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【第1部 馬とピザと】第12話

 鞍に座っているのに、背後に他人の体温を感じるのはひどく奇妙だった。クレーレは俺を前に乗せて馬を駆ったが、祭りでごった返した城下を騎馬で行くのは人騒がせだという理由で王城に直結する早馬用の道を選んだ。  もっともな話だが、そもそもクレーレでなければその道は通れなかっただろう。元警備隊の騎士でレムニスケート家だからこそ緊急の名目で許可なく馬を駆れる。警備兵はクレーレの顔を一瞥しただけで、ひとことも発さずに道をあけた。  あらためて思い出すまでもなく、俺とクレーレはずいぶん立場が違うのだった。俺の両脇を抱くようにのばされた腕の温度を感じながら、理由のわからない安堵とかすかな落胆が胸の底を刺す。きっと、いつまでもこの温度を感じていられるわけではないのだ。  俺は埃よけに下ろしたフードの影で馬の首がリズミカルに動くのをみていた。 「どこへ回ればいい」 「東南だ。水路の出口へつけてくれ」  王城の東南は内堀から分岐した水路がのび、その上は暗渠になって城壁の中へ引きこまれている。水路といっても流れるのはきれいな水ではなく、城内で下処理された下水と雨水だ。だが下水は堰が開いたときしか流れないので、雨が降らないかぎり水路は溜まりになっている。つまりこの水は「動く水」ではないのだ。  馬を降りると俺はローブの足元だけトーチで照らし、暗渠に入った。水路の横に切られた敷石の細い通路を小走りで進む。数歩遅れで、暗がりにクレーレのブーツの踵が反響する。暗渠にはところどころに明かり取りが切られているが、漏れる光はほとんどない。もう日が落ちるのだ。  俺は迷わなかった。場所はわかっている。  突然強力な魔力の気配がたちこめた。暗渠の奥で淡い光がちかちかとまたたく。  俺はローブに手をいれ、金属糸を握りしめながらほとんど全力疾走する。暗渠の天井近くに銀色に光る網がひっかかっている。網の中で、金色の目をした獣が、もがきながら天井に何度も何度も、死にものぐるいで体当たりしている。暗渠の天井にはあの格子――デサルグや他の騎士と最初に城内を回った日に異常が発見された格子があった。俺の屋敷を逃げ出した精霊動物が罠にかかったのだ。  獣は爪をたて補強された魔術を引っかいているが、ありがたいことに歯が立たないらしい。仕掛けた警報が鳴ったのだから、格子の向こう側、王城の内部にも応援がいるはずだが、激しい音を立てて抵抗する獣と網にさえぎられて俺には見えない。 「ルベーグ、そこにいるのか?」  叫んだとたん、ほとんど目の前が真っ白にみえるくらい強烈な魔力――精霊魔術師の魔力が炸裂した。何もみえないまま、俺はローブの内側で握りしめていた糸を暗渠の地面に放りなげる。天井の格子が外れて転がりおちるのと同時だった。  瞬間、金属糸と光の網は反発しあい、獣は網ごと持ち上げられ、上へ吸い込まれていく。  なにやら大きな音がし、それから静かになった。  泣いているような、少年のような声が聞こえる。 「おい、ルベーグ? どうした?」  俺は格子が外れた跡から上を見上げた。いつのまにか背後にクレーレがいて、やはり上を見ている。その目がふと信じられないとでもいいたげに細められた。 「シャノン? なぜおまえがここにいる?」  すると泣き声が遠のき、上からルベーグの銀色の頭がのぞいた。 「アーベル、すべて終わった。上がってきてくれないか」 「つまり、警備回路の一連の異常と、アーベルの家がお化け屋敷になっていた原因は、最年少騎士のシャノンが――知らないうちに――持ち主になっていた精霊動物だった。この路線でいくから」  暖房が落ちて冷えきった塔で、エミネイターがテイラーに調書を書かせている。 「知らないうちにって通りますかね」 「精霊動物のことなんてこの国じゃ誰もろくに知らないんだ。うちのルベーグとアーベルが第一人者なんだから、とりあえずごまかせ」 「でもあの子、認めちゃってますよ……逃がしちゃったって……例の七カ所の位置も全部わかってたし、知らないうちにってのはねえ」 「上官に報告していないのは問題だが、それはうちの師団には関係ない。騎士団の問題だ。うちは原因がわかればいいんだ。だいたい、この国じゃ唯一の貴重な〈使い手〉なんだぞ。王立魔術団だってきついことはいわんだろう」  いけしゃあしゃあとのたまうエミネイターに思わず俺は突っこむ。 「訓練されてない使い手なんて、使い手とはいえませんよ」 「これから訓練するんだからいいじゃないか。あのぼんやりした予知だって、これなら合点がいく。精霊魔術師連中は予知の責任をとって何とかするさ。何が〈敏捷なもの〉だよ、まったく」 「わかりましたけど……何かあったらちゃんと責任とってくださいよ? 埋め合わせもね?」  ぶつぶついいながらテイラーは書類を埋めた。俺とルベーグ、クレーレは部屋の中で唯一温かい、お茶のコップで手を温めている。ローブをまとった魔術師と散乱した紙類のあいだで、背筋をまっすぐに伸ばした騎士服のクレーレはいかにもそぐわないが、本人に臆した様子はない。 「シャノンの一家は大陸の出なのか?」  俺は誰にともなくたずねた。ルベーグが答えた。 「いや、祖父の代に大陸へ移住し、父親の代で戻ってきたらしい。シャノンは戻る直前に大陸で生まれている。そのとき例の動物を連れて帰ったようだ」 「連れて帰ったというより、あれがシャノンについてきたんだろう」  俺はためいきをつく。あれは本来苦手な「動く水」つまり大洋を越えるまでしたのだ。 「あいつの潜在魔力、みんなあれが喰ってたんじゃないか」 「馬を扱うのが上手いとは思っていたが……」  ここしばらく、師団で大問題になっていた案件に部下が関わっていたと知って、クレーレは当初かなりの衝撃を受けたようだが、立ち直りも早かった。大変なことをしでかしたと泣きじゃくるシャノンの今後の処遇は冬祭りのあいだ棚上げである。しかし、精霊動物を隔離したとたんにシャノンから洩れた魔力量は異常に多かった。こうなれば少年は動物と一緒に王立魔術団行きだろう。だがシャノンにとっても精霊動物にとっても、王立魔術団預かりになるのが幸福なのかどうかはわからない。  シャノンによれば、騎士団に入ってからも手放せなかった精霊動物をこっそり王城の「中」で飼っていたという。しかし正確には、動物の方でシャノンの魔力を手放してくれなかったというべきではないだろうか。もっとも使い手の訓練を受けていないシャノンはつねに動物をそばに留めていられたわけではなく、頻繁にいなくなっては戻る、ということを繰り返していたという。いろいろな家をめぐっては餌をもらう猫のように魔力を喰い歩いていたのだろう。  たとえば俺の伯父の屋敷で。 「では、これで本当に休暇ということになるな」  エミネイターが作法もなくあくびをする。 「みんなよくやった。では、さっさと帰ってくれ。私は早く帰りたいんだ。休暇があけたらこき使うからな。それからレムニスケートは今後もよろしく頼むよ。これは貸しだからな」  高飛車な物言いに、その場にいた師団の者――俺もふくめ――は全員ぎょっとしたが、クレーレは表情も変えなかった。 「ああ、了解した」 「私はじゅうぶん恩を売ったと思うが?」 「重々承知してる」  俺にはエミネイターとクレーレの会話の裏にあるものがわからなかった。テイラーが眉をあげ、いったい何の話をしているんだ、とでもいいたげな顔をしたが、話はそれで終わった。  塔の外はもう暗かった。冬祭りの間、王族や貴族の一部が王都を離れて領地に戻っているせいもあり、王城にはいつもほど人手もないし、周辺のギルドも閉まっている。 「アーベルは城下へ戻るのか?」  ルベーグにたずねられたが、俺はあいまいに言葉をにごした。とりあえずそこらで食事をさがす、と答えたとたん、クレーレに腕をとられた。 「騎士団の食堂に何かある」 「あ、ああ……」 「行こう」  俺は流されるようにクレーレへついていった。視界のすみで、ルベーグがおもしろそうに微笑んでいたような気がした。

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