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第40話 

「まぁ、遼太郎くんはね、あの性格だから。匡彦さんがはじめてのオトコだったってのが、ネックになったんだよ。あのひと、プライドお高いから」  あっけらかんといった春臣に、作業の手を止めて彼を振り返った。 「お前、絶対にそれ、アイツに云うなよ。怒らせでもして、ここ辞められたら困るんだからな。とくにいまの時期に機嫌を損ねられたら堪らん! ……ってか。春臣、お前なぁ、忙しいときにそんな話題、振ってくんなよな」 「はいはい。じゃあ近藤さんと遼太郎くんの話はこれでおわり」  そこで言葉を区切った春臣が、「じゃあさ――」と身を乗りだしてきたので、篠山はますます嫌な予感がして顔を顰めた。いっそう楽しそうな表情になった春臣に、碌なことを云いださないことがわかる。 「祐樹のご機嫌については、どうなの?」 「はぁ?」  ほらきた、と渋い顔になった篠山だったが、ふと気になっていたことを訊いてみることにした。 「そうだ、春臣、お前。あいつの手首についてた痣、あれ、キスマークなんじゃないのか?」 「ああアレ? 匡彦さんあれに気づいたんだ。……祐樹のことよく見てるんだね」 「お前ヘンなところに、あいつを連れまわすなよ」  にやけ顔をひっこめ、途端に感心したように云った春臣に居心地が悪くなった篠山は、置いたままにしていたコーヒーを手にとった。 「あれねぇ、俺がつけたの」  まだ熱いコーヒーを啜るようにして飲みながら訝しがると、ゆったりした白いニットを着ていた春臣が襟口に手を差しこんで、中に着込んでいたインナーを引っ張って首筋を見せてくる。 「だって祐樹がさ、俺のこれ見て『虫に刺されたの?』とかって、真顔で訊いてくるからさ――」  少し屈んでこちらに首もとを向けてくる、覗いた鎖骨の下、そこには消えかかってはいたが、情事の痕跡だとわかる痣があった。 「……嘘だろ?」 「いやいや、ホントホント。祐樹、そうとう天然だよ。――で、せっかくだから、俺が実地でつけてやったの」 「なにやってるんだよ。あんなおとなしいのに悪ふざけとか、大概にしとけよ」  神野の純真さに驚き、そして彼にそんな悪戯をしかけた春臣に呆れる。 「でさ、それでちょっと大人になっちゃった祐樹はさ。ここのところ俺や遼太郎くんの身体のチェックが厳しいのよ。本人なんも云ってこないけどさ、ジト目で俺らの首のあたりをじーって睨みつけてきちゃってさ」  春臣は自分自身を抱きしめると「あぁ、恐ろしいったらありゃしない」と震えてみせた。いまはふざけていても、実際に神野に睨まれたんだとしたら、きっと気まずい思いはしたはずだ。自分も神野の怒気を孕んだもの問う眼差しには、肝を冷やしたことがある。 「あいつ、怒ってるのか?」   だとすると過去にそれを彼らにつけたことがある篠山としては、自分も責められているようなものだ。だったらそのことは神野には黙っていてもらいたい。 「さあ? 単純に嫉妬じゃない?」 「神野が、お前に? まさか」  なにを云っているんだ。神野には自分が色狂いだと幻滅されていることはあっても、そういう意味で好かれていないことは確かだ。  常日頃からこの春臣のなんでも色恋に結びつけていくちゃらけた性格を持て余し気味だったが、いまはそれにつきあってなどいられない。こうなったらさっさと部屋から出ていってもらうに限る。 「ほら、もういいだろ? 神野まってんじゃないのか? さっさと帰れよ」 「匡彦さん、祐樹に手ぇ出してたじゃない? ねぇ。あんだけやっていて、なのになんで祐樹、キスマーク、知らなかったの?」 「お前なぁ、そんなことを訊いてくるなよ」  プライベートの骨頂に踏みこんできた春臣に、篠山はたじろいだ。 「そんなもん、あいつにはつけてないからだよ。――だいたい嫉妬ってなんにたいしてだよ? お前さっきから、わざとひっかきまわすような言葉を選んでいるよな? 俺を揶揄ってそんなに愉しいのか?」 「うん。愉しい」  こくりと頷く春臣に、ったく、と舌を打つ。 「なぁなぁ。だからなんで、祐樹には痕つけなかったんだよ?」 「ノーマル相手には、限度があるだろ? あんな奥手な神野にだって、そのうち彼女もできるんだろうし。それまでにヘンなクセつけるわけにいかないだろうが。どうするんだよ、後ろ掘られないとイケないとかいう、ややこしい身体にでもなったら」 「……あぁ、なるほど、ね。一応考えてたんだ」  そこで春臣は指を顎にあてて、ふーんと頷いた。 「……ねぇ、匡彦さんさ。祐樹には、特別に甘いよね?」 「そんなことないよ。臨機応変に相手にあわせた態度をとっているだけだ。お前みたいにタフで性に奔放なお気楽主義といっしょにできないだろーが。ってかホント、もうお前くだんないことばかりしゃべってんなら、帰れ。神野だって疲れてるんだから、はやく寝かせてやってくれ」  そろそろ勘弁してくれないか、このままじゃ余計なことまで云わされかねない。篠山は手にしていたマグカップをチェストに置くと、春臣の背後にまわって背に手を添えた。 「ねぇ。近藤さん、結婚するんだよね?」 「ほら、もう出ていけって」  背中をぐいと押し、本気で追いだしにかかろうとしたところで案の定、春臣が爆弾を投げこんでくる。 「ほんとにもう近藤さんのことなんでもないならさ、匡彦さん、祐樹とつきあってみたら?」 「はぁ? お前なに云ってんだ?」  なんの冗談だと頭を叩いてやろうとしたが、しかしくるっと振り返った春臣は、いつになく真剣な目をしていた。 「匡彦さんの心の奥にあった近藤さんのためだった隙間。そこに祐樹を入れてあげられないのかって、訊いているんだよ」 「…………」  ドキンと弾んだ心臓に動揺を突きつけられて、とっさに返す言葉が思い浮かばない。 「俺さぁ。なんかあいつ、ひとりで生きていけるのかって心配なんだ。ねぇ。匡彦さんがどうにかしてやれない?」  おそらく春臣が期待しているのは、自分に神野を恋愛対象として選べということだ。 「……はぁ」  篠山は煩わしく思う気持ちを隠して、これ見よがしに溜息を吐いた。  「もぅ! 匡彦さんもさ、いつまでも祐樹にあんなツンツンした態度取られていてもいいワケ? ちょっとは、原因とか考えてみたんでしょ?」 「そんなのあんま気にしてないし、いまは忙しくて構っていられない」 「嘘ばっか。いつもはプライベートがすっきりしたほうが仕事がうまくいくって、云ってるくせに」 「はいはい。お前の云うことはほんと、毎度耳に痛いよ。でもな、神野はお金のことについては来年にはうまく片づくし、真面目なヤツだ。そのうち彼女だってできる。そしたらじきに結婚だってするだろうよ」  云いながら、そんな神野の将来を想像してみた篠山は、同時に惜しいなと感じてしまった自分に驚いた。そして苛立ちに舌打ちすると、やや強引に春臣を部屋の外に押しだしてしまう。 「もう、乱暴だなぁっ!」 「はいはい。だったら恋愛話は、もっと歳の近い若者たちとしてください」  すかさずくるっと振り返った春臣に、首を掴まれ引き寄せられる。仕返しなのだろう、春臣は唐突に唇を重ねてきた。 「――っ」  いくらこの扉のまえが死角になっているとはいえ、家の中にはいまは神野がいる。先日とおなじ失敗はもうしたくはなかった。とっさに春臣をひき離そうと手をあげたが、しかし篠山は考え直すとそのままその手を彼の腰にまわした。 (いつまでも揶揄われてばかりでいると思うなよ)  リビングにいる神野の存在も気にはなったが、春臣の云いたい放題が癪に触っていたのだ。篠山は、彼を懲らしめてやることに決めた。ぐいと顎をとると、本格的に口腔に深く舌を挿しこんでやる。 「……っ、んっ⁉ んんっ?」  こいつと舌を絡めるのは久しぶりだなと思いつつ、春臣が苦しくなるような、そして官能をひきだすようなお仕置きのキスをしてやる。 「んーっ、んっ!」  息もつけないような口づけに、しばらくすると息苦しくなったのだろう。春臣が背中をバンバン叩いてギブアップを訴えてきた。  おせっかいではあるが彼のお陰で、神野のことについて一度じっくりした内省が必要だと気づかされてしまった。これはその礼だと、最後にふっくらした春臣の唇をがりっと噛んで、それから彼を解放してやった。

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