44 / 56

第44話

 篠山がくすりと笑った。 「で、今日はいきなりやって来たかたと思ったら、手なんて繋いでくるし。ぐいぐいと迫ってもくる」  声が、一段、甘くなっているような気がする。その響きは心の琴線に触れ、つと、唾液につづいて、今度は涙までもが頬を伝って落ちていった。  指がやっと引き抜かれると唾液が彼の指へと糸を引いて、ぷつりと切れた。視覚を煽られて腰がびくんと震える。 「き、今日は、陣中見舞い、です。……おいしいお酒と、激励の言葉を述べに来たんです」  恥ずかしい反応をしてしまい、それをごまかすためにも一気にまくし立てた。自分にしてはうまく云えたんじゃないかと、手の甲で濡れた唇を擦りながら彼を見上げる。 「くくっ」と喉の奥で笑う篠山に、ひとまずはほっとした。 「お仕事が大変だって聞きました。篠山さんがいままでにないくらいに疲れているって。あの。私になんでも云って下さい。マッサージでもしましょうか?」  やや急せき気味で言葉を重ねてから、それが目指していた近藤の穏やかな話しかたとは全然違っていたことに気づいていったん言葉を止めた。 (落着いて。もっと、穏やかに――) 「……な……な、なんなら、せ、せ、」  しかし思ったはしから今度は吃ってしまって、神野は言葉といっしょに唾を飲む。喉が意外に大きくゴクリと鳴ってしまった。 「せ?」 「……もし、……ストレスの解消にでもなるんでしたら、……だ、誰かのかわりに、私のことだ、抱いても、いいですし……」  最後のほうはごにょごにょと、不明瞭になってしまった。それでも篠山はちゃんと聞きとれたようで。 「神野、お前、実はけっこう酔ってるな?」  そう云った篠山はいつのまにかソファーの上に転がっていたグラスを拾い、テーブルに置いた。 「酔っていません」 「いや、お前、酒強いわりには、弱いからな――」 「?」  強くて弱いとはどういう意味だ。首を傾げたときには、篠山の影に覆われていた。 「酔って気分良くなってくると、――エロいこと、したくなるんだよな?」 「そんなこと――」  ソファーのフレームに腕をかけて息がかかるほど近くで見下ろしてくる彼に、にやっと笑われる。神野はかぁっと頭のてっぺんまで血をのぼらせた。きれいに口角をあげて笑った彼に、色気を感じてしまったのだ。 「抱いてもいいんじゃなくて、お前が――、抱いて欲しいんだろ?」  ずっと火照っていた身体が、沸騰するのは簡単だ。勃起だってとっくにしている。きっと彼にもバレているだろう。 「……そ、そうです」  もう酔いのせいにしてしまおう。神野は篠山の首に腕をまわすと摺りよった。  逞しい胸に顔を押しつけると、身体の芯からぞくぞくする。そして興奮する肉体とは真逆に、心のほうは彼の匂いと体温に安堵させられ、ふわりと溶けていく。 (好き……、たまらなくこのひとが好き……)  ずっとドキドキうるさかった心臓も、これで爆発してしまいそうだ。  神野は篠山の耳に唇を寄せるとぎゅっと目を瞑って、強張る唇をひらいた。渇いて貼りつく舌を、無理やりに動かす。 「生きているうちは、いっぱい気持ちよくさせて、くれるんで、――ふあぁぁっ!」  しょ、と最後まで云い終わらないうちに、息もできないくらいにきつく抱きしめられていた。 「こ、ここで⁉」  ソファーに押し倒されて服の裾から手を入れられた神野は、慌てて篠山の胸を押しかえす。 「なんだ? だめなのか?」 「ベッドがいいですっ」 「はいはい、お育ちがよろしいことで」 「うわぁっ」   目を白黒させていると視界がぐるっとひっくり返り、いつかのように彼の肩に担ぎあげられた。「下ろしてください」と叫んでいるうちに、隣室のベッドへ到着だ。  自分をベッドのうえに下ろしヘリに腰かけた篠山は、リモコンで照明と暖房をつけた。しかし神野は彼の横から手を伸ばすと、灯りのほうだけを消してしまう。暗いほうが彼が本当に抱きたいひとを、想像しやすいはずだから。  「なんだ、消しちゃうのか? もったいない」  いつもすべてを彼まかせにしている自分が起こした行動に、珍しいと篠山が片眉をあげた。 「は、恥ずかしいんです」 「いまさら?」  篠山は神野から取りあげたリモコンで「でも、それは聞けない」と再度部屋を明るくしてしまった。そしてつぎつぎに着ていた服を脱ぎ捨て、あっというまに上半身裸になってしまう。 「ど、どうしてっ? 電気、消してくださいっ。あっ!」  篠山の逞しい胸から神野は目を背けた。 「さむっ」 (ひゃっ)  ぶるっと震えて自分の腕を抱きしめた彼が、寒い寒いと呟きながら寄ってくる。その勢いのまま腕を取られるとシーツのうえに押し倒された。ぎゅうっと正面から抱きしめられて緊張に息を詰めると、額同士をコツンとあわせられる。 「温めて」と囁いた彼に、そっと頬を触れられて――。 「――んっ」  そして落ちてきた彼の唇に、神野は人生ではじめてのキスを与えられた。  二度三度ずらしながら、篠山の唇が自分の唇の感触を確かめるみたいにして重なってくる。突かれたり咥えられて引っ張られたり、まるで悪戯をされているようだった。神野は硬く目を瞑って、それが過ぎるのをまつだけだ。  硬直した身体はピクリとも動かせないのに、体中のあちこちで鼓動が大きく刻まれる。脈動が皮膚を破裂させそうな勢いだった。 「お前、震えてる……、かわいいな」  彼の親指に顎をくいっと下ろされ、唇がうすくひらく。下の歯を指で擦りながらそんなことを云われても、返事なんてできはしない。 (いや、違う。声はだしちゃだめだ……)  声を出さずにいれば、そのうちこのひとは自分を近藤だと思うことができるのだから。  つぎのキスは、篠山の舌が口の中に入ってきた。 「ぅふうっ」  顎を抑えていた指に力が加えられ、閉じようとした口がぐっと固定されてしまう。 「――っ」  舌を絡められ、口蓋を舐め上げられ身を竦ませる。溢れてくる唾液はいったいどうすればいいのだろう。悩んでいるうちに自分の舌が彼の口の中へぎゅうっと吸いこまれてしまった。 「――っ⁉」  あまりの痛さに引っ込めようとすると、すぐになんでもなかったように解放される。彼がごくりと嚥下したのは自分の口腔から彼へと移された唾液だった。 (は、恥ずかしいっ)  それでまたペニスのさきがじわりと濡れた。下着の中はすでにどろどろだ。  キスは想像以上のものだった。身体も気持ちもぜんぶを震撼させ、彼が自分の中から出ていったあとには残念な気持ちを残した。 「キスもはじめてだったっけか?」  くすっと笑った篠山に涙に濡れた頬と、顎に伝った唾液をぺろりと舐められ、ぴくっと跳ねる。 (恥ずかしいぃ)  少しのあいだ逡巡した神野は、黙って頷いた。揶揄われるのは悔しいが、それでも篠山の表情がこうして和らいでいてくれるのら、そのほうがいいと思えたのだ。   やさしく見つめられてきゅんとする。あらためて彼のことを意識する。口の中で感じる新しい官能をはじめて自分に教えてくれたのが、篠山であってくれてうれしい。  照れ隠しもあって神野は一度彼の下から逃れると、チェストのうえのリモコンを手にとって照明を消した。  着ていたセーターもシャツも、自分でさっさと脱いでしまう。ボトムは悩んだけども着たままにしておいた。 「篠山さん、疲れているんでしょ? 私のことは構わないでいいので、あなたのいいようにして、終わったらさっさと寝てくださいね」

ともだちにシェアしよう!