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第88話「気が抜けた」

エレベーターの箱の中。 ポーン、と音がすると、1階についた。 「、、、」 案外緊張している自分がいる事に気がついた鷹夜は、1人だけのその空間で、扉が開く前にへにゃりと笑った。 (いてもいなくても、芽依くんであってもなくても、驚かなくていいのに) 芽依でないなら何故そこにいるのか聞けばいい。 もし芽依だとしたら「何で2ヶ月待てないの」と怒るべきだ。 そして、会ってしまったら自分は決めなければならない。 友達を続けるか否かを。 (、、あーあ、自分から言ったくせに、少し嫌だ) 音もせずゆっくりと、エレベーターの扉は開いていった。 「何してんの」 第一声は迷った末の明るいとも何とも言えない声色で、俯いて携帯電話を握りしめているその大きな人影へ話しかけた。 「あ、」 彼は急いで携帯電話をズボンのポケットにしまい、マスクを取った。 「あの、」 「っ、、ん?」 目が合った瞬間に火花が散ったような気がする。 何とも言えない緊張感が一瞬でお互いの身体を包み、目が離せない。 久々の「竹内メイ」は恐ろしく美しく、久々の「小野田芽依」はどこまでも透き通った視線でこちらを見上げた。 「、、、ごめん、会いに来て」 立ち上がると20センチ程高いところから見下ろされる。 それすら久々で、少し懐かしくも思えた。 (あ、芽依くんだ) 「まあ、うん。それはもういいわ」 何も職場まで来なくてもいいだろうに、と思いながらも、鷹夜は実際には嬉しかった。 やはり彼に会うと疲れが吹き飛んで行く。 何か楽しい事が起こるかもしれないと予感してしまって胸がざわつく。 (何で会いに来ちゃうかなあ、この子は) キスをされた記憶は消えていないけれど、鷹夜はそれよりも一緒にいて楽しかった記憶の方が頭に蘇ってしまった。 「えーと、」と何か口ごもっている彼を見上げて、そんな事をぼんやりと考えている。 芽依はまつ毛が長い。 度の入っていない変装用の伊達メガネの向こうで、困惑したようなパタパタと揺れる瞳を縁取るそれを眺め、泳ぎ終わってまた真っ直ぐこちらを見た茶色の目に魅入った。 最後にあったあの日から、違う色をしているように思える。 「あの、、お、お話がありましてッ、参りました!!」 「あっ、はい」 手に持ったマスクを握り締めて、芽依は顔を真っ赤にしながら割と大声でそう言った。 突然叫ばれた鷹夜はビクッと肩を揺らし、目を見開いている。 それからまた芽依が「えっと、あの、」と言い出すと、どこか毒の抜けた顔をした彼に安堵しつつ、「ふはっ」と吹き出して笑った。 「え、」 「ふふふっ、あはははっ、どした?緊張しすぎ、ふふっ」 「いや、あの、鷹夜くん、俺ね、」 「あ、待った。あと、、20分くらいで仕事終わるからそれまで待っててくれない?」 チラリと腕時計を見ると、23時少し手前だった。 「待つ!!」 「ふはっ、はははっ、ありがと。ここいても何だから、ファミレスかどっか、、」 「大丈夫!!車で来てるから!」 「あ、そう」 顔を真っ赤にしている芽依を見て、鷹夜はおかしそうにクックッと笑っている。 芽依の方はいちいち気合の入った返事を彼に返していた。 「あの、前と同じコインパーキングにいる!」 「ん。じゃあ終わったら行く」 「うん!、、あ。あの、」 「ん?」 呼び止められて、エレベーターのボタンを押そうとしていた鷹夜は彼を振り返り動きを止めた。 「鷹夜くん、体調悪い、、?」 「っ、」 すり、と頬に当たる温かい手の甲。 人差し指の付け根の骨で輪郭をなぞられると、嫌な意味ではないが、ゾク、と背筋に何かが走った。 「あ〜〜、さっき、吐いた、かなあ」 気が緩んだように鷹夜はボソ、とそう言った。 「え、かなあ?ってなに!!今すぐ仕事終わらせて来て!!帰って何かあったかいもの食べて身体あっためて寝よ!!」 「寝たら君の話し聞けないけど」 「アッ、、いや、うーんと、とりあえず早く!!」 「ふふ、はいはい」 何故だかドッと疲れた。 芽依が目の前にいると言う安心感からかもしれない。 鷹夜が再びエレベーターに乗り込むと、芽依は不安げに彼を見つめて手を上げた。 鷹夜が返すように手を上げてドアを閉めるボタンを押すと、2人が見つめ合ったまま、パタンとエレベーターの扉が閉まった。 (何だ?何か、安心した) 思わずエレベーターの中にべたんと座り込み、両手で顔を覆って深呼吸をする。 どこかで何か、ちゃんとケリをつけてくれるだろうと期待している自分と、また古市のときのようにぐだぐだと色んなものが続き、後味も悪く関係を切る事になるのではないかと不安に思う自分がいた。 鷹夜は、後者の可能性の方が大きいと感じていた。 それなのに、目の前に現れた芽依は出会ったときのように真っ直ぐ純粋で、少し子供のようで、憑き物が落ちた晴れやかな顔をしていたのだ。 「はあー、、、」 安心した。 ある意味、芽依よりも鷹夜の方が会うのが怖かったのだから、当然だ。 (仕事、終わらせよう) 脚はまだフラつくし、口の中には気持ちの悪い感触が残っている。 けれど一刻も早く安心できる世界に浸りたかった。 「うし、やるかっ!」 資料をまとめてファイルに入れ、ネットにあるデータ圧縮サービスにまとめて放り込んで、保存先のURLをメールに載せて、月曜日の朝にクライアントに送ればとりあえずひと段落だ。 あとはこの崩れ切った体調を2日掛けて取り戻せばいい。

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