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【第1部 馬とピザと】第5話

「おい、ふつうにやってくれふつうに。緊張するなよ!」 「はいっはいいっ……すみません!!」  少年めいた幼い顔の騎士(おそらく十八にもなっていない)が、デサルグの横でしゃちこばって、落とし戸の把手を引いている。力が入りすぎだ。少年騎士の後ろには中くらいの――デサルグと少年の間にいるからそう見えるだけで、実際は立派な背丈の――騎士が所在なげにたたずんでいる。  どうしてこんなに連中は居心地悪そうなんだ。俺のせいか。それとも。 「……これってやっぱりあんたの顔のせいかな」  わざと聞こえるように呟くと、上のほうで「人のせいにしないでくださいよ」とデサルグがぼやいた。 「おまえら、楽にやるんだ。いつもの通りだ。魔術師殿は自然にしろといわれている」 「はいっ、副官っ」 「……元気がよくてけっこうだ」  俺は困惑を顔にだすまいとがんばった。 「ちょっとかせよ」  計画通り副官のデサルグの助けを借り、俺は城内で調査をはじめていた。回路魔術のほとんどは、騎士が日常的な警備で扱う道具や物体に施されている。デサルグは俺の要請にこたえて、体格が極端にちがう部下を二人連れてきていた。デサルグも加えた三人が縦にならぶと階段のようでおもしろい。だが、俺に対してあまりにもびくつかれるのと、おもしろいとはいえない。  問題の落とし戸の把手には複雑な模様が象嵌されていた。かるく握るとちょうど、親指のしたから手首の内側の脈にかけて触れる位置だ。  俺は少年騎士の横にひざをつき、彼のこわばった指をひらかせる。軽くもんでからやわらかく把手を握らせる。なんてことはない、ふだん彼らがやっているのと同じことだ。少年の手の甲の上に自分の両手をそえると「じゃあそのまま」といって、把手を軽く押した。  落とし戸は素直に動いた。もう一度把手をひくと、なめらかにあがる。簡単だ。たとえこの落とし戸が鋳鉄でできていて、デサルグ五人分の重さがあるとしても。象嵌された模様は銀と鉛の回路で、騎士の手首から流れる微量な魔力を増幅し、生身の人間の上に落ちれば骨ごと砕けるほどの重さも、軽々と動かす。 「いつもこんな感じになってるか?」  手を握ったまま少年騎士にたずねると、なぜか唇を噛んでうつむいている。 「シャノン、返事は」  デサルグがせっつくと、はじかれたように「はいっ……そうでありますっ」と答えが返ってきた。 「動くときにおかしな音がすることは?」 「いいえっ、ございませんっ」 「どこかに引っかかるようなことは?」 「いいえっ、ございませんっ」  俺は上目でデサルグをみた。 「ええと……俺は何かまずいことやってるか?」 「それなら魔術師殿、手を放してやってください」 「すまん。忘れてた」  手をほどくと少年騎士はバネじかけのように俺のうしろへ飛びのき、俺は彼に押し出されたもうひとりの騎士に前に出るよう目配せした。少年の様子をみて学習したのか、彼はひとりでやってのけた。もちろんこれが当たり前である。 「あんたら、そんなに回路魔術師に慣れてないのか?」  ためいきまじりに呟くと、デサルグが斜め上から淡々と「回路魔術師にはたしかに慣れてない。あなたにも慣れていません」という。 「それって同じことだろ」 「いや、ちがいますよ」 「俺があんたらの隊長と飲み友達で、なにかあったら隊長に言いつけるから?」 「そんなのじゃないですよ。なんていうか、あなたは場違いなんだ」 「場違い? そりゃそうだろうけど」 「ほら、はきだめになんとかっていうじゃないですか」  なんでもなさそうにデサルグはつぶやき、じゃあ次に行きましょうか、と歩き出した。 「それにしても、どうして、我々がいちいちこれをやらなくちゃいけないんですか? 魔術師殿が試すのではなくて?」  落とし戸や城壁の狭間に埋め込まれた回路を巡るうち、さすがの騎士たちも回路魔術師の存在に慣れてきたらしく、きちんと質問にこたえてくれるようになる。  俺が知りたいのは、騎士が自分で気がついていない事柄だった。ささいな、気にもとまらないような不便。各自が当番につくたびに、無意識に、あるいは創意工夫で修正している、微細なずれ。 「どうして俺がやらないかって? ……じゃあちょっと試してみるかな」  王城の東南の隅まできていた。暗渠が切ってあり、水が城外へつながっている。俺は水路に通じる格子を見下ろす。ローブの下からトーチを取り出し、回路に魔力を流して灯りをともす。 「ダヴィド、格子をあげてくれ。ふつうにやれよ」  中くらいの(あくまでもシャノンとデセルグの間に立てば、だが)騎士に声をかけ、格子の中央に指をかけるのを見守った。埋め込まれているのは解錠の回路だ。ダヴィドはなんなく鍵をあけ、さらに把手を持ち上げる。ここにも指があたる部分に回路が刻まれている。ついでシャノンに格子をもとに戻させると、俺はひざをつき、触れないように気をつけながら解錠の回路を指さした。 「ひとつの回路にはふたつの円――力を循環させる仕組みがある。ひとつは回路に触れた人間から流れる魔力を正しい速さと強さにし、もうひとつは調整された魔力で狙い通りに装置を動かす。だから多すぎる魔力はせきとめられ、少なければ増幅される。だが回路は使ううちに自然に摩耗するんだ。摩耗が激しくなって回路が損傷してくると、想定外の魔力を調整できなくなる場合がある。そうするとたとえば――」  俺は解錠の回路に触れ、軽く魔力を流した。  バチッと火花が散る。 「こんな風に回路がショートする」  シャノン、ダヴィド、デサルグの三人とも、あっけにとられたように俺をみた。 「どうして? 俺たちのときは、何事もなく……」 「俺の魔力量はちょっと多いんだ。ただ、摩耗していなければふつうこの程度は耐える。そして過剰な魔力で回路がショートすると補助が効かなくなるから、ここは安全に――」  俺は格子に手をふれ、顔をしかめた。 「――デサルグ、トーチを持っていてくれないか」  ローブの下から片眼鏡をひっぱりだすと右目にかけ、格子にかがみこむ。広がった視野を増幅し、摩耗した銀線の奥にうっすらとべつの模様が浮かぶのをみる。模様のほかにもなにかがついている。小さな糸くずのような、動物の毛のような、種を運ぶ綿毛のようなもの。  指先につまもうとしたが、こぼれてみえなくなってしまった。あきらかにおかしな現象だった。単なる摩耗現象ではない。  俺は何食わぬ顔でまたローブの下をさぐり、応急修理用の汎用回路を取り出した。手のひらで調整し、金属箔をかぶせた解錠回路の上にのせる。金属箔に人差し指をあてる。火花が散った。つぎにナイフのような形をした青い炎が一瞬のびて、消える。 「これでいい」 「うわぁ、すごい…」 「いずれ交換するから、今は多少摩耗していても、それまではだましだまし使えるだろう」  シャノンの顔が好奇心で輝いている。ずいぶん感心してくれたようだ。俺はひたいに浮かんだ汗をさりげなくぬぐった。 「回路魔術のいいところは、ふつうの人間であれば原理を知らなくても使えるってことだ。たいていの人間は、使い慣れた道具をどんな風に扱っているかなんて意識しない。自分がどうやって歩いているかなんて、歩く前に考えないだろう。それと同じことだ」  ローブの内側に道具をしまうと立ち上がる。 「じゃあ、つぎにいこうか」  予定をすべてこなして解散したのは陽が落ちるころだった。デサルグは隊長へ報告へいくといい、どのみち俺と方向は同じなので、騎士団の詰所まで歩いたところでクレーレに出くわした。その場でデサルグが簡潔な報告をする。  俺は空腹と疲労感でぼんやりしていた。肩に手がかけられ、顔をあげると、クレーレが眉をよせてこちらをみている。 「食事はこれからだな?」 「ああ」 「行こう」  同行するのが当然であるかのようにクレーレは有無を言わさぬ様子で歩きだす。おかしなことだとは感じなかった。むしろとても自然なことのように思った。俺は自覚しているよりも疲れていたのかもしれない。  クレーレは騎士団の宿舎ではなく出入りの商人が使う城壁近くの食堂へむかい、俺たちはごくふつうに夕食をとった。俺はデサルグやシャノン、ダヴィドのことを話し、クレーレは商人から聞いたという、最近城下で流れている噂話を教えてくれた。  レムニスケートという有力貴族の子息にしては、クレーレは驚くほど町場の商人と気さくにつきあっているのだった。城下の警備にあたっていた時期もずいぶん周囲に慕われていたらしく、王城警備に戻ってからも以前の部下とつながりがあるらしい。彼のような立場の人間には珍しいことだろう。たぶんクレーレは俺よりずっと人間の出来がいいのだ。  食事をおえると、師団の塔へ戻る俺にこれまた当たり前のようについてきて、俺たちは塔の下で別れた。 「また明日、アーベル」

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