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【第1部 馬とピザと】第2話

 会議でいちばん大切なのは、ただ椅子に座っていることだ――という格言を俺はこれまで信じていなかったのだが、王都に戻って以来、信じざるをえなくなっている。会議は踊る、なんてものじゃない。会議は座るものだ。そして座ろうが踊ろうが、あまり進まない。  回路魔術師団の全体会議は、やたらと無駄な確認が多く(進捗確認なんて文書を回せばいい)無駄な質問が多く(進捗が遅れる理由を本人に問いただしても意味がない)その結果、無駄に長い。実際に話し合うべき中身へたどりつくのは予定時刻も終わるあたりで、それまでずっと座っていなければならない。そして王城といえども、ここの椅子は堅い。堅いのになぜか、眠くなる。  俺は腰をもぞもぞと動かし、眠気に耐えていた。  長い会議テーブルのいちばん奥に座っているのは、ストークスをはじめ、回路魔術師団の幹部たちだ。唯一の女性幹部であるエミネイターが壁際の端に座り、向かいの一般席筆頭にルベーグがいる。王都ではめずらしい銀色の髪が一般席の隅でちんまりいる俺からも目立っている。会議も無駄だが、ルベーグも無駄に美形だ。銀色の髪、菫色の眸、精霊魔術師のような雰囲気がある。  俺は回路魔術師の中では魔力量が多い方だが、ルベーグは精霊魔術師なみに備えているのではないだろうか。魔力自体は多かれ少なかれ誰でも持っているが、器に余裕がある人間からは独特の気配、あわい光のような空気が放散される。だから平均して魔力が少ない者が多い回路魔術師は、精霊魔術師とならぶとどうしても、ぱっとしないもっさりした連中ということになる。ルベーグは規格外で、ここではかなり浮いている。  それだけではない。ルベーグは真面目で才覚と意欲にあふれ、師団でいちばん幹部の席に近いと思われている。本人のやる気は会議でもわかりやすい。一般席ならどこに座ってもいいのに、幹部席のすぐ近くに座る、なんてのもそうだ。実際幹部席の近くにいれば、自分の存在が上に印象づけられるのはもちろんだが、会議全体の進行や、他の参加者を把握するのも楽になるし、喋る機会もふえる。  俺も大陸にいたころは会合で同じようにやっていた。でもいまは、王城勤めになって半年もたたない新参者の立場を活用して、隅の方でだらだらしている。王都での実績もなく学校も出ていない俺が大陸から帰ってすぐに就職できたのは、きっと伯父の名前のせいだろう。縁故関係をうかつに知られて目立つのも嫌だった。 「では、警備装置の保全と新規開発について……」  報告や作業遅延についての小言がおわり、やっと本来の議題に入ったようだ。王宮と王城全体の警備に関わる装置は回路魔術で動くものが多く、最近不備や故障が多発しているため、早急に手をうつ必要がある、ということだった。とはいえ、話はまたも長い現状確認からはじまり、どこまで本気で聞くべきなのかもわからない。 「長いな」  クラインが横からささやいてくる。 「テイラーが話しはじめたら、いつ終わるかわからないぜ」  俺は軽くうなずいた。クラインは業務室が近く、新参者になれなれしい男で、師団に加わった当初は頼んでもないのに俺に近づき、師団や王城について教えてくれた。当時はそれなりにありがたかったが、今は進んで接近しないようにしている。この男にはあまり褒められたものでない癖があり、一度へべれけに酔っぱらった日、俺は引っかかってしまったのだ。その日の状況を思い返すと避けられなかったと自分を慰めても、失敗には変わりなかった。  それなのに今日、こいつは勝手に横に陣取り、思わせぶりに指でつついてくるので、ただでさえうんざりする会議がさらに憂鬱だった。俺はクラインをやりすごすため、王城警備の説明を片耳にいれつつ、手持ちの石板に線を引きはじめた。 「何を描いてる」 「ただの落書きさ」 「ふうん……へえ、それは大陸の記法か?」 「ああ」  回路魔術の基本は、手のひらにのるほどの基盤に銀と鉛の微細な線で、魔力を制御したり増幅する回路を描いたものだ。回路の記法はいくつかあるが、俺は大陸で標準になった新しい記法を好んで使っていた。ひいじいさんが考えた古い記法(そのままというわけではなく、何度も改良されている)も使えるが、俺は大陸式の方が好きだった。こっちの方が無駄がなく、大規模な回路を組んだり統合するのに向くと思っていたからだ。だがこちらの魔術師には、旧来の記法しか知らない者も多い。  新参とはいえ、師団で働きはじめてそれなりに時間がたったのに、いまだに俺がすこし浮いているのはそのせいもあった。他人にみせるものは旧来の記法でやるとしても、ちょっとした考えを書きつけるために俺は大陸の記法や言語を使うことが多い。ひとりだけ意味がわからない記法を使っているのが不気味にうつるのかもしれない。  不気味というのは大げさにしても、なんとなく遠巻きにされている感じはあった。クラインも俺の手元をしばらくみていたが、やがて興味なさげに目をそらした。 「あーあ…終わらねえなあ。ここにいるほとんどには関係ないのに」  俺以外には聞こえないよう小声でつぶやく。 「また週末にでも飲んで、いいことしようぜ」 「いや、週末は忙しい」 「つれないなあ、アーベルは。たしかに週末は宿舎にいないみたいだが、何をやってるんだ?」 「伯父の屋敷を片づけているんだ。亡くなったからな」 「前も同じことをいってなかったか」 「手間がかかって大変なんだ」 「それだけか? ほんとは城下に相手がいるんじゃないのか」 「関係ないだろ」  俺はそっけなく答えて手元に集中し、クラインを無視する。とはいえ、今度の休日のことを思うと、ふっと胸のうちが温かくなった。ただの飲み友達なら、相手がいるといえなくもない。  ピザの一件から毎週のように警備隊のクレーレがやってくるようになり、季節も変わった。週末、伯父の屋敷の納屋を改造した工房で俺が作業をしていると、暗くなるころクレーレがやってきて、そのままふたりで飲んでいる。  クレーレは手土産に酒だけでなく簡単な食事を持ってくることもある。そのたびに金を払おうと申し出たが、頑として受けつけない。ピザの件をいまだに借りだと思っているのだろうか。  ともあれ、クレーレと過ごす時間は、王城の仕事やその他の事柄から気持ちをそらすことができてありがたかった。もっともそれぞれの私的な事情についてはたがいにほとんど知らないといっていい。最近クレーレは城下から王城の警備隊へ所属が変わったらしく、その程度なら会話から知れるものの、俺は彼の身分や住まいなどをたずねなかった。  俺は俺で、回路魔術師団の話題は極力避けているし、王城での仕事中にクレーレと鉢合わせたことはない。しかしよく考えてみると、騎士団に所属するだけでなく、あの若さで小隊長となっているクレーレはすくなくとも下級貴族にはちがいない。毎週のように俺のところへ手土産をかかえてやってくるのもおかしな話ではある。未婚のようだから、それこそ週末ともなれば、決まった相手のもとに通う方がずっと自然だ。  ふたりでいるとき、そんな話は一度も出なかった。俺の好みについて話したこともない。大陸でも王都でも俺は少数派だったが、相手になる人間はどこにでもいる。おかげでクラインにはめられたのだとしても、クレーレといる時間は別のもので、かつ貴重だった。  そこまで考えが至り、俺はふと、自分がクレーレを親しい友人とみなしているのだと自覚して、いまさらのように驚いた。  友人ができたと思うなんて、王都に帰ってはじめてのことだ。  物思いにふけりながらも、俺の手は石板の上を勝手に動く。クラインが予言した通りテイラーの話は長く、片耳で聞きながらの落書きは自然と王城の理想的な警備網をなぞっていた。  テイラーの現状報告によれば、必要に応じて王城や王宮に増設されつづけた回路魔術装置の相当数は、外側も中の回路も時代遅れの古めかしいものになっている。仮に修理や交換がうまくいったとしても、後で追加された装置と連携がとれないといった面倒事がおきる可能性が高いという。もっと根本的な解決策が求められる。  俺はさまざまな師団や王家の直属ギルド、宿舎も含んだ王城の広さと、その中心にそびえる王宮の規模を考えてぞっとした。これは担当したくない仕事だ。もちろん大規模にならざるをえないから、ある程度進行すればここにいる魔術師全員が巻き込まれるだろうが。 「…そういうわけなので、この機会に全体を一括で更新するべきかと思われます。さいわい、王宮は十分な予算を用意するそうですし、ちょうど大規模回路に適した大陸記法を熟知した魔術師も入っている。彼を加えて、また実際の使用者である王城の騎士団とも連携した聞き取り調査も進め、開発にかかるべきかと」 「大陸記法を熟知した魔術師? そんな新人がいたか?」 「新人といっても、何か月かたっていますが」 「アーベル。そうでしょう、ルベーグ」 「はい。あちらの端にいます。アーベル」  いきなり名指しされ、俺はびっくりして顔をあげた。 「俺ですか?」 「ええ、あなたです」ルベーグは平然と続ける。「今日まで私とテイラーで現状調査を進めていましたが、これにアーベルを加えたいと思っています。おいおい人員は必要になりますが、それについては……」 「ちょっと待て、何の話です?」 「ルベーグの提案でね、王城警備更新の案件にきみも加わってもらいたいと思っている」  エミネイターが妙に楽しそうな口調で俺に視線を向けていった。唇の端をあげた雰囲気は猫が笑ったように見える。もし猫が笑うのであればだが。  彼女はつねに何か企んでいそうな顔つきをして、おまけにふつうなら言いにくいことまで物申す。俺は面接のときからこの上司を苦手だと思っていたが、やがて彼女を苦手としているのはルベーグ以外のほぼ全員だとわかった。これもあって、ルベーグはいちばん幹部席に近いと思われているのだ。無駄に美形で、仕事ができ、近寄りがたい上司の覚えもめでたいとあれば当然だろう。  しかしそんなルベーグと、さらにエミネイターにまで俺が目をつけられているのは想定外だ。そしてこんな恐ろしい案件に加わるのも想定外だ。  正直、王城での仕事に俺は熱意がなかった。決まりきっているのに消耗が多く、面白くないのだ。他の回路魔術師よりも俺の魔力量はすこし多く、そのせいか俺は負荷試験ばかりまかせられていた。この作業はつまるところ他人の組んだ回路の最終確認だが、魔力と気力を両方消耗するのでうんざりさせられる。これ以上の面倒事はごめんだ。  しかしエミネイターとルベーグ(とそれ以外の全員)にしげしげと眺められつつ、口を開いた俺の口から出たのは「今担当してる案件はどうしましょうか?」という気弱な一言だった。まるでヘビに睨まれたカエルである。  エミネイターは俺のそんな様子にも素知らぬ顔だ。 「何件ある? …ああ、五件ね。全部負荷試験か。こちらの方が緊急だから、別の人に振りましょう。ほう、ちょうどクラインが隣にいる。彼に全部回します」 「え!」クラインが目をむく。 「アーベルの担当案件、けっこう厄介なんですけど!」 「あなたくらいのベテランで、魔力量もあれば問題ないでしょう。アーベルはルベーグとテイラーと一緒に私の直属編成に入ります」 「はあ」 「さっそく打ち合わせをするから、クラインに今の案件引き継いだら集まるように。場所はルベーグの部屋。ではこの件はおわり」  椅子に座っているだけの会議は予想外の結末を迎え、俺はよろよろと立ち上がった。

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