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第52話
「まぁ、遼太郎には、その時にそう云ったのかもしれないけど。でもいまは、近藤については、そうじゃなかったんだって、俺にはちゃんと理解できているんだよ。それもさ、お前と出会ってこうなった……、からだ」
こうなった、とそこで篠山は背後から抱いている神野の首を捻って振り向かせると、濡れている頬に口づけた。
「わたし、……ですか? ひっく……」
「そうだよ。お前だよ。祐樹」
いままでに一度も口にしたことのない名まえを呼んでやり、お前のことだよとはっきり教える。口にしたのはまるでドラマにでてくるようなセリフだ。照れくさくってしょうがなかったが、彼にはこれくらいはっきり云っておかないといけないのだろう。
一番長くつきあった遼太郎にも、ましてや行きずりの男を口説くときにも使ったことのない、甘いセリフに、自分で云っていて歯が浮いた。
「お前といっしょにいると、なんかしっくりくるんだよ。とても心地いい。だから、できればずっと俺といっしょにいてくれないかな?」
「――好きって、私に、云ってくれるんですか?」
「ああ。好きだよ。これで三度目か? あと何回云えば、信じられそう?」
「私は、いろいろと能力が足りないみたいで。人間関係もうまく築けません。……自分の面倒さえちゃんとみられなくて、……いままでもずっとあなたの手を煩わせてきて――。とにかく出来損ないなんです」
「こら、卑屈なこと云うな」
赤い頬を抓む。
「それに、鈍くて、意固地で……、嫉妬深くて――」
篠山は喉の奥で笑った。
「ああ。もしかしてそれ、春臣に云われたのか?」
もし自分でそれだけ気づけたんだとしたら、鈍くはない。
「俺はそんな神野がいいんだよ。なぁ、俺を選べよ?」
「私は……なにもかもが、うまくできないんですが。じゃあ、恋愛だけは、うまくいっているって思ってもいいですか?」
「あぁ。俺を選ぶ限りはな」
「――篠山さんがいいです」
よしいい子だ、と篠山は彼の頭を撫でた。
「お目が高いね、神野は。これでお前のこのさきの人生は安泰だ。人間関係も生活もすべてがうまくいくこと間違いないよ」
「でも……」
篠山を覗きこんできた顔は、おもしろいくらいに涙と鼻水でくちゃくちゃだ。しかもまだ、時折しゃくりあげている。
「篠山さんは手のかかるっ、私といたら、ふ、負担が大きいですよ? ……いいんですか?」
「あぁ、いいんだよ。俺な、気づいたんだけど。お前くらい手のかかる相手やつのほうが、恋愛対象に向いているみたいなんだ」
いま思えばそれが近藤に手を出さずに終わり、遼太郎とつづけていられなくなった理由なのだろう。
「遼太郎は俺にはしっかりすぎているし。近藤も然りだ。あいつは俺にとって特別だけど、やっぱりそれは友だちとしてってことで、俺にはお前くらいにちょっとややこしくて、面倒で、手のかかる男が、恋人としてちょうどいい」
俯こうとする顔をあげさせて、咬んでいた唇を抓んでむにっと寄せる。そして額同士をコツンとぶつけてしっかり目をあわせた。
「――わかったか?」
「はい」
「ほかになんか云いたいことや、訊いておきたいことはない?」
「……遼太郎さんと、――しているの、見てしまいました」
「見たのか? って、えっ? どうやって?」
(まさかあの時扉を開けられたのか?)
いくら最中だったとは云え、扉を開けられて気づかなかったなんてことがあるのかと驚く。
「申し訳ありません。こっそり開けて、覗いちゃいました」
しかしあとにつづいた彼の説明で、なるほどねと苦笑することになる。
「あ、あぁ。そういうことね。……こっそり開けたって、お前、意外と大胆だな」
「ごめんなさい」
しゅんとして神野はまた俯いた。
「あれは、まぁ、ごめん。もうしない」
顔を覗きこんで謝ると、神野は身体を捻る体勢から横座りに座り直して、ふたたび胸に顔を埋めてきた。
「あれをみて、私はショックで。でもはじめはなんでショックを受けているのかが、わからなかったんです。遼太郎さんはキスされたり、身体、いっぱい触ってもらっていて。でも、そういうのが羨ましいんじゃないって、それだけはすぐにわかりました」
えらく長々と覗いていたんだな、と呆れながら問う。
「で? わかったのか? なんだったんだ?」
「遼太郎さんは、篠山さんに愛されているんだって。――そう気づいたら、もう。自分がいままで篠山さんとしていたものとは、ぜんぜん次元が違うんだって。悔しくって、悲しくて。……それで……篠山さんのこと、好きなんだって、気づきました」
そんないじらしいことをどんな顔をして云っているんだと、身体を離して神野の顎をとると、彼はまた鼻をスンと鳴らした。恥ずかしそうに視線を下げているが、その目の縁は真っ赤で睫毛は涙でびっしょりだ。
僅かに開いた口の隙間から赤い舌が覗いて、それがちらっと閃めいた。顎に置いていた指を取られたかと思うと、うっとりとした表情でそれを舐められた篠山は、彼のこの鼻を蠢かす癖が、たばこの匂いに反応してのことだと、はじめて気づいた。
「ベッド、行くか?」
「あの、じゃあ、俺にも遼太郎さんとしていたようなの、してください」
篠山は、その勘違いに困ったなと眉根を寄せて頬をかいた。
神野に愛撫を施さなかったのは、ただ単に男とやる癖をつけさせないように、気を遣っていたからだ。それで彼にたいする愛情がなかったと思われるのは心外だった。むしろ彼のことを想ってしたことなのだから。
「昨日みたいな、近藤さんのかわりとかじゃなくて、ちゃんと私のことみて、私のこと愛しているみたいに、してほしいです」
神野のことを近藤のかわりになんかしたことはない。これも彼の思い違いだ。
「でも遼太郎さんや春臣くんに注ぐみたいな、あんなやさしいだけの愛情では、もう嫌だって。――やさしいだけじゃなくって、私のこと奪うみたいにしてほしいって、恋して、愛してほしいって、そんなこと思ってしまって――」
だから、鈍いと云うんだ。
興奮でいっそう朱色を穿いた目もとに、そしてなんども咬んで赤くなっていた彼の唇に、篠山はキスを落として、そうして、「ばぁか」とつけくわえてから、「はじめて抱いたときから、ずっとお前のことは愛しかったよ」と、白状した。
「……でなけりゃ、そうなんども抱くかよ。それとも俺がひとの弱みにつけこむほどの、色情狂とでも思っていたのか?」
そのセリフに頷こうとした神野の鼻の頭を、お仕置きにかわりにひと齧りすと、彼を抱きあげて、ベッドに運んだ。
疲れていてすぐにでも寝てしまいたいはずなのに、それでも興奮してしまった身体は、治まりそうになく情欲を燻らせている。
それにこのままじゃすませられないのは、神野もおなじだろう。ベッドに下ろした彼は服を脱ぐ間も待てないとでも云うように、四肢をからみつかせてきた。張った股間も窮屈そうなので、さきにベルト外し、フロントを寛げてやる。
「悪い、俺もう、もって一回だ」
若い男の期待に満足するまで応えてやれそうにもないとさきに謝ると、本人には自覚がないようだが、神野はあからさまにがっかりとした表情になる。
「疲れているし、眠いんだよ。誰かさんが、俺が好きだって云ってるのに、なかなか信用しないもんだから――」
そこまで云うと、泡てふためいた神野が身体を起こした。
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