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第74話「新しいメッセージが届きました」
「それだけ?」
「は?」
芽依が求めるような視線で見上げても、鷹夜は眉根を寄せて首を傾げるだけだった。
「あっ、えーと、、もっと驚くかなあ〜?って思ってたから」
「いや別に、、あー、実は一昨日の電話のとき女の子の声聞こえてたんだよね」
「え」
グビ、とサワーの缶を傾けて最後の一口を飲む。
唇を舐めた鷹夜は狭いワークトップに缶を置くと、ゆっくり元の位置、芽依の隣に腰掛けてテーブルに頬杖をつき、付けっぱなしのテレビを見つめた。
好きな芸人が出ているコント番組が映っている。
「女の子といるって分かってたのに、何で怒らないの」
「何で怒んなきゃいけないの。ん、あはは」
テレビを見ながらの片手間な会話。
その態度に苛立ちが芽生える。
芽依はこちらを向いていない彼の横顔を睨むように見つめて、鷹夜はそれを知らずにコント中の芸人のキレのあるツッコミに笑った。
「俺とのゲーム漬けの夜は!?とか思ったけど、まあ別にお前はお前、俺は俺だし」
「、、、」
「言うこと、言わないこと、感じ方、考え、全部違う訳だし、いいんじゃん?俺に秘密は持つなとか言う気ないしそんな義務ねーよ」
ふあ、と小さくあくびをする彼を見つめて、どうしてそんなに呑気なのだろうかと思った。
「彼女ができそう」と言っても余裕でいて、「やったな!」なんて言ってくる。
そうだ。
芽依が期待していたのは「そんなのいやだ」と言ってくれる筈の鷹夜だったのだ。
(え、何これ、何か、俺の方が大切にされてなくない、、?)
心臓がうるさい。
「そ、か」
芽依は小さく返事をすると俯いて、背中を丸めて縮こまった。
急に居心地の悪くなった部屋の中で、テレビの音だけはずっと聴こえている。
「あ、じゃあ鍵返すよ」
「えっ」
芽依が言おうとしていた事をすんなりと鷹夜が言い始めた。
(何で、)
もっと寂しがる想像をしていた芽依は鷹夜の反応に驚愕しつつ、目を見張っている。
彼は会社用に使っている革の鞄を座ってる自分の元まで引き寄せると、中を漁り、チャラ、と音を立ててキーホルダーについたそれを取り出した。
「はい」
カチンと音を立てて金具から芽依の部屋の鍵を抜くと、ニコ、と笑って差し出してくる。
「、、ん」
芽依はそれを受け取り、やはりまた俯いた。
返してもらおうと思ってここに来た筈なのに、どうしてだか納得ができなかったのだ。
あまりにも呆気なく手元に戻ってきた合鍵に、ズブズブと黒く嫌なものが胸の中に溜まり始める。
もっと特別な相手だと思っていたからだ。
鷹夜にとっての自分が。
「じゃ、俺のも返して」
「え?」
耳を疑うような発言に見を見開いた。
鷹夜はキョトンとしていて、悪気のある表情はしていない。
「え?必要ないかなーって。彼女出来るんだし、うち来るより彼女の家行くだろ?」
「、、、」
「ん?、、あ、いやなら持ってていいけど」
「も、持ってたい」
まさかそう来るとは思っていなかった。
思わず表情を歪めた芽依に、鷹夜は「うん?」と疑問を浮かべる。
(まあ、別にいいか)
持たせている理由も、返してもらう理由も特にはないのだ。
毎日会いたいと言ったのは向こうで、一々気を遣うのが面倒だったから鷹夜は鍵を渡した。
彼女ができるなら何か勘違いさせてはいけないと思って返せと言ったのだが、それは拒否された。
彼がその結果で彼女と揉めないのなら、鷹夜としてはどうでも良かった。
「どんな子?」
「え?」
「彼女。に、なりそうな子?」
「あ、えっと、、鈴野冴って分かる?」
「あー?何だろ。なんか聞いたことある」
「子役のときの方がテレビ出てたかも」
芽依は様々な疑問や不安を抱えつつ、それを誤魔化すように鷹夜に冴の事を話し始めた。
「何か、純粋無垢って感じの子で可愛くてさあ」
「芽依くんはあれだよな、純粋で素直で裏のない子と付き合った方がいいよな。ピッタリじゃん、鈴野さん?」
「だよね!?俺もそう思う。子役で忙しかったり、仕事なくなってから最近モデル活動始めるまでは家の苦労が多くて恋愛どころじゃなかったらしくてね。手繋ぐのもドキドキするんだって。めっちゃくちゃ健気で可愛い」
「ふうん。芸能人でもいるんだなあ、純粋な子って」
嬉しくて話している筈なのに、口から砂でも吐いているような気分だ。
冴は紛い物でもないのに、自分が喋るこの人物が本当にいたかどうかが危うい。
芽依は自分の気持ちを紛らわせる為に彼女の話を彼にしている。
冴と言う存在が出来た事に対して喜ばれてしまった悲しさを誤魔化す為に。
時刻は23時になろうとしていた。
「あ、風呂入れてくるわ」
「ん」
鷹夜は1人暮らしだが風呂に入るのが好きだ。
平日はシャワーで終わらせている分、温まって身体をほぐしてから寝たいからと休日は湯船に湯を張る事が多い。
そう言って立ち上がり、リビングと廊下のドアを開けると、取っ手を下まで下げた瞬間にビシン!と音が鳴った。
このドアを開けると大体この音が鳴る。
次にユニットバスの浴室のドアを開けて中に入ると、鷹夜の姿は見えなくなった。
(何で悲しいんだろう、俺)
芽依の頭の中に疑問が蘇ってきた。
芽依は鷹夜に冴とのことを反対して欲しかった。
反対されても押し切って彼女と付き合う気でいたが、「そんな女はやめておけ」と言う口論になって、鷹夜がどれだけ自分を思っているかが知りたかったのだ。
友達として、嫉妬して欲しかった。
(何だよ、、俺のこと好きって言ったくせに、彼女出来る事に対しては賛成なのかよ。ジェンは、)
ふと、あの銀色の髪を思い出す。
(ジェンは嫌だって、、俺とお前の時間が減ったり、俺とお前以上の奴ができるのは嫌だって言ってくれたのに)
「、、、、」
佐渡ジェンと竹内メイは周りが驚く程に仲が良く、お互いに恋人が出来るたびに小さな衝突をしていた。
デビューしてから先に恋人ができたのは芽依の方で、無論そのときのジェンはロクに口を聞いてくれなくなる程に彼に対して怒り、そして何度も喧嘩になった。
2人での芸能生活なのだから、何かあってからでは遅い。別れてこい。
初めにそれを言われたときは、芽依自身、訳が分からずキレ散らかした。
あらゆるものが「上手く」なるまでは恋人を作らない方がいい。ジェンの言う事は最もで、それがまたムカついたのを覚えている。
(確かに俺と鷹夜くんはコンビ組んでる訳でもユニットでもないけど、でも!)
それでも、ジェンがいた位置に鷹夜を置いているのだから、同じように反応して欲しかった。
彼はそうするべきなのだと言う考えが拭えない。
「、、、あれ?」
ジェンがいる位置に、芽依は鷹夜を置くと決めたのだから。
「ジェンの、」
ずっと空白だった席に、無理矢理にでも彼を座らせると決めたのだ。
毎日一緒にいて、優しくしてもらう為に。
「、、、ジェンの代わり?」
ふと、顔を上げた。
やっと気がついた自分の行動は、心底情けなく、気持ちの悪い行為だった。
(俺はずっと鷹夜くんをジェンの代わりにしたくて、だから近付いてたのか?隣りを埋めるため?それって、じゃあ、遥香ちゃんが言っていたことが事実なんじゃないか)
ジェンのいない寂しさを誰かで埋める事。
恋人でも友人でもない。
彼の代わりをずっと、芽依は探していたのだ。
(え、なに、、なに、やめろよ、だって、)
内村栞と結婚しようと思ったのは、ジェンのように甲斐甲斐しく健気に自分を支えてくれたからだ。
もう二度とそれを、その役を、その位置の人間を、失いたくなかったからだ。
(それもようは、ジェンの代わり)
何もかもが、「佐渡ジェン」に結びついて行く。
あの眩しい銀色の髪に絡め取られて行く。
芽依の中で何かがガチャガチャと崩れ始めた瞬間、ブブッと、目の前で音がした。
「ん?」
自分の携帯電話の音だ。
身体が勝手に反応してテーブルの上に置いたその画面を見たが、暗いままだ。
そして音は、そこからではなくもっと右から聞こえた。
(鷹夜くんのケータイ、、)
動揺していたからか、人様の携帯電話はあまり見ないようにしている筈なのに、芽依の視線はするりと滑って鷹夜の携帯電話の画面を見つめた。
「、、、」
それはいつもなら画面を下にして置かれているのに、今日は上を向いている。
「、、、」
見覚えのある通知に嫌な予感がした。
思わず手に取ってホームボタンを押すと、消えかかって暗くなりかけていた画面がパッと明るくなる。
[新しいメッセージが届きました]
液晶には、見覚えのあるLOOK/LOVEからの通知が表示されていた。
「、、俺じゃない人と、やりとりしてる?」
恐れていた事態が目の前にある。
アプリの運営からなら「LOOK/LOVE:新しいメッセージがあります」と表示されるのだ。
これは違う。
誰か、とは表示されていないものの、自分ではない他の誰かからメッセージを受け取っている証拠だった。
「何だよこれ」
絶望と怒りが胸を襲った。
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