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797day wed 5/17
全て断ち切ると言っても、同じ会社に在籍している以上できることには限りがある。
しかし、出来るだけのことはした。携帯番号やメルアドの変更、ラインIDの削除。良い機会だから引っ越しもした。
これは自戒だ。少しでも繋がる手立てを絶っておかなくてはならない。
もらった服や食器、本も桐生が持ち込んだものは全て捨てたが、あのブレスレットだけは捨てられなかった。もうつけることはないが、机にしまってある。
未練がましいな……もう少し、もう少し気持ちの整理がついたら捨ててしまおう。
時々見かける桐生の横顔はあの柔らかい雰囲気を残したまま、少し精悍になった気がした。表情も悪くない。
全て良い方に向かったのだろう。
喉元に飲み込んだままになっているような、この苦い詰まりもいつか瓦解する。自分が望んだ美しいプログラムが完成するはずだ…。
・・・・*・・・・*・・・・*・・・・
休憩室で缶コーヒーを飲んでいると、桐生が入ってくるのが見えた。向かいの席に背を向けて座った。立ちあがり部屋を出ようとするとそれを制するように、桐生が大きな声を出した。
「これはひとりごとですから!」
思わず動きが止まってしまう……。
「2年の間、自分がどれだけ酷いことをしていたのかやっと解りました……いや、まだちゃんとは解っていないかもしれない。だから……同じ2年、いえ5年、10年かかっても構わない。絶対にあなたに示して見せる。俺にとって何が幸福なのかを。俺はしつこい営業なんです。そして今まで一度もしくじったことはありません」
一息で言うだけ言うと、桐生は部屋から出て行ってしまった。
立ちすくんだまま、体が金縛りにあったように動かない。
……なんだよ。俺がどれだけの決意で、その手を離したと思ってるんだ……また同じ地獄を味わえって言うのか……?
お前は解っていない。これをひっくり返せば、本当に後悔するのはお前の方だ。せっかく手を離してやったのに……。
お前は馬鹿だ。
・・・・*・・・・*・・・・*・・・・
家に帰りたくない。
外にいる時はいいけど、帰ると堪える。
着替えるのも面倒くさくて、鞄を投げ出すとそのまま無気力にベットに横になった。
久しぶりにあの人と話したな。
まあ、一方的に喋っただけなんだけど……。
ごめんなさい。
まるでストーカーだ。
呆れてるだろうな。
ますます嫌われたかもしれない。
当たり前だけど、あの人は俺の買った服は一切着ていない。
携帯もメールも住所も変えてしまった。
調べようと思えば調べられるけど、そんな事してもしょうがない。
あのブレスも捨てちゃったよね。
全部全部俺と一緒に捨てられちゃったのかな……。
俺はあんなに自分を思ってくれた人を手酷く傷つけたんだ。
捨てられて当然だ。
あんな事を言ったけど、本当は自信なんて全くない…。
もう俺のひどい性格バレちゃったし、深森さん子ども大好きそうなのに俺とじゃ子どもも出来ないし、どうしよう……やっぱもうダメなのかな……。
可愛い人を見つけて結婚して子どもを作ってあのお母さんに孫の顔を見せたいだろうな……あーー俺あの人の人生の邪魔でしかない。
なんで、あんな事しちゃったんだろう……もっともっと優しくして俺のこと少しでも必要って思ってもらえたら、ずっと側にいることを許してもらえたかもしれないのに……。
手酷く傷つける度に、揺れる瞳を見るのが堪らなく嬉しかった。もっともっと俺じゃなくちゃダメなんだって言って欲しかった。自分の事しか考えてなかった。何をしても、あなたは絶対俺の手を離さないって思い上がっていた。
5年、10年かかってもいいって言ったのは本当だけど、そんな長い間、あなたの側に誰も居ないなんて訳ないよなーー。
どうしよう……あの人が誰かを抱きしめたら……。
大好きな人ができたら……。
痛い……どうしようもなく胸が痛くて涙が出た。今頃気づいても遅い、自分が思っているより、ずっとずっとあの人のことが好きだったんだ。
もしもあの時、あの人が同じくらい自分のことを思ってくれていたとしたら……ほんとに俺は最低の男だ。
「深森さん……お願い……」
俺のものじゃなくていいから……誰のものにもならないで……。
・・・・*・・・・*・・・・*・・・・
帰って電気をつけると部屋はひんやりとしていた。
駅前で夕飯代わりに買って来たつまみを机の上に置いた。週末じゃないけど今日は酒が飲みたかった。
あいつがあんなこと言うからだ……。
弱いな……あれくらいのことで、もう動揺している。
まだ開けてない引越しの時の段ボールが積まれている新しい部屋。新築だからか建材の匂いが抜けきっていなかった。ここには桐生の痕跡は何もない。そのために何もかも新しくしたんだ。
ひとり酒を飲みながらつまみを食べる。以前の気ままな生活に戻っただけだ。なのに次第に静かすぎることが息苦しくなってきてテレビをつけた。お笑い番組が映ったが目で追うだけで、ちっとも頭に入ってこないし笑えなかった。
声を聞いただけでこの有様だ。情けない。
もしかしたら……と自分に都合の良い解釈をしてしまいそうになる……絶対にダメだ。あんなにキツい思いをしたのを忘れたのか……戻ればまた同じことを繰り返すのは目に見えている。あいつは今寂しいだけなんだ。ここを越えれば本当に好きな相手に巡り合う。
飲んでも飲んでも酒が苦い。
……俺は? 俺もこれから誰かと巡り合うんだろうか? 考えられない。まだこんなに苦しくてお前で心が占領されているのに……。
『深森さん……』
甘ったるいあいつの声が蘇る。
『嬉しいんだ? 俺に抱かれて……』
頭を振っても内側から響いてくるような桐生の声。どうしようもなく体が熱くなる。桐生の唇がなぞった跡を辿るように指で自分の体を触った。
『俺が育てた体なのに……』
嘲笑するような冷たい桐生の声。
ああ、ホントにな。自分でどうやっていたかも思い出せないくらいお前の細くて長い指の感触しか覚えていない。
勃ち上がったものを手で慰める。
もどかしい……足りない……お前に触られたい。
『他の男を咥えこむのかな……』
無理だ。お前がいいんだ。自分から手離してしまったけれど……。
思い切り突き上げられて、揺さぶられたい。本当に俺のことを愛してると信じていたあの時と同じ幸せな気持ちで……。
吐き出したものと一緒に生ぬるい涙が落ちた。
本当にいつか……俺はこの呪縛から逃れられるんだろうか……。
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