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第81話「ここまでおいで」

「お前さあ、何かあった?」 「え?」 金曜日。 久しぶりに駒井と2人きりで飲みにきていた。 暗い照明の、雰囲気のあるバーの店内にいる。 瑠璃のお気に入りの店で、この後ここで合流する事になっているのだ。 「鷹夜さん、おかわりは?」 カウンター席に座った2人はどちらもバーテンダーの女性に顔を覚えられている。 中々の常連と認識されているらしく、先日名前を聞かれて喋るようになった。 「あ、お願いします」 鷹夜はオレンジを使ったカクテル。駒井は生姜のシロップを使ったものを飲んでいた。 空いたグラスを下げられ、同じものを作ってくれる彼女の手元を見ながら、鷹夜は口を開く。 「何かってなに?仕事?なーんもねえよ。忙しかったけどね」 「そうじゃなくて、プライベート?で、何かあったかって聞いてんだよ」 グラスに口をつけながら駒井がチラリと隣を見ると、鷹夜はカウンターの中に並んだ酒の瓶を見つめながらぼーっとしていた。 「んー」 「何かあったのね。はい、話せ」 明日、明後日と予定通りの休日になる。仕事が忙しかった最近からすると、これは久々の事だ。 鷹夜はゆったりとした金曜日を満喫していて、腹も満たされ、今は少し眠いなと思いながら酒を飲んでいる。 無論、芽依と会わなくなったあの日から彼を思わない日はなかった。 何をしていてもふと思い出される。 テレビでもよく見るようになってきた。もうそろそろドラマが始まるからだろう、バラエティ番組の出演も増えていた。 「あー、何かあったと言えばあったかなあ」 おかわりで来たオレンジを使ったオレンジ色のカクテルのグラスが目の前にスッと出される。 バーテンダー・漆原(うるしばら)が鷹夜に向かってニコ、と笑い掛けると、カウンター席の上の天井から垂れ下がっているペンダントライトの淡い光にその顔が照らされていた。 「鷹夜さん、悩みとか人に言わないこと多過ぎますよ。たまにはお話ししてみては?」 「あはは」 「だってよ。漆原さんも言ってることだし」 「あー、うん、、うん」 あの日から、鷹夜の世界はまた影ってしまったようだった。 柄にもなく毎日続けていたどうでもいい内容のメッセージのやり取りや、寝る前にかかってくる電話。あんなものでも、鬱陶しく思った日もあっても、それらが自分の生活に馴染み、日常の小さな癒しで幸せになっていたのだと今更ながらに理解した。 そしてそれがなくなったのだと実感していて、最近、どうにも気分が上がらない。 「アプリでさ、」 「あれまだやってんの?」 「聞けよとりあえず」 相変わらずよく喋るな、と鷹夜は迷惑そうに駒井を睨んだ。 向こうはいたずらな顔で笑っている。 「男だったって言っただろ、最初に会った子」 「あー、うんうん。覚えてる」 「黙ってたんだけどさ、その子と友達になったんだよ、あの後」 「はあ?」 ああ、やっぱり。 駒井は笑いはせず、表情を歪めて鷹夜を睨み返した。 彼の頭の中にはきっと、日和のことが蘇っている。それから多分、古市のこともだ。 「お前また、、そういうさあ、」 「きーけって!大丈夫だったんだよ、悪い子じゃなくて、何で騙したのかとかも聞いたし、めちゃくちゃ謝ってくれて、その上で友達になったの」 「はあ、、あー、まあな?うん」 納得はいっていなさそうだが、駒井は返事だけは返してくれた。 店内には小さな音でジャズが流れていて、周りの客達も静かにお喋りをしている。 コソコソ、クスクス、止めどなく店内の至る所から声が聞こえてきた。 「でも何か、結局似てきてさ、古市に」 「、、、」 駒井は正直、「やっぱり」と思っている。 鷹夜と言う人間は変な人間に絡まれる事が多いのだ。 変と言うより、異常な。 「でもさあ、何か違うんだよ」 「んー、何が」 「古市がいなくなったとき、あーやっと自由になれたって思った。やっとストレスが消えた。もう誰かに支配されるのは終わりだ、やったー!って感じ」 「実際そうだったからな。お前優しくし過ぎたんだよあいつには」 「わかってっからあ〜、本当にそれは分かってっからあ〜〜」 カクテルグラスを避けながら、鷹夜はカウンターに腕を伸ばして突っ伏した。 「でもさあ、楽しかったなあ、しか思い出さないんだよ、その、、アプリの子」 一瞬だったとしても、鷹夜の世界を彩った人間のあの眩しい笑顔が蘇ってくる。 有名俳優のくせに、一般人の自分相手に緊張して震えていた姿。 本気で謝られたこと、本気で一緒にいたいと言われたこと。 合鍵を渡したときの嬉しそうな顔。 もう全てが遠くに行ってしまったと言うのに、鷹夜の中で、それは愛しい日常の断片でしかなかった。 比べるのすら申し訳ないが、古市と過ごしたときのように、常に影を孕んだような不安定さがあった楽しい時間とは違う。 確実だったのだ。 芽依と過ごした2ヶ月弱は、彼の眩しさと人の良さ、純粋さの上に成り立った、絶対的に陽の当たる眩しく愛しいものだった。 「古市と違うなら何が問題?友達なんだろ?」 「キスされましてね」 「ほあっ、、ほぁあッ、」 「え、なに、きもっ」 「キスされましてね」のひと言に、駒井は持ち上げていたグラスをカウンターテーブルに戻し、まん丸に目を見開いて「ほあっ」を連呼し始めた。 鯉のように口をバクバクさせている。 「バカ?バカ!?完全にやべえヤツじゃん!!」 「大丈夫。お前のキスは抜けなかったぜ」 「いやん、覚えててくれたの、、じゃなくてえッ!!」 パンッ!と鷹夜の肩にグーパンを入れ、駒井は2人の間に置いてある小皿に乗ったししゃものフライを頬張った。 洒落た店なのだが、つまみは少しおじさんぽいものが多い。 「何されてんだよお前、マジで笑えねえ。最初からそう言うヤツだったんじゃねーの?ほら、あっち系って言うか」 「んー、何かそう言うのじゃなくて、人との関わり方忘れちゃってる系なんだよなあ」 「問題大有りじゃん」 はあ、と駒井がため息を吐き、鷹夜はそれを聞いて「ごめん」と言いながら小さく笑った。 「違うんだって、何か、、何だろう」 何かはハッキリ分からない。 けれど何かが、古市とは違うのだ。 「変わりたいって意志は見えるんだ。こんな自分じゃなくなりたいって言うのは。でも俺がずっとそばにいても甘やかすだけで変われないだろうからと思って、今、距離置いてる」 「別れそうなカップルじゃねーんだぞ」 「分かってるって」 弱ったように鷹夜が笑うと、いやでも人の良さと優しさが顔に滲み出る。 駒井は会社に入社したばかりの頃、この弱々しさが嫌いで見ているとイライラした時期があった。 (でもあの頃のこいつとは違うもんな) きちんと判断してこそ、話題になっている男のフォローをしているのだろう。 古市の一件で昔とは見違えるくらいきちんと自分を守り、傷付けてくる人間とは関わらないように戦える程に強くなった鷹夜。 駒井は1番近くで見てきた分、彼のその成長も知っている。 「ま、用心しろよ。何かあったら、飲み誘え」 「ん、ありがと。そうするわ」 鷹夜は「ふふ」と、優しく笑った。

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