20 / 142
第20話「ビルの上」
コンビニで買った酒の瓶を手に、地下駐車場からエレベーターに乗り込んで、屋上行きのボタンを押した。
「、、、」
芽依の住むこのマンションの屋上は誰でも出入りできる。
見晴らしが良い為、許可を取れば使える住人用のバーベキューセットが置いてあり、ベンチやハンモックが常設された展望台になっている。
芽依は1人、エレベーターの中で機体の動きに合わせて揺れながら、ぐんぐんと屋上へ登って行った。
「竹内さん、考え過ぎはだめっスよ。ここんとこ遅くまで撮影続きだったし、絶対疲れてるだけです。そんな暗い顔なしっスよ!」
まさか歳下の松本からそんな発言が出るとは思ってもいなくて、芽依は自分が惨めで情けなくなり、余計に嫌になった。
携帯電話をズボンの尻ポケットから引きずり出し、エレベーターの中に座り込んだ彼はタッチパネルに触れてLOOK/LOVEを見た。
時刻は0時55分。
何の通知も来ていない。
撮影後に中谷の運転する車に乗りながら雨宮へ他のアプリで気になるボタンを押し、帰って来てからまた別のアプリでも押した。
そして今度はLOOK/LOVEで作った別のアカウントで、今、気になるボタンを押しておく。
「、、、はあ」
どうせ返信はない。
帰って来てからしばらく寝ていたのだが、目覚めてすぐに酒を飲もうと思ってコンビニまで歩いて行った。
撮影スタジオから帰って来た服装のまま、手も洗っていない。
芽依は散々だった現場を思い返すと吐き気すら浮かぶ程、明日の撮影にプレッシャーを感じていた。
(もう無理だ)
屋上を目指している理由はひとつだった。
飛び降りて死ぬ為だ。
やりたくもない仕事をやらされている感覚も、何もかもが上手くいかない人生も、諦めなければならないものが多過ぎる自分の生き方も大嫌いになってしまった。
ポーン、と高い音がして、エレベーターが屋上へ到着する。
芽依は壁に背中をずって立ち上がり、フラフラしながら屋上へ一歩踏み出した。
「はあ、っ」
ゴォオ、と強い風が身体を揺さぶり、澄み渡った空気が目の前に広がっている。
暗い空を見上げると、都会ながらにも少しだけ星が見えた。
「ばっかばかしいな、俺の人生って」
悲劇の主人公ぶりながら、芽依は買ってきた酒を開けてグビ、とひと口飲み込む。
口内を冷やしてシュワシュワするその酒を喉に流し込むと、口の中にアルコールの怠さが広がった。
酒臭い吐息が漏れる。
すぐそこに柵があるところまで歩いて行き、常設されているベンチに腰掛けた。
いくつもの眩い光が眼下で輝いている。
ビルの窓から漏れる連なった明かり、何処かの遊園地の観覧車、住宅の点々と別れた光、道路脇に整列した街灯達と、様々だ。
他に人は居らず、貸し切りで眺めを楽しめた。
けれど、風に当たっても星空を見ても、夜景を楽しめたとしても、芽依の心は晴れなかった。
「死のう」
低い声でそう言ったが、歩き出す勇気が出ずにまた口を閉じた。
喉の奥でしゅわしゅわと音がしている。
(最後にジェンと話したかったな。泰清にも、荘次郎にも。中谷は、、まあ、最近他の俳優のマネージャーもやってるみたいだし、仕事には困らないよな)
思い浮かぶ人間達に心の中で別れを告げていく。
こんなに高いマンションの屋上でも何だかんだ車の音が聞こえてきて、思い浮かべている皆んなはどこにいるのだろうと考えたりもした。
両親と姉、妹の顔が浮かぶと、流石に少し泣けてくる。
(ばあちゃん、じいちゃん。先に死ぬよ。ごめんね)
祖父の事を思い出すと、喫煙所で卵サンドを食べないかと誘いに来た魚角の笑顔が脳裏に蘇った。
優しくて暖かくて大きい人だったな、と、芽依はぼんやり空を眺めながら、思い出と酒を空っぽの胃に流し込んでいく。
「マズ、、」
甘い酒を飲むたびにそんな風に思えて、誰も聞いていないのだからと思った事は全部口に出した。
「あーあ、友達になりたかった」
どうせ返信は来ない。
そうだとしても、ひと言でいいから謝りたかった。
もう一度だけ会って、顔を見たかった。
今ここで大声で謝ったら、身体に当たるこの強い風に乗って、「ごめんね」が雨宮のところに届かないものだろうか。
そんなロマンチックな事まで考えてしまう。
「友達になりたかった!!」
少し声を張り上げてみたが虚しいばかりで、ゴオッと吹いた風に乗るどころか、声はかき消されていった。
「、、雨宮さんと友達になりたかった」
やはり最後に浮かんだのは、MEIが嘘だと知ったときのあの絶望した雨宮の顔だった。
掴めなかった袖のグレーばかりが頭の中をよぎっていって苦しくなると、芽依は表情を歪めてまた空を見上げる。
「なれるわけねえけど」
芽依は立ち上がり、柵のところまで歩いた。
ベンチに酒の瓶は置いたままで、携帯電話はズボンの尻ポケットに入れて、胸の高さまである柵の手すり部分を掴み、グッと身体を持ち上げる。
ドカッ
柵を乗り越えて着地すると、重たいブーツの音が響いた。
「はあー、、」
酒臭い息を吐いて、マンションの一段高くなった際へ上がると、目の前に広がる死に身体が震えた。
(本当に死ぬ。ここから飛び降りたら)
眼下の街並みは恐ろしく遠く、歩いている人間が微かにしか見えない。
ゴク、と喉が鳴った。
酒の瓶はベンチに置いて来たのに喉が渇いて仕方なく、芽依は脚が震え出したのを感じながらその場に座り込んだ。
(せめて、もっと普通の人生を選んでれば良かった)
高校1年生で事務所に入り、2年生のときにジェンとユニットを組んだ。
「ジェンて芸名?」
「ううん、本名。メイって本名?」
「うん、本名」
そんな会話が1番初めだった。
絶対合わない、きっとすぐ芸能活動も終わる。そんな事を思っていたのに、見た目の涼やかさと違って気持ちは熱く、冷たく見えていたのに優しく自分の隣を歩いてくれる彼といるのが、芽依は楽しくて仕方なかった。
ジェンと駆け抜けた数年間は芽依の人生で何よりも素晴らしく、輝かしく、何より澄んだ世界だった。
(何でいないんだよ)
もう何年も前から、芽依の心はボロボロだった。
ともだちにシェアしよう!