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新しい命 4

*** 「さぁ、湯を沸かして。沢の綺麗な水も多く汲んできておくれ」 「なぁ、ミイナ。焚き火の火は、もう少し強めた方が良いか?」 「ああ、それも頼んだよ」 「任せとけ!」 妊娠が分かってから半年以上が経ち、いよいよイオリが産気づいた。 里の村から犬神の棲う山奥の地に泊まりがけで赴いて出産の立ち会いをしてくれる産婆のミイナは、段取り良くヤトに手伝いを頼むと自身の両手を念入りに沢の水で洗う。 沢の脇に柔らかな枯葉を敷き詰めて即席の寝床を拵えると、そこに苦しみ悶えるイオリを寝かせた。 荒い呼吸を繰り返しながら、激しい痛みに叫びや呻き声を上げ続け、顔色はすでに真っ青になっている。 陣痛の感覚も狭まってきているので、ミイナは寝床の脇にオラガを呼んだ。両性具有であるイオリの腹の中で子がどこまで育っているか不明瞭であることや、出産の途中で母子ともに命を失くす危険があることも手短に伝えると、ミイナは洗い立ての布を細く折り、それをイオリの口に咬ませた。 いきみなどの際に弾みで舌を噛んでしまわないようにとの配慮である。 「オラガ様、イオリに声を掛けながら両の手を握っておってくだされ。爪を立てられたりもありましょうが、イオリ自身はあまりの痛みに半分正気を失っとります」 「ミイナ、子は無事に産まれるだろうか?」 「犬神ともあろうお方が、何というお顔をなさっておいでです。安心なされ、きっと御子は無事に産まれましょうぞ」 必死に痛みに耐え、脂汗と涙を流しながら苦しむイオリの姿を見て、オラガ自身も生きた心地がしなかった。 人間は些末なことで命を落としてしまうのだと、その事ばかりが先ほどから幾度も頭の中で反芻されている。 「イオリ、俺が傍にいるぞ。頼む、頑張ってくれ」 あああっ、と金切り声のような悲鳴を上げるイオリの両手を力一杯握り締めて、オラガも歯を食いしばった。大事な人が苦しんでいる姿を見ながら何も出来ない無力な自分が情けなかった。 「一人目の頭が…!イオリ、そのまま強くいきんでごらん!」 「イオリ、もう少しだ!」 ミイナが赤子を取り出す準備を始めるのを呆然と眺めていたオラガの隣に、沢の水を汲み終わって戻ってきたヤトも腰を下ろす。 「父様、イオリの様子が変だ!」 そして、血相を変えて悲痛な叫びを上げた。先ほどまで呻いていたイオリが気を失ってぐったりとしている。オラガに握られたままの両手からもくたりと力が抜けた。 「イオリ!!しっかりしろ!」 「ミイナ!イオリが…!!」 「ああ、いかん!イオリの顔に水をかけて起こしておくれ!早く!!」 早口でまくし立てると、ミイナは慌てたような手つきで、手元にあった土器に沢の水を注いだ。そうして、呆気に取られて固まっている犬神の父子には目もくれずに容赦なくイオリの顔めがけてザバザバと水を掛けていく。 「ミイナ…?一体、何を…!」 「母親が気を失うと、産道にいる赤子が窒息して死んでしまう!何としても早めに出してやらないと母体にも負担がかかってイオリの命も危うくなるのですぞ!」 ものすごい剣幕で怒鳴られて、ヤトの方がびくりと身を震わせた。オラガの方は状況が分かったらしく、必死になってイオリの頬を軽く(はた)いたりして起こそうと躍起になる。 束の間の失神のあとで意識を取り戻し、再びいきみ続けると、暫くして一人目の赤子が無事に産まれ出て産声を上げた。 恐る恐る抱き上げたヤトの腕の中で、火がついたように泣き声を上げる。 それから間もなくして二人目も無事に産まれた。宵闇のなか、朧気な月明かりに照らされた沢の辺りには赤子らの産声が賑やかに響き渡っていた。

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