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【第3部 荒野に降る】第5話
「アルティン殿下とは…どうだった?」
クレーレの声が湿気でこもってきこえた。
「ああ。連発銃のことをたずねられた。最近大陸から隣国に運ばれて、流通しはじめたらしい」
「銃、か」
水音が響いた。クレーレが、訓練で汗をかいたからと仕切りの向こうで湯をつかっているのだ。近衛隊の宿舎は警備隊が入る宿舎よりさらに手厚く、続き部屋のうえ浴槽までついているし、まだ日があるのに入浴できるとは驚きだ。
騎士でもないのに立ち入るのはどうかと俺は思ったが、クレーレは意に介さなかった。とはいえここなら周囲にあまり聞かれたくない話もできる。だから俺は話した。
「連発機構そのものは二年ほど前に発明されているが、実用化されたのは俺が大陸を離れたころだ。大陸では新型銃の取引で儲ける商人が湧いて出るころだろう。まあ、この国にはすぐには影響がないだろうが」
この部屋は長椅子の詰め物も厚くて心地よい。師団の宿舎とは天と地ほどの差だ。仕切りの向こうから水音がたち、浴槽を出る音が聞こえる。
「隣国で流通するなら、影響がないということはありえないだろう」
「今のこの国では使えないからな」と俺はこたえた。
銃は、この国では存在しないも同然に扱われている。理由は簡単だ。
この国では、銃砲は自動的に無効化される。これこそがこの国を守る最大の回路魔術で、俺のじいさん――魔術師ゼルテンの遺産だ。
もっとも善良な一般庶民はこの国で銃が使えないという事実すらほとんど知らない。それは銃を禁じている王家のせいだった。鉄や火薬にかかわる者たち、鍛冶屋や鉱山師は知っているが、どちらも王家や貴族、ギルドが把握する職人で、銃を禁じる王家に忠誠を誓っている。それに、使える使えないに関係なく、銃の販売許可はどんな貴族にも大商人にも与えられていない。
この国で使える武器は剣だけだ。石弓のような飛び道具も王家は許可していないが、ああいった武器は銃にくらべるとひと目につきやすく、取り締まりもたやすい。
最初に銃がつくられたのは遠い東の国だといわれている。小型の投石器や石弓と同様に一人で扱える大きさであると同時に、大砲のように火薬で鉛弾を飛ばす武器――しかし、古くから存在するわりに、銃はずっと戦いの主役になれなかった。火薬を爆発させ、圧力で細い筒から鉛の弾を発射するという仕組みは大砲と似たようなものだが、連射する機構がなかったのだ。しかも壊れやすく扱いが難しかった。熟達しないと撃ち手が怪我をしがちだし、熟練者でも命中率が高いとはかぎらない。
そこで多くの場合、銃は大規模な集団戦で密集した歩兵隊によって使われた。歩兵は横手を騎馬に護衛され、隊列を組んでひたすら前方へ銃を撃ち、敵の部隊を切り開くのだ。これなら狙う必要もない。しかし銃歩兵によって戦場は剣や騎馬の戦いより陰惨さを増した。兵士は撃たれれば剣を振る反撃も許されず、ただうめいて死んでいく。
先の戦争ではこの国も銃歩兵隊を持っていたが、ある時点で消滅したという。回路魔術師のゼルテンが銃や大砲を無効化する装置を作ったからだ。この回路魔術はきわめて強力で耐久力があった。ゼルテンがこの国を出奔しても、師団が手を加えなくても、まだ動いているのだ。回路の構成は暗号化され、いまだに破られていない。暗号を解くためには膨大な計算が必要だから、仮に解き方がわかったとしても、計算をしている間にこの国は別の手をうつことができる。
これこそがこの国を守る回路魔術の最大の成果だった。これにくらべたら、防備のために作られたそれ以外の回路魔術――錠を補強し、監視し、敵を判別し、自動的に排除する――はおまけのようなものだ。
『先日から気になって、私も回路魔術のことを調べた』
王宮でアルティン殿下にかさねて尋ねられたことを思い起こす。
『貴下がよく知るように、この国は二世代のあいだ、王宮で存在が忘れられるほど強力な魔術で守られている。しかしこの魔術はずっと保つのだろうか? 今回知らされたような新しい武器に対しても?』
『いまのところ、この魔術を破る手立てはないでしょう』
返答は慎重にならざるをえなかった。
『しかし、誰にも永遠の保証はできません。また連発銃については――』
俺は脳裏にエヴァリストの顔を思い浮かべる。
『おそらく現物を調べたほうがいいでしょう』
天井を眺めて考えながらいつのまにか目を閉じていた。気配を感じてまた目をあける。クレーレが俺の隣に腰をねじこんでくる。簡素だが上質な服を雑に羽織っただけで、長い脚や広い肩をひけらかすようにして前も留めず、髪についた水滴を拭っている。どうしてこの男は裸を他人にさらしても平気なのだろうか、と俺はぼんやり思う。騎士団員というのは全員こうなのか。
「それで殿下には最後にひとつ、調べものを個人的に頼まれた。いきなり呼び出されたから、いったい何事かと思ったけどな」
第一王子の個人的な頼み事だから、相手がほかの人間なら口を閉じているべきだ。でもクレーレには知ってもらうべきだという気がした。長椅子の幅は広いのに、クレーレは腰を密着させてくる。
「アーベルが信頼されたということだろう。よかった」
「それに殿下の人気の理由がよくわかったよ。さすが露店で絵姿が売られているわけだ」
「そうか」
クレーレの腕が俺の肩に回され、抱きよせようとする。石鹸の匂いがして、髭をあたったばかりの顎が首筋に触れてくる。
「まだ日があるから、よせ」
俺はつぶやくが、俺の半分はすでに期待していて、半分はこのまま押しのけろとわめいている。クレーレはそんな俺の葛藤をしってかしらずか、あつかましく耳元でささやく。
「キスだけだ。いいだろう?」
「……だめだ……」
言葉とは裏腹に気の弱い口調になってしまった。クレーレの吐息が重なってくる。この男は少しだけといいながら、いつも深く唇をあわせてくる。頭の片隅はやめろというのに、俺はクレーレに逆らえない。
クレーレと肌を合わせると、いつもかすかにうしろめたい気持ちがつのってきて、それが俺を逆に興奮させてしまうのだ。侵入してきた舌が歯のあいだを遊ぶようになぞり、背筋をぞくぞくさせる。からまって深く吸われる。鼻から妙な音が漏れる。
「アーベル…」
クレーレに名前を呼ばれるのが好きだった。ここに居てよいのだと思わせてくれる、俺を求める声が嬉しかった。俺は腕を回し、もっと深く唇をあわせる。体の中心がうずきはじめ、頭の芯がぼうっとして、奥にひそむうしろめたいつぶやきを消してくれる。
俺がこの国でずっとクレーレと共にいるなどできるはずがない。俺のような流れ者と、この国にしっかりと根を張ったクレーレの立場は相いれないだろう。ゼルテンは回路魔術師を集めて師団を作ったにもかかわらず、そこに留まることができなかった。ゼルテンは戦争に勝利したのに、その結果、自分が王国の仕組みに取りこまれることに我慢できなかったのだ。ふたりの息子、俺の父親も伯父もこの気質を受けついで、自分のやり方で放浪して生きた。父は旅の中で死に、伯父は市井の魔術師として。
そして俺は――どうなるのだろう。
クレーレは俺を長椅子に押し倒し、俺たちは足を絡ませながらさらに深く口づけする。夕方の光が窓から落ちるが、俺はかたく目を閉じている。クレーレの腕は俺に平安を与えてくれる。それはまるでこの国そのものであるかのようだ。豊かさと平和。
ゼルテンの魔術がなくても、この国はいまのように平和で豊かでありつづけただろうか?
俺にはわからなかった。この国は、北に針葉樹の森におおわれた山地をひかえ、西には明るい広葉樹の森と放牧に適した高地を抱いている。鉱山資源もあれば、交易に適した地の利も得ているし、中央部の農地は森から流れる川でうるおされる。さらに東と南に接する隣国は海に接し、大陸との交易が盛んだった。先の戦争で隣国はこの国を併合しようとして失敗し、敗退すると同時に統治者も変わった。
以来ずっと、奇跡のような平和が保たれている。どうしてありえたのかわからないくらいの平和と繁栄。二世代にわたり、もはやクレーレのような騎士が不要ではないかと感じられるほどの。
だがひとも時代も変わるのだ。武装がなくなる日は来ない。
俺はこの国のようになれない国や人々を、大陸のいたるところでみた。そんな人々に、俺とエヴァリストは、回路魔術の装備を売ったのだった。
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