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【第3部 荒野に降る】第3話

 馬上のエヴァリストは、以前と同じように唇の端をゆがめた皮肉っぽい笑顔を向けている。俺が唯一知っている、精霊魔術も回路魔術も操れる男。それなのにどんな魔術師の組織にも所属したことがない。 「こんなところで何をしているんだ。いつこっちへ渡った」  自分の声がいささか喧嘩腰になるのを止められなかった。 「ついこの前だよ。すぐに都合のいい商売がみつかったので、ここまで来たんだ」  いい馬に乗っている。この男は身の回りに極上品をおくのが好きなのだ。俺は苦い味を噛みしめた。奴は魔術を使うくせに騎士のような姿勢で武器もとる。しかしその中身はといえば、骨の髄まで商人だった。 「護衛?」  俺は入城を終えつつある先発隊へ顎を向けた。 「まさか、そんなたいそうなものじゃない。ちょっとした便利屋のかわりさ」  エヴァリストは明るい声でいう。俺は「そうか」と儀礼的に相槌をうちながらフードをおろした。この腹立たしいくらい魅力的な笑顔をあと一秒でも見ていたくなかった。なにかしでかしてしまうかもしれない。 「アーベル、王都に住まいがあるんだろう。つもる話もあるから――」 「俺にはない。達者でな」  ほとんど逃げるようにふりむき、城壁へ向かって速足で進む。突然横から腕をつかまれた。クレーレの騎士服が俺を覆い隠すようにすぐそばを歩いていた。並んだまま足早に師団の塔に近い北門の方向へ城壁を回りこむと、俺の腕を引いて足をとめる。  フードの下をのぞきこまれた。 「知り合いか?」  低い声がたずねてくる。 「大陸での、昔なじみだ」  俺は短くこたえた。いまはエヴァリストについてそれ以上の言葉は出なかった。そもそもクレーレに聞かせられる話ではない。 「――塔に戻る」  クレーレは眉をひそめて俺をみつめたが、おもむろに肩をひきよせ、ひたいに乾いた唇を押しつけて「あとで夕食をいっしょに食べよう」とささやいた。  俺が返事をためらうのも見越していたように「いいだろう?」と駄目押しする。他の人間なら甘ったるい仕草に笑ってしまうところだが、最近の俺はそんな余裕をなくしてしまった。クレーレにそんな風に出られるとまるで対抗できなくなってしまう。  本当に困ったことだ。俺はますますクレーレを好きになる。 「大陸で流通しはじめたという新型武装について、直接話を聞きたい」  翌日、俺はなぜか王宮で第一王子アルティン殿下じきじきの質問を受けていた。  王宮に新設された師団の詰所にテイラーから呼び出され、しぶしぶ向かったのだが――何しろ集中が必要な作業の真っ最中だった――現地で待っていたのは見知らぬ近衛騎士だった。きらびやかな騎士服を着て、おもしろくなさそうな仏頂面だ。 「アルティン殿下のお召しだ」という。  口にこそ出さなかったが、テイラーの目は明白に「僕じゃなくてよかった」と語っていた。まるで俺が人質にとられるかのようだ。いったい何をさせられるのかとびくびくしながら俺は騎士についていった。  王宮はこの国の中枢で、当然のことながら回路魔術でがっちり守られている。壁の装飾や床のタイルなど、そこかしこに魔力をとりこんだ回路がはりめぐらしてあり、前を歩く騎士や俺が通りすぎるたびにさわさわと〈〈力のみち〉〉が動く。俺はおのぼりさんよろしくきょろきょろしそうになるところをなんとか自制する。  回路をつくったのも管理するのも俺たちなのに、ここまで中枢となると、直接現場に入れる者は限られている。図面では知っているが無意識のうちに観察せずにはいられない。  三つほど、意匠に隠された回路に流れの悪い箇所があるのが気になる。テイラーに教えてやらなくてはと心にとめて、ふと前をいく騎士が俺をふりむいているのに気がつき、あわてて足を速めた。 「めずらしいだろう。普通ならこんな奥まで入らせないものだ」  軽い嘲笑まじりの口調に、この便利屋ふぜいが、という意識が透けていたが、気にならなかった。俺は軽くうなずくだけにする。  貴族というのはだいたいこんなものだ。横ならびの狭い輪と排他意識の中にいる。クレーレのようにどこでも気さくに庶民に接するほうが変なのだ。もっともレムニスケートは他の貴族がつくる狭い輪からひとつ上に抜けている。それゆえの規格外かもしれなかった。  大陸を旅していたころ、何年間というもの、俺とエヴァリストは前をいく近衛騎士のような連中にさまざまな装置を売りつけていた。商品の内容を理解せずに良い結果だけ欲しがる人々はいいカモ――ではなくよい客だ。俺は魔術装置の製作では一度たりともヘマをしなかったし、エヴァリストは取引先の上流階級に対して完全にぬけめなくふるまったから、俺たちが一緒にやっている間、相手に出し抜かれたことは一度もなかった。俺が出し抜かれたのはそれこそ、エヴァリスト本人だけだ。  思い出すとムカついてくる。俺は前方を歩く近衛騎士の豪華な剣をながめて意識をそらした。 「貴下がアーベルか。呼びつけてすまない」  やっと到着した執務室で、第一王子のアルティン殿下は噂にたがわず立派な指導者の雰囲気を漂わせていた。美丈夫だと知っていたが、絵になるなあ、と実物を前にして俺は思わず感心した。隣近所のおばさんですら、祭りの露店に出る殿下の絵姿を欲しがったわけだ。  殿下は回路魔術と王宮警備について問い、俺は冬に更新したばかりの警備装置の仕組みをかみくだいてざっと説明した。テイラーがこの手の質問には答えているはずだと思ったが、こういう話をするのは嫌いではない。そのうちに熱がこもって、執務室の手近な意匠にも魔術が隠されているのだと、直接手にとりながら示す。  聞いている殿下も退屈した様子もなく、的を射た質問を重ねてきて、たしかにこの方は英明なのだと俺は思わざるをえなかった。  やがて殿下は満足したらしく、腕を組んで「想像していたよりずっと複雑で、興味深い話だ」という。 「クレーレが貴下を評価するのもわかるな。とても説明がうまい。回路魔術自体がこんなにおもしろそうな話だとは知らなかった」  クレーレの名前に俺は思わずひきつった。  殿下は見過ごさなかった。 「そんな顔をしなくていい。レムニスケートは見る目があるといっているだけだ。私は何も気にしていない」 「――はい」  黙っているのも無礼なので俺はなんとか応答する。 「じつはここからが本題なのだが、貴下は大陸で長く過ごしたらしいな。大陸で流通し始めたという新型武装について直接話を聞きたいのだ。連発式の銃が開発されたらしいが、知っていることはあるか?」  嫌な予感がした。この国にいま、そんな情報をもたらしそうなのはひとりしかいない。  エヴァリスト――あの男はいったい、何をしに来たのだろう。

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