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【第3部 荒野に降る】第10話

狂信的(マニアック)で悪かったな」  ローブの襟元に師団の正式な徽章をつけたエミネイターが腕を組んでエヴァリストと向きあっている。珍しい眺めだった。塔の奥にあるエミネイターの私室で、ローブの下は濃色のシャツに腰高にサッシュを締めた男装だが、この後王宮の呼び出しを控えているせいか、いつもより上流階級らしいきちんとした服装だ。  俺はごく最近、エミネイターがレムニスケートの血筋だと知ったところだった。クレーレの従姉なのだという。 「気を悪くされたら申し訳ない。鉄壁の防備の別名です」  飄々といってのけるエヴァリストに対し、ふん、と彼女は鼻を鳴らした。はなからエヴァリストを胡散臭いときめてかかっているようだ。やつの魔力に魅了されていないのはさすがだが、それもレムニスケートに繋がる血のせいかもしれない。クレーレもそうだが、レムニスケートの人間は全般に魔力に――良くも悪くも――左右されないようだった。  もしかしたら、彼らが先の戦争で回路魔術師たちと協力し、戦後師団を制御しえたのはそれゆえかもしれない。魔力を強力に操るものと距離をとれず、とりこまれてしまうようでは、政治が行えるはずもない。  俺はというと、エヴァリストの脅迫じみた要求について少なくともまずエミネイターに話を通す必要があった。大陸での不始末がこんなところへ影響するとは予想外だったし、エヴァリストの話は仮定だらけのうえ、情報が少なすぎる。エヴァリストは例の回路を盗んで細工した人間を同定できるというが、その言葉しか信用できるものがないのだ。そして俺は貴族ではなく、レムニスケートでもない。政治もかけひきも苦手だ。  俺は不安だった。 「貴殿の話を整理しよう。一、ゼルテンの回路が大陸からある魔術師がもたらした武装によって破壊される可能性がある。二、貴殿はその魔術師を追っている。三、しかし自分だけでは捕らえることが難しいので、我々に協力してほしい。以上だな?」 「ええ、その通りです」 「その、ゼルテンの回路を壊せるとかいう武装はどうなる?」 「もちろんそちらで回収して検証しても構わないですよ。ただし終了したら私に引き渡してもらいたい。下手人もね」  エヴァリストは微笑んだが、エミネイターは表情を硬くしたままだ。 「すると貴殿は、我が国の脅威になる秘密を持ち帰ることになる。そんなことを我々がゆるすとでも?」 「検証の結果次第でそちらはゼルテンの回路を改良し、更新するでしょう。違いますか? 更新の内容まで私は関知しません。それに、もともと私の持ち物だった回路が組みこまれているんですよ――どうやって改造したのか、私にはわかっていないにしても。返してもらうのは当然でしょう」  エミネイターは論外だと手を振った。 「だめだな。武装は検証後破壊することになるだろう。仮に下手人を無事捕らえたとしても、そいつをどうするかは騎士団の問題だ。こっちはうちの管轄じゃない」 「ずいぶん官僚的なんですね」  エヴァリストは皮肉げにつぶやく。 「そちらの防備の根幹にかかわる情報に、見返りもなしとはずいぶんですね?」 「見返りがなしとはいわないが、今の時点で私にできる話じゃない。情報には感謝するし、魔術師の取り扱いについて騎士団にとりなすくらいはできるさ。条件は以上だ。で、実際に我々が協力する手順だが……」 「聞き忘れていたが――王立魔術団には行ったのか」  エミネイターの元を辞し、廊下を歩きながら俺はエヴァリストに尋ねた。いささか遅きに失した感のある質問だ。我ながら間抜けに響いたが動転していたのだから仕方がない。 「うん? 精霊魔術師? 初日の顔合わせで何人か会ったよ」  エヴァリストはあちこち見回しながら歩いている。式典にからんだ準備もおわり、師団の塔にはひとけが少なかった。すれちがう者がいなくてよかったと俺は安堵した。 「彼らとは取引しないのか」 「最初はそう思ったんだけどね。城の配置見るかぎり精霊魔術師の方が権力ありそうだから」  エヴァリストは小声で先を続けた。 「でもこの国の精霊魔術師って完全に特化型じゃない? 僕には合わないなあと思ってさ。それに アーベルに聞いた方が話早かったよね?」 「あんなの、脅迫だろ……」  俺は閉口してつぶやいた。エヴァリストは問題の武装について、俺の〈署名〉があることを自分から明かさなかったし、全体に話をぼかしている。師団への忠誠心を考えれば俺からエミネイターに告げるべきなのだろうか。  実をいうと俺にはよくわからなかった。何しろ俺は長年、特定の組織や国への忠誠など持ったことがなかった。大陸では人に求められるまま、自分の探求心が求めるまま回路を組み、必要に応じて様々な国や人に売ったが、そのさい規準にしていたのは俺が心の奥底で決めていたルールだった。  人が生きるために使うものであること。  自分をトラブルから遠ざける以外の無用な殺傷に使わないこと。  魔術とはそうでなくてはならない。これは伯父に教えられたことだ。  そして、特定の国や権力者に従って闘争に巻きこまれないようにすることが、俺とエヴァリストが守っていた最低のラインだった。そうなれば自分たちの生死を他人に預けることになりかねず、自由を奪われてしまうからだ。  だが今、俺はこの国の中枢である王城で働いていて、当然この国に忠誠を誓っているべき――なのだろう。クレーレが当たり前のようにそうしているように。  ゼルテンの孫である俺が問題になっている基板を作ったのはただの偶然にすぎない。しかも俺はまだ、どこぞの魔術師がどうやってあれを改造できたのか検証できていないときている――しかしこのことを偶然と思われなかったら、いったいどうしたものだろう。俺がこの国へ来た段階で害意があったと思われたら?  誤解を回避するには盗まれた基板を回収して、師団が検証する前に破壊するのが一番簡単だ。エヴァリストは最初からそのつもりである。エミネイターに検証したあとこっちによこせといったのは、もっともらしさをつけるためにすぎない。やつにしてみれば三枚の基板のうち二枚は回収したのだから、破壊されても問題はないのだ。  エミネイターの直属部屋――テイラーが王宮詰所へ移ったので、いまや俺とルベーグの二人部屋と化している――の前まで来たとき、エヴァリストはふと思い出したように手を打った。 「あ、そういえばここには動物がいるな?」 「動物?」 「精霊動物。大陸にしかいないものだと思っていたが、王宮で匂いがした」  エヴァリストは形の良い鼻をうごめかした。 「使い手がいるんなら、手伝ってもらうに越したことはない。動物は監視にいいんだ」  俺は即座にシャノンを思い出した。だがどうやって彼につなげばいいのかわからない。 「――たしかに使い手はいるが、王立魔術団とこの師団はあまり協力関係にないんだ」 「なにそれ?」 「うーん、あんたは精霊魔術も使えるんだから、彼らの考えがわかるだろ?」 「王城が縦割りだってことはよくわかった。小さい国のくせに、歴史と伝統は盛りだくさんだな」  エヴァリストは俺を正面からみた。真顔だった。 「アーベル、きみはよく、こんなところで我慢できてるね?」  俺は思わず返事につまった。

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