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第43話
(……なんか、恥ずかしくなってきた)
「今日はこれ、おいて帰ります」
「いいよ。わざわざここまで来たってことは、よっぽど飲みたかったんだろ? で、あいつは? 来ないのか?」
篠山がグラスを用意してきたので、とりあえずソファーに腰を下ろす。
「今日はもうお風呂に入って寝るそうです……」
春臣のことは誘ってもいないが、そこはしらっと嘘をついた。
「而今なんですが。どうでしょうか? ほんとに飲みます? 休まなくて大丈夫ですか?」
神野は眉をハの字にして彼を見上げた。
「それはすごいな。大丈夫だよ。さっきからすでに飲んでいたところだし」
彼が顎をしゃくったさきを見てみれば、口の空いたビール缶が三本並んでいる。
「お前さっきから顔が赤い。外、相当寒かったんだろ? 部屋、寒くないか? 温度もっとあげるか?」
神野はローテーブルにグラスを置いた篠山の手をとった。
「あのっ」
「どした?」
「あ、いや……」
やっぱりちょっと飲んでからだ。
(飲みながら、彼を慰める方法を考えよう)
神野は膝のうえに載せた酒瓶の封を切ると、キャップをとりのぞく。
キュポンと音がして蓋が外れると、濡れた蓋から甘い芳香がふあんと広がった。鼻を近づけくんと嗅いでみる。
「いい匂い」
うっとりして呟くと、篠山がくすっと笑った。
「なんですか?」
「いや、お前さ、一升瓶似合うなって思って」
「ひとを酒豪みたいに云わないでください」
「いや、そうじゃなくて。姿勢もいいし、脚そろえて膝のうえで酒瓶抱えてるの、ちょこんとしてて、なんかかわいい」
つまり子どもっぽいってことなのだろう。しかし「かわいい」の言葉に、冷えていた神野の身体がほわんと火照りをもつ。頬がやたらと熱く感じる。
ふいに伸びてきた篠山の指にどきっとして、その指の背で頬を擦られると胸がきゅんとした。
「あの。入れますのでちゃんと、グラス持ってください」
慰めに来ているのに、なにをときめいたりしてるんだ。
(今日はホストに徹する!)
決意をあらたにして彼のグラスに甘い香りの液体をなみなみと注ぐと、一度グラスをテーブルに置いた篠山に「お前もグラス、持って」と一升瓶を取りあげられた。
ひさびさの接近に緊張してしまう。心臓の高鳴りが聞こえてしまったらどうしようと思うと、グラスをもつ指が少し震えてしまった。
「乾杯」とグラスをあわせられる。フルーティな香りのたつ酒をくいっとひとくち含み、しっかり舌のうえで液体を転がしてから、コクリと嚥下する。
「おいしい」
思わず頬が緩んでしまうと、篠山がやさしげに目を細めていた。
「うまいな」
「はい」
いっしょに笑ってくれるけども、やはり彼には元気がない。
近藤の結婚のことも仕事の失敗のことも、自分が下手に触れない方がいいのだろうか? 彼がはやく忘れたいと思っているのだとしたら、蒸し返さないほうがいいのかもしれない。このまま余計なことは云わないで、楽しくお酒を飲んでいればいい? そうしたら彼は元気になれるだろうか? それとももしかして肩でも揉んであげたほうがいいのだろうか? 身体の疲れだけでもとれると、ちょっとは気分も向上できるかもしれない。
ちびりちびりと酒を舐めながら、神野はあれこれ考えた。
(篠山さんには、ここにいるのが近藤さんだったら、よかったんだろうな)
そう思うと、胸が痛む。でも自分は近藤ではないし、彼のようにもなれない。顔も体格も、声だってまったく違うのだから。
ここにもし彼がいたら、仕事に失敗した篠山をどうやって慰めるのだろうか。しかし彼のことをよく知らないので、神野にはまったく想像がつかない。せめて近藤のあの穏やかな話かたや微笑みだけでも、自分が真似してみるのはどうだろう。
「ほら」と云って、空になったグラスに篠山がかわりを注いでくれる。神野はお礼を云うと、それを勇気をだすための起爆剤がわりに、ぐいっといっきに呷った。
「うわぁ。お前、そんな飲みかたして、大丈夫なのか?」
「えぇ、大丈夫です。篠山さんも知ってますよね。私がけっこうお酒強いって――」
近藤はこんな感じで笑っただろうか、と神野は試しに彼の穏やかな笑いかたを真似してみた。目を細めふわっと口の端を綻ばせると、わかりやすく篠山が目を見開く。
(うまくできた…‥のかな? それとも違う?)
答えを探すかのように彼を覗きこむ。
(わからない)
心許なくて唇を咬む。次いで焦燥感に瞳が揺れてくる。それともそれはアルコールのせいなのか。
(このひとはなにをしてあげると喜ぶんだろう? ほかに自分にはなにができる?)
グラスのふちに、無意識に歯を立てる。
「ほら、貸せよ」
「あっ」
篠山に空になったグラスを取りあげられると、またつぎの一杯を注がれた。
「お前、今日はどうしたんだ? このあいだまでえらく機嫌悪そうにしていたくせに。顔だって出さなくなっていただろ?」
「それなのに今日は打ってかわってえらくご機嫌だな」そう不思議そうに云い、彼はおかわりの酒が入ったグラスをまた握らせてくれた。
「機嫌? べつに悪くはなかったですよ」
気づかれていたのかと思うと恥ずかしい。神野は俯いてグラスの中身を揺らすと、「篠山さんの気のせいじゃないですか?」ととぼけてみせた。
「……神野」
「――うぐっ」
名まえを呼ばれて顔をあげると、突如口の中に指を挿しこまれた。跳ね上がった肩をもう片方の手で押さえこまれる。
(なにっ⁉)
するっと簡単に入ってきた彼の指は親指で、――それはぬるっと神野の舌のうえを滑ると、つけ根いっぱいのところまで入ってきて止まった。
「んっ、んんっ」
反射的に、舌が彼のそれを包みこんでしまう。舌にさす苦味はたばこの味だろう。
「っう……」
いったいどういうつもりで、彼がこんなことをしてくるのかわからない。問いたくても咥えている指のせいで、言葉は発することができなかった。無理に話そうとすると、舌に圧がかかってしまって、彼の指の存在をより感じてしまうのだ。
「んんっ、んんっ」
撓められた唇の、彼の指の触れた部分がびりびりする。それは唇へのダイレクトな快感だけでなく離れた下腹部への甘い疼きも生んだ。
(や、だめっ、へんな感じになるっ。だめ、だめっ)
太い彼の指の感触と匂いと味にすべての神経が集中していく。本能なのか、自然にその肉棒をしゃぶりそうになってしまい、神野は舌を強張らせた。
「んんっ……、んっ……」
首を振ってもがいたら、もうひとつの手が頭のうしろを押さえつけてくる。強引に味わわされる官能に眦にじわりと涙が浮かんだ。
篠山の意図がわからなくて、せめてその表情だけでも確かめたいと眇めた目で彼の瞳をさがす。しかし覗きこまれてやっと彼の目を見ることが叶ったときには、もう彼がなにを訴えているかだなんてどうでもよくなっていた。
「――んんっ!」
視線があった瞬間にまるで全身が雷に打たれたかのように震えてしまったのだ。呻き声をあげた拍子に口の端から溢れた唾液が、顎を伝ってポタッと落ちていった。
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