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【第3部 荒野に降る】第9話

「これが、分解した基板」  エヴァリストは小さな金属をべつの隠しから取り出した。 「ちょっとヤバいので、はずしておいた」  ちらりとみて俺は思わず声をあげていた。 「これは――失敗作だろう」 「うん、きみが設計した時点ではそうだったが……なんと僕を出し抜いて、これを改良して実装した人間がいるんだな。で、これが何をできるかというと、聞いてびっくり」  俺はエヴァリストの冗談めいた言葉を聞いていなかった。基板をもつ指が震えた。それは俺が以前、個人の武装に回路魔術を装備するためのいわば「汎用回路」を作ろうとして失敗したもののひとつだった。だが一部が改造されている。俺が見切った箇所を回避して、別の何かに作り変えられている。うっすらと知らない魔術師のしるしもある。それでも回路全体にはっきりと、まごうことなく浮かびあがっているのは俺の署名だった。 「これ、なんだ? 何をやってる?」 「僕はそれをたしかめに来たんだ。この銃はこの国でも――撃てるよ」  聞き耳をたてるものなどいるはずがないのに、いつのまにかふたりとも小声になっている。 「ゼルテンの魔術で無効化されないんだ。確認した」 「どうやって暗号を破ってるんだ? 設計した俺にもわからないなんておかしいだろう」  俺は自分でも驚くほど狼狽していた。 「――ちょっと待て、これは――この銃は何丁あるんだ?」 「基板は全部で三枚だった。僕は単体の基板と、実装されたこの銃までは大陸で回収したが、三枚目はみつけられなかった」  悔しさが胸の内側をせりあがってくる。俺はワインを飲み干して注ぎ、エヴァリストのグラスにも注ぎ足した。 「――これやったの、どこのどいつだ。いやその前に、どこから流れた?」 「だからそこが……僕がきみに会いに来た理由でさ」 「まさか――あんたのせいか?」 「最近僕はすこしうかつになってたみたいでね」  きみが捨てたのを拾ったけど、盗まれちゃってさ。エヴァリストはうしろめたそうにつぶやく。  瞬間的に怒りがわいた。だが、めったにみないエヴァリストの表情に怒りの行く場がなくなった。出し抜かれるのが大嫌いな男だ。さぞかしプライドが傷ついたのだろう。 「……それでこんなところまで追ってきたのか。そいつを」  そしてエヴァリストは、俺がいちばん聞きたくなかった仮定を告げる。 「アーベル、もしこれで、ゼルテンの装置が破壊されたらどうなる?」 「王都の防備の前提が壊れる」 「しかも今、この国に銃を売りたいっていう人がいてね……」  俺はワインの瓶をもちあげ、残りを目ではかった。もう飲まずにはやっていられないが、飲みすぎるとまずい話になっている。 「俺はてっきり、その話を持ちこんだのこそあんただと思っていた」 「おや、知ってたの?」 「ああ、連発銃が――」アルティン殿下の依頼を口に出しそうになり、自制した。 「銃がこの国で有効になれば…武装を変えなくてはならないだろう」 「この国の騎士も剣だけではやっていけなくなるさ。今回僕はただの〈目〉だが、必要になれば商売はする」 「あんたのそういうところが、俺は嫌なんだ」 「ああ、そうだね。アーベルは……戦争が嫌いだからね」  エヴァリストは酒を飲みながら、俺を流し目でみた。歌うように暗誦する。 「常備軍は廃されなくてはならない。兵とは、有事のときに真っ先に死ぬために国が用意する集団だが、人が殺し殺される資源や道具として国のために使われることは、人が人として生きる権利と調和しない。――きみの好きだった言葉だよ。だからこの国にずっといるのかい? この国の兵士は――他国と戦う必要がなさそうだ。今のところ。一年近くもきみが一カ所に腰を落ちつけているなんて、信じられないよ。それに聞いた話だと、恋人が騎士なんだって? しかも貴族だって」  そして爆笑した。  笑いつづけるエヴァリストに俺は不意をうたれ、腹を立て、さらに不覚にも赤面した。 「笑うな。どうしてそんなことを知ってるんだ」 「アーベルに会うために聞きまわってたらすぐにわかったよ。もともと僕の命綱は情報収集だし、きみのことだと思うと見過ごせないだろう。でもなに、もう城でも有名なんだって?」  こんな話になるとは思っていなかった。ワインが顔に上がってくる。エヴァリストはおもしろそうに目をみはる。 「おやおや、へえ? 赤くなっちゃって。だからアーベルは前より……色気があるのかな? 僕と組んでいた時より、今のほうがそそるね」 「馬鹿いうな」 「でもおかしいよ。権威の大嫌いなアーベルが有力貴族を相手にそうなっているなんて」 「あんたには関係ない」 「え、そうかな? 僕の商売にも絡めるだろうし、城ではこれから夜会だの社交があるから、ぜひお近づきになっておきたいと思ってるんだけど――」 「いいかげんにしろ」  俺は強く吐き捨てたが、次の瞬間思いなおした。エヴァリストに対して、クレーレにちょっかいをかけるな、などといったところで無駄なのだ。やつはやりたいようにやるだろう。声を低めて続ける。 「――あんたが商売に夢中なのはわかってる。勝手にすればいい。どうせ、あることないこと吹きこんでうまいことやろうとするんだろうが、クレーレはそんなに甘くないぞ。大陸のお偉いさんたちとここの貴族は違う――とくに、レムニスケートは」  うなずくエヴァリストの眸が好奇心できらめいた。俺は無用なヒントをやりすぎたかもしれない。 「……それに俺とクレーレはどうせ身分が違いすぎる。あんたがどうこうする以前だよ」 「へえ。意外だなあ。もっと浮かれてるのかと思ったのに」  喋りながらエヴァリストは勝手にワインを注ぎたしている。 「それはともかく、この銃の件だけど……僕はほんとうに下手人をみつけたくてね。魔力の匂いと音をたどった結果、この国にそいつがいるのは確信している。で、きみはいま城の魔術師団で働いているっていうし、そこからも協力がもらえないかと思っているんだけど……」 「俺を使うのか? 盗まれたあんたがどのツラさげて――」  グラスを一気に飲み干し、エヴァリストは急にテーブルに手をついて身をのりだした。ほとんど鼻がぶつかりそうな距離まで俺に顔を近づけて一気に言葉を吐く。 「僕にはこのツラしかないんだよ。あいにくと。でもアーベル、きみだって、もしゼルテンの装置が壊されて、下手人の道具からきみの署名が発見されたら嬉しくないよね? 正直いって僕ときみだけでいけるか不安なんだよ。できる範囲で見て回ったけど、この国の回路魔術って――マニアックだよね」

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