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【第3部 荒野に降る】第13話

 その警報は耳にきこえる音ではない。俺の手首を通りぬけ、頭の中にひるがえる、まるで色のついた声だ。ルベーグの髪とおなじ銀色で、伝わる内容に意識を集中すると同時に、合図の信号が手首を叩く。 『武装アリ。増員求ム』  俺はエヴァリストの横をすりぬけ、近衛隊の詰所まで王宮を走る。昨日、有事の緊急出動を出せるようエミネイターとテイラーが王宮内へ話を通しにいったからだ。うしろを追ってくる気配がする。俺はふりむかなかった。エヴァリストは勝手についてくるだろう。何のせいでこの警報が鳴ったにせよ、もとはあいつの獲物だ。  詰所は式典用らしい派手な服を着た騎士たちでにぎわっている。儀式が一段落したあとらしく、ややゆるんだ雰囲気だ。俺は戸口近くにいる騎士に目をとめる。以前俺をアルティン王子の元へ案内した騎士だが、俺は名前を知らない。クレーレがいると話はしやすいが、クレーレはさっき―― 「そこの魔術師! 何用だ!」騎士から威圧的に声が降る。  走ってきたので心臓がはねる。俺は首元をさぐって鎖をひきだす。委任の印を示しながらいう。 「エミネイター師の代理で、警備の緊急収集だ。迷路城壁まで急ぐ。誰か一緒に来てくれ」 「城壁だと」  騎士は鼻を鳴らして俺の上にのしかかるように立ち「近衛ではなく、警備隊へ行け!」と冷たい声を出すが、その視線が俺の背後を泳いでとつぜん停止した。どうして騎士というやつらはこんなにでかぶつ揃いなのだと、どうでもいい考えが俺の頭をよぎる。俺にしたところで平均以上の上背はあるのだ。だが全速で走った衝撃でまだ息を切らしているせいか、かかとの踏みぐあいがおかしい。俺は前につんのめりそうになりながら言葉をつなぐ。 「昨日のうちにエミネイターから――」  突然後ろから腕をつかまれる。 「俺がいく。警備隊に急報を出してくれ。第一小隊のデサルグを呼べ」 「クレーレ、だが――」 「その印は本物だ。城壁なら近衛より警備隊の方が役に立つ。俺が行くから、迷路城壁までデサルグに人を出させろ」  クレーレは俺の腕をひいて廊下へ押し出し、いったん詰所の中へ入ったが、即座に出てきた。装飾の多い鞘が腰から消え、飾り気のない長剣をさしている。片手に持った短剣を帯につりながら無表情に俺をみて、何もいわずに歩きだした。廊下で壁にもたれているエヴァリストの方を一度もみなかった。  俺はあわててクレーレの後を追い、早足になる。手首の警報は止まっている。状況がわからないのが不安だった。俺もルベーグと念話ができればいいのだが。精霊魔術師同士なら簡単なのだが、自分がそうでないのがもどかしい。俺は王宮を出ると城壁めざして走り出した。クレーレは余裕でついてくると、俺の横に並んだ。 「あの男は必要なのか」  前を向いたままいきなり言葉を発する。 「エヴァリストか?」 「そうだ」 「ゼルテンの回路を破壊しようとしているのは同じく魔術が使える人間で、エヴァリストは相手がわかっている。大陸からはるばる追ってきた」 「昨夜遅くに殿下まで注進が届いたが、保安上の配慮で騎士団全体には回していない。近衛は俺と隊長だけが知っていて、あとはデサルグの警備隊で当たる。迷路城壁で間違いないな?」 「ああ」  俺は今のうちに何かいっておきたかった。何か……釈明じみたことを。 「クレーレ、エヴァリストは――」  だがクレーレは走る速度をあげた。 「話はあとだ。急ぐぞ」  目的の場所へたどりつくころ、騎馬で走る警備隊が合流してくる。俺は足にもつれるローブをたくしあげ、城壁の石段をかけあがる。こみいった通路を右、左と曲がり、てっぺんの観測箱まで急ぐ。白い鎧戸で囲まれた箱の周囲には誰もいなかった。俺は扉の魔術をみる。壊れている。観測箱の中にあるスイッチに触れると、ちぎれた銀線がぶら下がり、おちた。  とたんに直下の敷石が揺れる。  きっちりとしきつめられた大きな岩に割れ目が生まれる。その割れ目に指をはわせ、回路に魔力を流すと、人がひとり通れるほどの開口部があらわれた。  ぴりぴりした緊張を感じた。目をあげるとクレーレとエヴァリストがちょうど並ぶように立って向かってくるところだ。俺は開口部に足をつっこむ。暗闇の中に石段が続いている。 「あんたらが入ったあと、警備隊をひとり、この段に座らせておいてくれ。人がいなくなると勝手に閉じるから、絶対に離れさせるな」  クレーレがふりむいて誰か呼んだ。俺は城壁の中へおりていく。  壁のなかは暗いが、風が通っていて空気は清浄だった。周囲の壁は回路でいっぱいだ。このあたりは先の改修で手を加えた。十五段ほど降りると堅い床で行きどまる。城壁の中に人がひとりしゃがめるくらいの細長い、せまい箱が据えられたかっこうだ。ここまでなら師団の誰もが知っている。  俺は箱の底にしゃがむ。  この先に知られていなかった通路がある。城壁は二重底になっているのだった。  だが、すでに壊されているようだ。  靴先にショートした回路の名残が当たる。段に戻って上からの光で掛け金を探した。簡単に鉄の扉がもちあがる。この先はまた石段だ。暗くて先は見えない。しかし全体から強い魔力の誘導を感じる。たとえ真っ暗でも俺やエヴァリストは余裕で歩けるだろう。しかしクレーレは違う。  俺は立ち止まり、ローブをさぐってトーチを取り出す。エヴァリストが先に降りてきたので、俺は先に行けと手を振る。 「あんたは道がわかるだろう。シャノンが先に行ったから動物をたどれるはずだ。例のやつの気配は近いか?」  閉じた壁の中では声がむやみに響くので、自然とささやき声になる。 「近い」  断定して、エヴァリストはトーチをみた。眉をあげる。 「そんなものを?」 「クレーレに必要だ」  エヴァリストがせまい石段を降りていくあいだ、俺はトーチの持ち手に紐を通した。つづいて降りたクレーレの首にかけると、暗がりの中で、クレーレはとまどったようにうなずいてから破顔した。  いきなり向けられた笑顔に俺は胸の底がしめつけられるように感じて、うつむく。  ――この男が好きだ。 「あいかわらず、いろいろなものが出てくるローブだ」  声が俺の耳元でささやく。 「七つ道具さ。急ぐぞ」  先を行こうとした俺の手を温もりが包んだ。指と指を絡めあわせ、クレーレは俺を背中からすばやく抱きよせた。狭い空間で、クレーレの匂い――革と樹木の匂いが俺を包み、うなじにあたたかい唇が押しつけられ、すぐに離れた。  上の扉は閉じていて、すでにトーチの明かりしかない。暗いのは幸いだった。  閉鎖空間のはずなのに風がうなり、さわさわと魔力の気配がして、あまり静かに感じないのが奇妙だった。ゼルテンが作り上げたこの空間のせいだろう。石段を底まで降りるとエヴァリストが壁にへばりついていて、先には城壁のてっぺんと同様に、迷路状に入り組んだ通路が待っている。  横にならぶと、エヴァリストは指を立て、声に出さずに唇だけで『来ている』と形作った。 『近い』 『他の者は?』 『迷路のなか』  エヴァリストは壁に右手をあて、迷路へ足を進める。  この通路では足元に回路が通っているらしい。魔力の流れが下からくる経験はあまりなく、足裏がむずむずした。迷路状になっているとはいえ、俺にはまるで魔力で照らされているかのように思える。しかしほんとうの視界は真っ暗で、クレーレはトーチで足元を照らしていた。剣を二本も装備しているのに彼は音をまったく立てない。俺は前方に動物の気配を感じる。ずいぶん興奮している。  いつの間にか俺たちは壁際にはりつくようにしながら前進している。ついに目前に開けた空間があらわれると同時にクレーレはトーチを隠した。  明かりはない。だが周囲は――魔力で輝かんばかりだ。  太い蛇のようにうずまく魔力の波が床から手のひらほど盛り上がった、直径が大人の身長ほどの円から発している。壁をつたう魔力が銀と鉛を循環し、地に深くおち、壁に戻っていく。これはゼルテンの回路の心臓だ。円の周辺には通路のような囲みがあり、その底を通り抜けた魔力が壁のもりあがりを生き物のように駆け上がる。くぼんだ部分には魔力が通じておらず、そこにテイラーがはりつくように隠れていた。シャノンとルベーグがいるのもわかった。クレーレもエヴァリストも俺も、全員壁にはりつき、開けた空間にさらけだされないようにする。俺の横に立つテイラーが手首をつかむと、手のひらに指文字を書いた。 『向こう側だ』  そして俺は魔力の円の前に立つ、その姿をみた。  そいつは肩の上になにか盛り上がったような、奇妙なかっこうだった。だらりと下げた腕に何かを持っているが、剣でもなく、銃にも見えない。一瞬、魔力をまったく感じなかった。しかし相手は魔術師なのではなかったのか。  次の瞬間、俺は自分の間違いを悟った。相手が顔をあげ、ゆらりと首をふったからだ。そいつは壁のくぼみに隠れた俺の方をまっすぐにみていた。 「おまえ――ナッシュ」

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