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【第1部 馬とピザと】第4話

 騎士団の宿舎は回路魔術師団の素朴な宿舎とはかけ離れていて――つまり見かけも中身もかなり豪華だった。きっとここなら椅子も堅くない。  王城は小高い中心に王宮を抱き、中心に近ければ近いほど、古くから権勢を誇る組織が占めている。騎士団と王立魔術団は王宮とほぼ隣り合わせで、騎士団の宿舎も中心部にある。巻貝、あるいは咲き初めのバラの花のように護られるものが中心へあつまる。  国が栄えるにしたがって王都は膨張し、それにともなって王城も面積をふやしていったのだ。だから周辺の城下に近いあたりは、歴史の浅いギルドや王宮内の雑役を請け負う商家がならび、そしてわれらが回路魔術師団も鎮座している。バラの花でいえばもはや花びらではなく、ガクの部分か。  クレーレのあとをついて騎士団の食堂に入ると、かすかな囁き声があがった。体格のいい騎士のなかで魔術師のローブは目立ちすぎる。顔にささる視線を感じて俺はフードを下げたくなったが、不審者に思われるのも嫌なので耐えた。  クレーレは衝立で区切られた椅子をしめし、俺が座ると、目でうなずいて厨房の戸口へ向かう。俺はローブの下から持参した書類の束をテーブルに広げた。テイラーとルベーグが周到に用意していた調査票を自分の石版の覚え書きと照らしあわせるうち、物珍しげな周囲の目など忘れていた。ふと我に返ると、テーブルに湯気をたてる皿が並んでいた。 「普通の食事だからたいしたものじゃないが、食べてくれ」  向かいの椅子をひきながらクレーレがいう。 「うちの師団よりはずいぶん上等にみえるが」 「悪くはないはずだ」  クレーレがさっそく手をつけたので、俺も相伴にあずかることにした。シチューはこってりと濃厚で、パンはまだ温かかった。いつものようにあまり食べられなかったが、クレーレがおおぶりのスプーンでシチューをすくうのに俺はひそかにみとれていた。あまり認めたくなかったが、俺はクレーレがものを食べる様子が好きだった。とくに豪快な食べ方をするわけでもない。でも、まるで贈り物をもらった子供のような顔をして食べるので、こちらの食欲まで満たされる気がする。 「独身者は全員宿舎にいるのか?」 「たいていは。王都の外の領地に妻子がいる者もいる。上級幹部は城内に住まいをもっているが」 「やっぱり椅子は堅くないな」 「なんだ?」 「なんでもない」  衝立があるせいか、クレーレが目の前にいるせいか、皿の横に書類があるせいか、緊張がほぐれてくる。俺はおもむろに書類と石版をひきよせ、要件に入る。  この国は豊かで、しかも俺のじいさんが回路魔術の実績をつくった戦争を最後に大きな衝突も起こしていない。これは内政と交易の安定と、周到な外交の根回し、完璧主義の防衛がつりあった結果だ。他国に先んじて発展した回路魔術の成果は大きく、ながいあいだ他の追随をゆるさなかった――これまでは。  だがこのごろ、状況が多少変わりつつあるらしい。エミネイターによると、王立魔術団の一部が正体のわからない不穏を予知したという。今回の計画に予算がついたのもそのためらしい。  俺は警備の補助に使われている装置の図面を示しながら、計画の概要と、騎士団の協力が必要な作業を説明した。この中には回路魔術が使われていると騎士が自覚していないものもある。クレーレはあごに手をあて、眉をよせて話に集中している。予想通り飲みこみは早かった。あらましを聞き終えると、ついと立って衝立の向こうをみやり、食堂のだれかを手まねきした。 「デサルグ、ちょっといいか?」  あいーっとまのびした声をあげて、急にやたらと高い位置にいかつい顔が出現した。 「彼はデサルグ、副長だ。聞き取り調査の具体的な手配はデサルグに頼むことが多くなるはずだから、紹介しておく。デサルグ、彼はアーベル。回路魔術師団からきた」  クレーレよりさらに一回り大きい男だ。日焼けした四角い顔に、細い目はまるで線で描いたようだ。それが俺の方をむいてさらにくしゃっと細められる。 「デサルグです。よろしく。で、何をすればいいんで?」  差し出された手はこれまた大きかった。デサルグもまじえて明日からの手順について説明しおわるころ、食堂にはほとんど人の姿がなかった。  席を立つ俺にクレーレが「送ろう」という。 「師団の宿舎に戻るだけだ。ここでいい」と俺は返す。 「いいから、隊長に送らせてやってくださいよ」  デサルグはようやく解放されたとばかりに伸びをしていた。 「今日は知り合えてよかったですよ。隊長が休日に通っているのがどんな人か、見たかったし」 「なんで知ってるんだ?」 「副官なんでね。上司の私生活はなんでも知ってる」  クレーレが唸る。 「嘘をつけ」 「馬ですよ、馬」デサルグはからかうようにクレーレに指をふった。 「隊長の馬は本人よりも有名なんでね。馬丁の噂話は場所を選ばない」  なるほど。エミネイターの情報源もこれか。 「悪いな、飲んでるだけなのに、毎週隊長さんを借りて」 「いや、いいんだよ。この隊長、堅いことにかけては馬よりも有名でね。休日も判で押したように訓練、訓練、訓練が大好きだったのに、町場の警備から復帰したら毎週でかけるから、俺たちは賭けをしていたくらいで――おっと、これはないしょ」 「デサルグ、黙ってろ」  クレーレが焦ったように割って入る。デサルグはからからと笑い、俺もつられて微笑んだ。  師団の塔がある北東の隅まで歩きながら、クレーレも俺も静かだった。居並ぶギルドはすべて暗いのに、消えていても、目立たない王城の端で、塔からはまだ灯りが漏れている。位置からしてルベーグの部屋だ。 「宿舎は?」 「塔に戻るからここでいい。まだ作業がある」  塔に向かった俺に、クレーレは眉をあげて、かるく睨むようにした。 「アーベル――ちゃんと休息をとってるのか?」  俺は苦笑した。塔の窓を見あげ、テイラーのやつも残業しているのだろうか、とぼんやり思う。 「休みのたびに俺のところへ飲みにくるやつが、よくいうよ」 「そうはいっても、俺が行くまであまり休んでいるようにみえないんだが」  たしかに王城が休みの日俺は屋敷で一日働いていることが多いが、少なくとも王城の仕事はしていない。 「アーベルと知り合ってからしばらくたつだろう。――夏より痩せている気がする」 「もともと小食なんだ」 「こんなに細いのはよくない」  そっとつぶやいて、クレーレは俺の手首をつかんだ。  不意打ちだった。  ごく軽い、他意のない触れ方だ。なのに体の芯に熱がはしる。  今日は長い日だったから、と俺は困惑しながら思う。長い会議や打ち合わせや、エミネイターの余計な一言のせいで、過敏になっているのだ。  ほんとうはそうでないとしても、俺は認めたくなかった。  不自然にとられないように肩をまわし、そっとクレーレの手をはずす。 「気にするな」  暗くてクレーレの表情はよくわからなかった。とまどうような、それとも、さぐるような。  俺は目をそらし、軽く手をあげ、塔の入口へ歩いていった。  振り返らなかった。

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