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【第3部 荒野に降る】第1話
騎士団の訓練場から威勢のいいかけ声が響いた。
金属と金属がぶつかりあう音のリズムが心地よい。
俺は視界を狭めるフードを上げ、剣戟の方向を向く。午後の日差しに何本もの剣がきらめいていた。隊列を組んで振りや突きの基本をくりかえす者たち、少し離れて二人一組で攻めと受け流しの型を稽古する者たち。いつもより人数が多かった。御前試合が近いのだ。自主稽古をする騎士が増えているにちがいない。
庭園の塀の上からは訓練場がよくみえた。ふつうここにいるのはカラスくらいだろう。魔術師の暗色のローブはカラスを連想させるところはあるが、師団の一員でなければ、あそこで剣を振る騎士たちに不審者として追いかけられるはずだ。
俺は離れて稽古する二人組に注目する。一方は体格も姿もいいが、もう一方はそれを上回る巨人だ。どちらも簡単な防具を付けただけで、ものすごい速さで剣を交わしている。速いリズムで打ちあう音が小気味よく響く。剣の技術に無知な俺にもただの型稽古ではなくなかば本気の取組だとわかる。
訓練場でも周囲に見物が集まっていた。巨人の方が体格の差だけ有利にもみえるが、もう片方の動きはもっとめざましい。わずかな動作で隙をつき、相手を追いつめにかかる。
「あー? あの優勢な方、きみの騎士じゃないか、アーベル」
「そんなのじゃない」
いつの間にか横で同じようにフードを上げて見ていたテイラーが肘でこづいた。俺は無表情で受け流そうとした。少なくとも自分の意識の上では。
「また、照れてるなあ」
「だから、俺のとかそんなのじゃない」
「へえ」
テイラーは口笛を吹き、塀の下にいる庭師がぎょっとした顔でこちらを見上げた。
庭園は王宮とじかに接し、外側を区切る塀はびっしりと蔦に覆われている。蔦のカーテンの裏側には何十年も前に組まれた回路が隠れているが、この魔術を理解しない者にはただの古びた文様に見えるかもしれない。実際俺たちは冬にこの文様の上に別の回路を上書きしたから、以前の回路はほんとうにただの模様になってしまった。だがこの模様は、それまで何十年間も王宮の守りとして機能し、漏れもなかった。
新しい回路は小さな構造体を分散して塀の頂上部へ仕込む設計となったので、点検のときも俺たち師団のローブがうろんな感じで庭園をゴソゴソして壁をいじらなくてすむ。さらにこうして上から訓練場を眺められるというわけである。
「へえ、やはりレムニスケートは強いんだなあ。いいじゃないか。堂々と俺のっていえば」
「頼むからやめてくれよ……」
「おもしろいねアーベル君」
反応すればするほどテイラーを楽しませるのは百も承知なのに、赤面してしまった。俺はクレーレとデサルグ――防具で顔はわからないが、あれほどの巨人はほかにいない――から目をそらし、フードをかぶりなおして顔を隠した。点検が終了した基板は元の位置できちんと作動している。大陸記法を使って設計したおかげで連続体の破損もさがしやすい。
剣戟とかけ声はまだ聞こえている。騎士の一方がクレーレなのはひとめでわかっていた。防具を装備しても、背中や腰の姿かたち、動きからにじみ出る雰囲気が教えていた。
剣を自分の延長のようにあやつるクレーレの体はしなやかで、とてもなめらかに動く。優美なパターンを描いたと思うと、突然予想のつかない剣を出して相手を翻弄する。まるで対象がものすごくゆっくり動いているかのように相手の動きにやすやすと追いつき、そらし、食いとめ、受け流す。そしていつのまにか懐近くに入り、急所に剣をつきつけるのだ。
クレーレは魔力が少ない方だ。俺のような魔術師はこの世界をあらゆる動物がもつ魔力の流れで描こうとするから、必然的に魔力の多い生き物に惹きつけられる。精霊魔術師たちがお互いにしか興味を持たないのもそのせいだ。しかしクレーレの動きは、魔力なんてつまらないケチなものだと思わせるくらい、魅力的だった。痩せてみえるが服の下には厚い胸板があり、強靭な肩と腰、太腿へつながる。
ひいき目ではなくクレーレは強い。そう思ったとたん、昼間から想像すべきでないことが脳裏をかすめ、俺はフードの下でまた赤面した。
「なんだ、もう見なくていいのかい?」
のんきな口調でテイラーがたずねてくる。勘弁してほしい。
「見物じゃないんだ。ここでの作業は終わったろう」
「お、手を振ってるよ!」
つられて俺はまた訓練場の方をみてしまった。デサルグとの手合わせを終えたらしいクレーレがこちらを見て、軽く手を挙げている。テイラーも俺も似たようなローブを着ているから、本当に誰が誰だかわかっているのか怪しいものだ。と思いつつも、俺もクレーレに向けて同じように手を挙げていた。
防具に包まれた頭がかすかにうなずく。
「あんなでかいのに勝てるんだな。さすがだねえ。しかし彼、僕が王宮詰めになって残念がっているかな。やっぱりきみが王宮に来るのを期待していたと思うんだ」
「仕事だから関係ないだろう。だいたい俺がそんなことになってみろ、それこそ塔の作業が止まって、大変になるのはそっちだ」
「早く他の連中が大陸記法を覚えてくれればいいんだが。僕が王宮詰めになると指導役もきみとルベーグだけだしなあ。ルベーグは教えるのに向いてないし」
あいつどうして人に教えるってことができないんだろうな、とテイラーはぼやきながらまた訓練場をみている。彼は今日から、王宮の一角に新しく設置された師団詰所の責任者に任命されていた。
第一王子アルティンの婚約に関連した公式行事の数々――隣国のお姫様の歓迎式典、婚約の式典、お披露目舞踏会、きわめつけは騎士団総出の御前試合――を目前にして、回路魔術師と王宮、それに騎士団との連携を強化するため、ついに師団の塔は王宮内部に事務所を持つことになったのだ。
上司のエミネイターが愚痴とも文句ともつかない話を頻繁にするせいで、俺はクレーレがこれをせっせとエミネイターに働きかけていたのを知っていた。さらに別のところから漏れきこえた噂によると、詰所のトップを誰にするか、幹部たちのあいだでかなりもめたらしい。
詰所の責任者は師団の塔と王宮の連絡役になり、王宮内の会議にも出席するため、幹部クラスかそれに準じる者でなくてはならない。幹部の椅子に一番近いルベーグが当初挙げられたが、本人が断ったという。なぜか俺の名前も出たらしいが、結局決まったのはテイラーだった。
俺は内心ほっとしていた。おそらく王宮詰めはかなり政治力の必要な仕事になるだろう。塔で回路や数字を扱うのとは次元がちがう職務になる。それにテイラーがいったように、今では俺は他の連中に大陸記法を教える役目も担っていた。師団の全員が大陸記法を習得するよう幹部が決定したのだが、これで王宮詰めになった日には眠る暇もなくなってしまう。
しかも王宮に日参すれば、絶対にクレーレとどこかで出くわすにちがいない。
「いや、なんたってきみの騎士なんだよ。ふたをあけたら僕が担当になってしまって、ほんと恐縮してるよ。それに王宮の人たちだってきみを見たいと思うんだよね。堅物の訓練馬鹿で有名だった若い方のレムニスケートがついに――」
「頼むからほんとにそういうのやめてくれよ……」
能天気にからかいつづけるテイラーに、俺は閉口してつぶやいた。
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