仲だと思っていて、自分が俺の目を盗んで匡彦さんとセックスしていることに罪悪を感じている。んで、そのことを謝っている」
ひきつけるようにして、ちいさく息を呑んだ。
「はい、これで祐樹はすっきり。もう隠しごとないでしょ?」
おどけた口ぶりでそう締めくくった春臣は、カップの中身を凝視する自分の頭に、ぽんと手を乗せてきた。
「……ち、」
慌てて顔をあげ、違うと否定しようとして、でももうこれ以上嘘はついてはいけないと、言葉を呑みこんでもう一度俯く。春臣が云ったことは、全部正解だ。
「隠さなくてもいいよ。っていうか……」
「……な、なんですか?」
春臣が平然としている理由がわからないし、それに彼は自分を詰ろうともしない。はやる動悸に心許なく眉を寄せて、いっそ不思議な気持ちで春臣の言葉を待つ。
「俺と祐樹がはじめて会ったときのこと覚えてる? あの時、あんたらやったあとだったでしょ?」
「―っ‼」
はっとして見上げた春臣は、思い切り呆れた顔をしていた。なにか云おうと思うのだが、口がぱくぱくするだけでなんの言葉も紡げない。
「気づかれてないと思っていたなら、祐樹はほんとにド鈍だよ」
覚束ない神野の手からマグカップをとりあげた彼は、それをカウンターに移動させた。
「しかもほぼ毎日タオルケット干しているし。あれ、精液でベッドマットが汚れないようにって、匡彦さんがシーツかわりにしてるやつなの。おなじやつ四枚あるでしょ? だから俺は、毎日毎日バルコニーに揺れるあのシーツを見ながら、ふたりは相当お盛んだなって思ってたんだけど?」
「あっ、あぁ、あ……あのっ」
容赦のない指摘に、申し訳ない気持ちと羞恥で耳まで真っ赤になった神野は、両手の中に顔を埋めた。
「むしろ俺がふたりのことに気づいてないと思っていたことに、さっきから俺はびっくりしている。いや、まさかそんなことがあるわけないって、思いもしたけど、祐樹の様子からしてそれを否定できなくなっちゃった」
「う―……。うぅっ。……すみません」
ソファーに座る自分に寄り添うようにした春臣が、背中をあやすように叩いてくれる。
「んで、祐樹は遼太郎くんと匡彦さんのセックス見て、自分のやっていることと重ねたんだろ? で、俺に悪いことしていると?」
「ごめんなさい」
春臣の推察はまったくその通りだ。これで隠しごとはなくなったが、安堵するよりもまず罪の意識が強く、神野はソファーから滑るように下りると床に手をついた。そのまま頭を下げようとすると、慌てた春臣にとめられる。
「ちょっと祐樹、そんなことしなくていいから!」
「でも、ちゃんとあやまらせてください!」
「俺のことは祐樹の勘違いだからさ。それはいいから」
「……勘違い?」
腕のつけ根を掴まれて上体を起こされると、謝罪もさせてくれないのかと、眉を寄せる。
「信じてないな。まぁ白状すると俺と匡彦さんは単なるセフレだよ、しかも甘々とかじゃないから。セックスするって云っても、いっしょに楽しむスポーツみたいなもん?」
(そんなの嘘だ)
はっきり云われても自分にはそれは春臣の強がりだとしか思えない。絶対に彼が篠山のことを「単なる」と思っているわけがない。
(だって篠山は、あんなに素敵なひとなんだから)
神野は唇を咬んで顎をひいた。正座する自分のまえで膝を折り、視線をあわせてきた春臣には、自分が納得できていないことが伝わったようだ。
「祐樹、しつこいよ……」
ほとほと呆れた顔の春臣に鼻を抓まれた。
「目が、まっかだね」
彼が笑ったのとおなじタイミングで、どこからか風呂の準備ができたことを知らせるアナウンスが聞こえてきた。
結局この家でも神野はひとりでの入浴が許されず、狭くても我慢と云われて春臣といっしょに風呂に入ることになった。
彼は着やせするタイプだったらしく、裸になるとしっかり筋肉がついていて男らしかった。それに比べて彼とおなじ長さだけ人生を送ってきたというのに、自分はどうしてこんなにもひょろひょろしているのだろうか。神野は腕を折りながら、力こぶを探したりしてみる。
春臣のTシャツを借りても彼が着ていたときと、自分が着た感じでは大きくシルエットも違っていた。
「ほら、祐樹、頭じっとして」
春臣が濡れた髪を乾かしてくれる。べつに頼んだわけではないが、ドライヤーを持った春臣がソファーに座れと云ったので、云われるままにしているだけだ。疚しい身であるので、自分はいつも以上に彼に従順になるほかない。
春臣はよく気がつくし腰が軽く、いつも誰かの世話を焼いている。そういえば篠山にもそんなところがある。もしかしてゲイのひとは構いつけるタイプが多いのだろうか。
この家は2DKで、隣の部屋を覗くとそこにもひとつベッドが入っていた。今夜はそこで眠られるのかもしれないと期待したのだが、それも反対され「狭くても我慢!」と、寝るときには春臣のセミダブルのベッドに引きずりこまれた。失った信用を取り返すのには、時間がかかるようだ。
「祐樹はさ、ゲイのセックスじゃなくて、匡彦さんが自分以外の誰かとセックスしてたことが、ショックだったんだね。匡彦さんのこと、そんなに好きになってたんだ?」
「――っ⁉ ちがっ」
「違わないでしょ? 別に今さら誤魔化さなくてもいいじゃん。匡彦さんと遼太郎くんのエッチ覗いちゃって、泣いているんだもん。否定するほうがおかしいでしょ。それにふたりがセックスしているのを見て、俺に悪いことしたって思ったのは、祐樹自身が傷ついたからだろ?」
「違います……」
「あんなに動揺しておいて『違う』は違うでしょ。どう考えても祐樹、匡彦さんのことが好きなんじゃん。俺は別に匡彦さんの恋人じゃないんだから、祐樹が気持ちを隠す必要はないし、遠慮もいらない。祐樹はなにも気にしないで、匡彦さんのこと好きでいていいんだよ」
神野には春臣の云うことが全く信じられず、間接照明だけの薄暗い部屋のなか、目を凝らして彼のことをじぃっとみた。
「もうっ! 俺と匡彦さんはホントにそんなんじゃないんだってば!」
伸びてきた彼の手に、目を覆われる。
「祐樹は素直に失恋だけに悲しむとかしといてよ。ややこしくて慰めにくいじゃん」
「別に私は、篠山さんを、す、す、好きとか、そんなんじゃないですから」
「なに吃 ってるんだよ……」
あれほど取り乱したのはそんなことが理由ではない。
それではなんでだったのかと問われると、その答えもわからず、だから神野自身それをずっと考えているのだ。
自分があれほど、そしていまも動揺している原因を。
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