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【第3部 荒野に降る】第2話

 本来、クレーレは堅物の訓練馬鹿ではない。  そんなことは俺にはとっくにわかっている。クレーレの敏速で確実で自信に満ちた判断は、剣で打ちあうときにだけ発揮されるものではない。職位は今も近衛隊の一隊士にすぎないのに、第一王子が専属護衛でもないクレーレを何かと重宝するのは理解できた。家柄のせいだけではないだろう。複雑な事柄の飲みこみが速く、観察力もするどく、問えば根拠をきちんと示しながら答えてくれるし、判断には信頼感がある。さらに剣もたつのだから、身近にいてほしいのだ。  俺にとってもアルティン殿下がクレーレの価値を理解できる人なのは嬉しかった。権力者は正しい判断をする人間を遠ざけたり、逆に反発する場合も多いからだ。  加えて俺にはクレーレが堅物だともまったく思えなかったが、これはもちろん女性との噂がなかったせいだろう。それがいまやクレーレは、職務に影響しないかぎり何かというと俺を連れ歩き、ひきずりまわし、隙をみてはべたべたとくっついてくる。堂々とした態度に気圧されるのか、周囲も何もいわない。アルティン王子が公認したとかいう馬鹿げた話のせいもあるのだろう。  そして俺もクレーレのこういう態度が嬉しいのだから、始末におえなかった。 「先発隊といっても、立派な行列だ」  城壁の陰から列を眺めながら、クレーレが俺の肩に腕をまわした。  隣国の先発隊が城下から馬車をつらね、王城の門を通り抜けている。警備隊、それに城下民の見物客が周囲に群がっている。 「なんといっても王女様だし、持ち物も多いんだろう。商人も同行している」  クレーレはいつも体温が高かった。今日はぽかぽかと暖かい春の陽気で、ローブの上からクレーレの温度が伝わってくると、暑いくらいだ。  俺はクレーレに肩を抱かれたまま、壁に設置した回路が余計な武装を無効化するのを観察していた。その回路は通りぬけた本人の魔力を使って作動しているのだが、魔術師でもないかぎりそんな微細な流れには気づかないだろう。  肩口までのびた俺の髪をクレーレがいじる。そろそろどうにかしたほうがよかった。 「髪、切るか……」  何の気もなくつぶやいたら、クレーレは動きをとめて「どうして」とささやく。  低い声が耳元をかすめ、ぞくりとする。 「伸びすぎだ。ずっと切ってないんだ」 「このままでいい」 「みっともないだろう。おまえの馬のたてがみの方がましじゃないか」 「そんなことはない。すごく――触り心地がいい」 「おい、」  俺は文句とも抵抗ともつかない声をあげるが、髪から首筋をなでてくるクレーレの手のひらに抗えない。困ったことだと思う。  この手がなくなる日がきたら、俺はどうなるというのだろう。  隣国の王家の紋が入った馬車が何台も通っていく。ふと俺は近づいてくる魔力を感じた。行列の最後にはっきり光輝がみえるほど強烈な魔力だ。行列の最後で馬に乗った人物から洩れていた。精霊魔術師が同行しているのだろうが、こんな形で来るのはめずらしい。この国でも隣国でも、精霊魔術師はほとんど乗馬しない。しかもこの気配には覚えがあった。 「アーベル?」  不思議そうにクレーレが声をかけてくるが、俺は無意識に行列の方向へ足を踏み出していた。車輪が舗道の小石をとばしながら通りすぎ、軽やかな蹄の音と共に馬が近づく。行列の見物などいないかのように馬上の人物がくっきりとみえた。濃紺のローブに映える濃い金髪が日光にきらめく。  俺が相手をわかったのと同時に、向こうも俺がわかったらしい。  馬が速度を落として俺の方へ頭を向けた。 「知った気配がすると思ったら、アーベル――こんなに早く再会できるとは思わなかった」 「……エヴァリスト」  俺はなつかしい名前をつぶやき、立ちつくしていた。

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