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【第3部 荒野に降る】第8話

「うわあ、すごいな。なんて家だ」  屋敷に一歩入ったとたん、エヴァリストは上下左右にぐるぐる視線を向けてはしゃぎはじめた。 「なんて楽しいんだ! 歌っている!」  そしてはりつくようにして壁や床を検分しはじめる。いくら上質の服を着ていようが首の上に美貌がついていようがこれではただの変人にしかみえず、俺は苦笑した。エヴァリストには〈力のみち〉が俺よりもよくわかるのだ。伯父がこの家に蓄え、はりめぐらしている葉脈のような流れがとてつもなく生き生きと感じられるのだろう。どんなふうに〈力のみち〉を感じるのかは人によって異なるが、エヴァリストにそれは「聴こえる」ものらしかった。  なつかしい嫉妬を感じた。この気持ちこそが何年ものあいだ、俺がエヴァリストに惹かれていた理由のひとつだった。好敵手として、仲間として。  居間に通すとエヴァリストはすすめもしないのに、俺が定位置にしている長椅子にさっさと座る。 「いやあ、いい家だねえ。さすがは回路魔術創始者の直系だ。アーベルのしるしもかなりあるね。いじったの最近?」 「改装したからな」 「こんな素敵な家があるなら、王城で働くのかったるいだろう」 「そんなこともないさ」 「何か出してくれるならお茶ではなく酒を――」 「あんたに出すものは何もない」  俺は自分だけワインを注ぎ、残りをエヴァリストの手に届かないところに片づけた。うっかりやつのペースに呑まれないようにしなければならないが、酒抜きでは耐えられない。エヴァリストは不満そうに目をまわしたが、すぐに表情を切り替え、にやりと笑った。 「アーベルと僕の仲で何もないってことはないよ」 「――あんたと俺の仲だからいってるんだ。さっさと用件をいえ」  ふうんとエヴァリストは小首をかしげながら一発目のジャブを放つ。 「よりを戻さないか……ってさ。そう思ってはるばる大陸から――」 「嘘をつけ」  俺は立ったままイライラとさえぎった。 「そんな、頭ごなしに否定するなよ。アーベルと離れてわかったけど、きみほど腕がたつ人間なんてそうはいないんだ。僕は間違っていた」 「エヴァリスト、あんたはそんなタマじゃない。ほんとうの用件をいえ」 「アーベル、きみとは何年もつきあったけど、いまだに僕について誤解があるだろう?」 「間違ってた、なんてしおらしく認めたりする人間じゃないことはよく知ってる」 「ええ? 僕だって過ちくらい認めるさ。それにしても、昔はあんなに可愛かったのにきみもいうようになったなあ……だけど僕たちの組み合わせって最高だったよね?」  やはりこいつを屋敷に入れたのは間違いだった。 「あんたに関しては、よりをもどすなんて、ありえない」  俺ははっきり音節を区切る。エヴァリストはどこ吹く風だ。 「最近勘定を見直してわかったんだけど、きみと組んでいた時がいちばん儲かっていた」 「そんなの当たり前だ。一度も失敗していないんだから」 「ほらね、勝率十割だよ! きみみたいにソロで回路組んで納品できる魔術師なんてめったにみつからなくてさ。たまにいてもむくつけきおっさんだったりするから趣味に合わない」 「あんたは精霊魔術も使える両刀なんだから、設計も試験も販売も全部自給自足しろよ。そもそもあんたのせいなんだ。――俺の特許を盗んだくせに」  ちょっとした沈黙がおちる。エヴァリストが唇をなめる。やつがこの程度で動揺するはずはないと俺は思う。エヴァリストは嘘つきではないが、人の心を読み、先回りして人を操るのが好きなのだ。そして何かのはずみにあっさりと裏切る――ことがある。 「あれは悪かったと思っている。行きがかり上ね……」 「あんたが俺にしたことで、許せなかったのはあれだけだ。弁償はもらったから、もういい。終わりだ」  俺は苦々しくつぶやいた。伯父の死をきっかけに大陸を離れるとき、いちばんの足止めになったのはこの交渉だったのだ。 「何度も浮気したし」エヴァリストはよけいな一言を付け加える。 「浮気だとも思ってなかったくせに」と俺は返した。 「まあね――さすが僕をよくわかってる」  エヴァリストは笑った。とてもきれいな笑顔で。  そう、こいつは頻繁に男女かまわず――この男はこっちも両刀なのだ――ひっかけていた。どちらかといえば一夜かぎりの関係を好む人間だったのだ。そんなところは俺の趣味とは違っていたのに、大陸で俺たちは何年も関係を続けていた。常人ばなれした魔力や切れる頭に対して嫉妬しながら、俺はエヴァリストの孤独に惹かれていて、離れられなかった。  結局は、こいつの得意ないつものおしゃべりなのだと俺は思う。エヴァリストと組んでいた期間が楽しかったことは否定できない。俺たちはほうぼう旅をして滞在先で大金を儲けたが、どちらも定住しようとはいいださなかった。ふたりとも大陸で根無し草だった。 「あんたは――誰かとずっと一緒にやっていくなんて、そもそも無理なんだ。あきらめろ」 「ひどいなあ。それはそうと、ちょっと飲ませてくれ」 「本題に入れといったろう」 「一杯くれれば話す。よりを戻すはともかく、きみに知らせておきたいことがあるんだ。実際のところ、詫びのしるしでもあるから、きいてほしい」  まったく、話が矛盾していないか? だがこれもいつものエヴァリストのやり方だ。ちょいちょいっと物欲しげに手を動かすので、俺はあきらめてもうひとつグラスを取り出し、ワインを注いだ。エヴァリストは満足そうに一口飲むと、もったいぶった動作でグラスをおき、上着をひらく。外からわからないよう巧妙につくられた隠しをさぐり、二の腕ほどの長さの布包みをとりだすとテーブルに置く。 「これにきみのしるしが入った回路が使われている」  俺は眉をひそめた。嫌な予感がした。  肘掛椅子に座って布の上からながめる。手を伸ばすのをためらう俺に「罠はない」とエヴァリストがつけくわえたが、思い出して手袋を取り出し、はめた。包みの中身は堅く、重い。布をひらくと黒光りする鉄が現れた。  銃だった。  連発銃だ。

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