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【第1部 馬とピザと】第8話
王宮の尖塔に旗があがっている。ラッパが鳴り響く。先日訪れた隣国の使節団が帰国するので見送り式が行われているのだ。城壁の上からは正装した騎士団の列にちかちかと光がきらめくのがみえた。大げさな徽章に初冬の日差しが反射する。
使節団の訪問は両国にとって成功に終わったらしい。隣国とは来る年に貿易と和平の条約を結びなおすことに決まり、さらに王族同士の結婚も検討されているという。先週から吹きはじめたつめたい北風で下がった気温と対照的に、王都は明るい雰囲気にあふれている。
俺は使節団一行が無事王城を出るのを、つまり城門の回路魔術が正常に作動しているのを確認する。帯剣した騎馬の一隊が使節団についていく。王都のはずれまで護衛するのだろう。沿道で人々が見物している。ほとんど祭り状態で、実際庶民にとっては間近にせまった冬祭りの前日祭のように感じられているのかもしれない。パン屋が繁盛するだろうなと俺は思う。あちこちでピザが供されるだろう。テイラーによると兎の煮込みを載せたものが流行りらしい。
ピザと聞くとクレーレの顔が浮かぶ。ここから見える騎馬の列のどこかにいるにちがいない。
クレーレとはしばらく会っていなかった。彼のことを考えると、胸の奥が細い針で刺されるような痛みをおぼえる。
俺は城壁を下りると、フードを下ろしたまま警備兵に会釈して、師団の塔へ向かった。
師団の塔は外も中も灰色だ。いつもにもましてつめたい北風がよく似合う。つまり王都の雰囲気とは真逆だ。使節団訪問案件と王城警備の案件が同時進行で、全員が疲れきっているのだった。
使節団が帰ってしまえば少なくともひとつは終わるわけだが、その後は遅れをとった警備案件が担当者、つまりエミネイター配下の俺たちを待ちかまえている。俺はルベーグの部屋へ行った。情報管理のため王城警備案件は師団内部でも慎重に隔離されることになり、会議室の使用権をめぐって幹部連中がすったもんだしたあげく、結局ルベーグの部屋が作戦本部に占領されている。
「どうだった?」
テイラーがパンを片手に俺の方を向く。左右に大量の紙がつまれて壁ができている。壁の内側は昼食中なのか仕事中なのかもあいまいな様子だ。
「問題なし。護衛つきで出発」
「とりあえずは一件終了かあ……」
「町もにぎやかだったよ」
「そうだろうなあ」
テイラーはたいして関心もなさそうだった。街のにぎわいより、早く帰って寝たいのだろう。
「使節団が来るタイミングで何か起きたらと恐れていたが、それはなかったね」とルベーグがいう。
彼の机の上はきれいに片付いている。ルベーグは整頓狂なのだ。重ねた書類がずれているのも我慢ならないようだし、パンくずをこぼしたりするのも嫌う。ルベーグ以外の三人が部屋を汚しに汚している――何しろ上司のエミネイターもここで平然とものを食べ、床に散らかしていくのだ――ことに彼がどうやって耐えているのかはよくわからないが、俺たちも過剰な整理魔のルベーグにあわせることはとてもできない。そもそもルベーグだって俺たちにあわせていない。この国でも大陸でも、回路魔術師には独立独歩のマイペース派が多い。
「しかし例の回路の細工主はわからないままだ」とテイラーがいう。
「あれはつまるところ、何かの逃走路だろう。しかし回路の細工には内部からの手引きも必要だ」
俺の声に他のふたりがうなずく。この点は全員が一致していた。騎士団にはすでにエミネイターから報告が行き、見回りも強化されている。
「気づかれたと知ってほとぼりがさめるのを待っているのかもしれない」
喋りながらルベーグは石板のふちをこすっている。考え事をしているときの癖だと最近わかった。
「でも細工は新しくはなかったし、王城で侵入や窃盗の重大事件などずっと起きていない」
爽やかな声が響いた。エミネイターが大股でさっそうと登場し、話に割りこんだのだ。この女性上司はいつも格好よくローブをまとい、ルベーグとは違う意味で基準を外れている。ローブの下は好んで今日のように男装もするが、時に女装――ドレスを着ていることもあって、外見で判断してかかるうかつな輩は痛い目をみる。これはテイラーの弁だが、騒動の多い人として貴族の一部でも有名らしい。
「いっそ無害なものならいいんだがなあ」
上司の口調はどこかのんびりしていたが、表情は真逆だった。
「無害ってどういう」
パンをちぎりながらテイラーが返事をした。パン屑がボロボロと床におち、ルベーグがネズミを狙う猫のようにそれをじっとみつめている。
エミネイターは目をぱちくりさせた。
「ほら、あいびきのためとか」
「なんであいびきでわざわざ警備用の回路魔術に細工しないといけないんですか。もっと方法があるでしょう」
「やんごとない相手と会うのに、のっぴきならない事情でさ」
「ええっと、じゃあ相手が王家の方だとか?」
「うーん、どちらもずいぶん度胸があるなあ。何しろ細工のあったところ、仮に通るとしたって、服もドロドロになるだろうし」
「あなたならどうです?」
「うーん、さすがにないか。着替えとか、用意するの大変じゃない? だいたいあいびきだの忍び込みだのって、魔術で鍵かけてある通路をわざわざ使う必要はないんだよ。変装するとか商人の馬車にまぎれこむとか、方法はいろいろあるからね」
「さすが経験者ですね」
「馬鹿をいうな」
エミネイターとテイラーのかけあいを横目に俺は自分の机に戻った。状況はテイラーの机と大差なく、左右は紙の壁で囲まれている。なにしろ膨大な量なのだ。ルベーグがいつ自分の机にあるはずの書類を整理しているのか、俺にとっては永遠の謎だ。
しかしほんのすこし前までは、俺はルベーグをもっと完全無欠な、回路魔術師には似つかわしくない人間だと思っていた。だが今の俺には、ルベーグがその身にまとう魔力の光輝はともかくとして、ただの人の子に近い存在にみえている。俺はテイラーやエミネイターにも同様の親しみを感じるようになっていた。
以前はよそよそしく感じていた塔の空気もすっかり肌になじんだようだ。それにこの部屋に来てから、仕事自体が俺にとって格段に面白くなっている。エミネイターを筆頭にルベーグ、テイラーと一緒に進める作業には、ただのルーティンワークから解放されたというだけでないやりがいがあった。俺は王都にやってきてはじめて、ほんとうになにかに熱中していた。
だいたい、そうでもしなければ間に合わないくらい解決すべき問題も多かった。毎日食事のために外へ出るのもそこそこに、遅くまで塔で働き、宿舎で眠る。休日も宿舎でごろごろし、ひっかかっていた問題の答えがひらめくと塔に戻る。他の同僚も似たようなもので、とくにルベーグとはよく休日に塔で鉢合わせた。忙しさのあまり王城から出ることもなく、伯父の屋敷にも戻っていない。師団以外の人間と会話する機会もなかった。
王立魔術団の精霊魔術師連中や騎士団は、使節団の来訪や、その他宮廷の華やかな行事で忙しそうで、裏方の役割であるうちの師団とはあまり接点もない。
さらに見えない力にせきとめられているかのように、俺はクレーレを避けていた。あの日たしかに「好きだ」といわれたのに、まともに答えも返せなかった自分がいやだった。
体を重ねたことを後悔しているわけではない。でもつぎにクレーレに会ったとき自分がどうなるか、俺はまったく自信がなかった。あのときの接触とキス――そう、俺たちは最後までやってすらいないのだ――を思い出すだけで、ひそやかな興奮に俺は熱くなる。そしてそんな自分に赤面し、つぎに情けなくなり、いたたまれず顔をおとす。
大陸で何年間も仲間であり、親友であり、恋人でもあったはずのエヴァリストは、俺が王都に戻る直前、手酷いやり方で離れて行った。心の奥底には、もう家族もいないのだからせめてクレーレとは友人同士としてうまくつきあえるようになりたい、とささやく自分がいる。
友人以上の関係になったときの別れは――端的に怖かった。
最近また伯母が夢に現れる。
伯母が亡くなった後しばらく、俺はくりかえし同じ夢をみていた。それは伯父夫婦がまだ生きているような夢で、悪い夢ではなかった。むしろ幸福な夢と呼んでもよかったが、目覚めたときの落胆は大きく、眠れなくなった俺は薬とワインでどうにか眠るようになった。
これはクレーレと知り合った頃の話だ。一方、最近みる夢には伯母とピザとクレーレが毎回混乱した形で登場した。夢はいつも混乱した筋書きをたどり、ほとんど喜劇的な場合すらあったが、どのみち最後はひどい動悸と恐怖で目覚める。
夢の中で自分が何を恐れているのかもわからなかった。また薬を手に入れた方がいいのかもしれない。限界まで働いて眠れば、夜をやりすごせる。
昼間であれば、いずれすべて時間が解決するのだと考えることができた。伯父の屋敷のことも、俺の後悔も。しばらく時間をおけばクレーレとも、あの接触がちょっとしたじゃれあいだったというふうに、友人としての関係をつくれるかもしれない。それまでどうにかやっていけばいい。
どのみちいまは忙しい。俺は私的なことにかまっている暇などないはずだ。
そんなことをぼんやり考えていると、エミネイターがぎょっとする発言をした。
「さて諸君。ものは相談なんだが、使節団も帰ったし、案じていた事態もなかったし、もうすぐ冬祭りだ。師団の他の連中も、幹部のじいさんも、これから全員休みにするらしい。というわけで、働くのが大好きな我々も祭り明けまでここを閉めて休暇にしようと思う」
冗談じゃない。それは困る。
「ええっと」俺は抗議の声をあげた。
「俺としてはその間にもっと作業を稼いでおきたいんですがね」
「よせよ、アーベル。僕はさすがに冬祭りくらいは休みたいね。きみはしばらく王城を離れてもいないようだし」
眉をよせたテイラーが反対した。エミネイターはわが意を得たりとばかりにやりとする。
「それにアーベル、どのみち冬祭りの前後は王城の宿舎も閉まるんだ。管理人も厨房も休暇をとるからな。もちろんそんな環境でも塔にこもる変人はいるが、あまりおすすめしないね。厨房の火を落とした塔の寒さといったら、鼻息が凍るくらいだ」
「あなたがその変人だったわけですよね」
「テイラー、余計なことをいうな。そんなわけで、これから休みにする。ルベーグもいいな」
「ああ……そうですね」
石板のへりをなぞりつつ、ルベーグはどうみても上の空だった。
「聞いてるか?」
「聞いてますよ。休みにするんでしょう。ただその前にやっておきたいことがあるんですが。例の回路の細工に関して」
「罠でもかけるのか?」
「いや、ちょっとした餌を仕掛けてみようかと。アーベルに手伝ってもらっていいですか?」
「かまわんよ。ただ早くすませろ。居残りするな。いつまでも私の前に悪役面さらすと、眉毛が燃える回路を戸口にこっそり仕掛けるからな」
「悪役面ってなんですか。それに眉毛が燃えたらもっと悪い顔になるじゃないですか……」
「ルベーグはもとが良すぎる。そのくらいでちょうどいい!」
めちゃくちゃだ、とぼやきながらルベーグは立ちあがり、きちんと整理された棚の奥から何かを取り出した。
「アーベル、来てくれ」
ルベーグに頼まれた「ちょっとした仕掛け」を取り付けてしまうと、ついに俺たちは師団の塔から追い出された。仕方がない。俺はのろのろと王城の外へ向かおうとする。
「アーベル」ルベーグが呼びとめた。
「最近レムニスケートとはどうなってる?」
予想外の質問に、俺は不自然な間をあけてしまった。
「……忙しかったからな。何もない」
「つまり何かあった?」
「何もないっていったろう」
神経がいらだつのを感じながら、俺は性急にいう。
「でも、毎晩レムニスケートと会っていただろう。それが急になくなるなんて、何かあったと思うのが人情だろう」
ルベーグから「人情」なんて言葉をきくとは。人形めいたきれいな顔にはまったく似合わない。
「単に騎士団と直接の折衝が終わったから、自然になくなっただけだ」
こたえながら知らず知らずのうちにためいきが出ていた。
「そうか」ルベーグはこれといった表情も見せなかった。
「それならいいんだが、あの騎士――レムニスケートが来ていたものだから」
そんな話ははじめて聞いた。
「どこに? いつ?」
「ここに。夜、何度か。下から塔の窓を見ていた。気がついてもすぐいなくなってしまうものだから、どうしたらいいのかわからなくてな。何かあったのかと思った。もちろん、自分が関わるようなことじゃないんだが」
俺は言葉をなくした。
「……すまない。気にしてくれて」
「気にするさ。同僚なんだ。じゃあ、よい休暇を」
誰もいなくなった塔の周囲に北風が吹きつけていた。広い王城のなかでここだけがひどく寂しい場所に思える。
俺はローブをかきあわせ、フードを被った。寒さで自然と速足になった。
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