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【第3部 荒野に降る】第15話

 塔の医療室の寝台は堅く冷たかった。俺の感覚はどうかしてしまったようだ。時刻がさっぱりわからない。周囲がやけに暗く感じる。  シャツを脱がされ、半裸で横になった俺の上にエヴァリストがかがんで、手をかざす。 「ほとんどの魔力を持ってかれてるな」と眉をひそめた。 「……どうやったらそんなことができるんだ。あれは何者だ」 「さあ。最初からアーベルの回路を狙っていたような気がするが、きみの先祖と因縁があるのか?」 「俺が知るかよ」 「どうやったのかはさっぱりわからんが、この様子だと、魔力を衝撃波にしてぶつけたんだ。ぶつけた相手から魔力を飛ばして、さらに器官を塞ぐという二段技だな。聞いたこともない。精霊魔術使いとしては邪道もいいとこだ。アーベル、このままだとずっと回復できないぞ。とりあえずこの塞いでいるのをとる。荒療治になるから噛んでくれ」  反応する暇もなくエヴァリストは俺の口に何かつっこんだ。片方の手首をつかんで捻られた――ところまではわかった。  残りは痛みだ。それまで感じていたじくじくする痛みとは種類のちがう、暗黒の痛み。それは手首から身体の中心、鼠径部そして足のつま先まで走り、口をふさがれていなかったら俺は絶叫して舌を噛んでいたかもしれない。ほとんど一瞬だったはずだが、永遠に感じられた。気を失ってしまいたいくらいの痛みだけで、それ以外の感覚がすべて消え去り、どうしようもなく涙が流れる。  嚙まされていたものが外され、唇に温かいものが触れて、魔力が流れこんできた。  俺の体、左右の手足、指先の存在が意識に戻ってくる。  俺はなんとか、捻られたのとはちがう方の手を持ち上げてエヴァリストの顔をおしやった。涙がとまらないのはどうしようもない。 「あんたの精霊魔術、ほんとに嫌だ」  エヴァリストは気にかけている風もなく、乾いた布で俺の目尻から頬をぬぐった。ぼやけた視界のなかでこいつがいつになく真面目な顔をしているのに俺はすこし驚く。あまり嬉しくなかった。いつもと同じ、皮肉な笑みでも浮かべていてほしかった。 「器官の詰まりはとれたな。魔力はゆっくり回復する。しばらく安静にしてくれ」  すこしずつ痛みが薄らいでくる。エヴァリストの精霊魔術による治癒はいつもとてつもなく乱暴だったが、効くのは速い。俺の周囲が徐々に明るくなったような気がする。いや、むしろまぶしい。  俺は腕で視界をふさぎ、柔らかい暗黒にほっと息をつくが、痛みのぬけた腹の底には澱のように気がかりがたまっていた。 「例の武装……師団がこれから精査するぞ……」 「なんとかするから考えるな。僕だって、長年の相棒に自分の不始末からはじまったことを押しつけたくはない」 「……あんたが信用できるか」 「いいから寝てろ。例の騎士が心配する。僕だって殺されたくはないからね」 「クレーレは……俺を気にしている暇はないだろう」  俺は目を閉じたままつぶやく。 「この後始末もあるし、他の任務や試合も――」  わざとらしい盛大なため息がきこえた。 「まったく――どうしたんだ、アーベル」  肌が上掛けで包まれる。がさっと音がして、毛布の端がひっぱられ、マットにたくしこまれたようだった。エヴァリストは俺のひたいに手をあてた。冷たい手のひらだ。急に眠気が襲ってくる。まぶたの上だけがぽかぽかと温かい。夢うつつになりながら、なぜか俺はクレーレの手がそこにあるのだと想像していた。彼の手はいつも温かかった。 「この国に来てすっかり、身分だの立場だのにやられちゃってるのか? きみから自由で自在なところがなくなったら、かたなしだよ。すこしは信じてやれよ」 「信じる?」 「あの騎士に、外側の飾りに左右されない中身があるってことをさ」  扉が閉まる音がして、俺は今度こそ、ほんとうの暗黒に身をまかせた。

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