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【第3部 荒野に降る】第18話

「どうして最初から私にいっておかないんだ」  エミネイターが腕を組んで俺に迫った。  今日の彼女はドレス姿で、ローブも羽織っていないから、最初はいったいどこの貴婦人かと思った。女性が女性の服を着ているだけなのに、エミネイターの場合はなぜ「女装」と感じるのだろう――などと、この状況で俺はのんきなことを考えている。  何しろ俺は師団の塔から審判部へ警備隊に連行され、てっきりそのまま拘留されるのかと思いきや、また騎士があらわれて、今度は王宮に連れていかれた。騎士は政務部の奥の階段を降り、地下の部屋に俺を閉じこめて姿を消した。  それにもかかわらず、俺は妙に落ち着いていた。疲労のあまり諸々の出来事がどうでもよくなっていたのかもしれない。それに鍵をかけられて放置されたとはいえ、窓のない部屋は貴族の応接間のように豪華なものだった。曲がった脚に彫刻がほどこされた長椅子は快適なクッションで覆われ、水が満たされた見事なカットグラスの水差しもある。だから俺は騎士が出て行ってすぐ、長椅子で寝た。  昨日から投げ飛ばされたり昏倒していた人間の判断としては妥当だと思う。だが安息は短かった。快適な夢うつつがやってきたところで俺は乱暴に揺りおこされ、みると目の前でエミネイターが怒っているのだった。 「なんとかいえ、アーベル」  俺は長椅子の上で一応体をまっすぐにして座った。口を開こうとしたものの、何をいっても間が抜けている気がした。 「だんまりになるなこの馬鹿!」 「……その、すいませんでした」 「すいませんじゃない!」 「ええと……じゃあその、悪かった?」 「そうじゃなくて」エミネイターの顔が崩れた。 「もっと私を信用して頼れといってるんだ。上司だろうが。どうして直属に引き抜いたと思ってる。なんだこの――水くさい」  そんな言葉を吐かれるとは思わなかったので、俺はとまどってうつむく。 「いやその……行きがかり上というか」 「クラインの馬鹿は黙らせるし、私はきみを手放さないからな。だいたい、破壊を止めるために自分を痛めつけておいて、共謀もなにもないだろう。回路に署名があったくらいなんだっていうんだ」 「ええと――けっこう問題ではないですかね……」 「逆だ。例の回路が作れるくらいの魔術師なら、むしろ手元に置いておくのが正解だ。しかも創始者の直系なんだぞ。ここできみを手放してみろ、よからぬ輩に勧誘されてしまったらどうしようもない」 「そんなに手の内を明かしていいんですか?」 「だから信用しろといってるんだ」  エミネイターは口角泡を飛ばすような剣幕でいいつのり、これでは庇われているのか怒られているのかわからない。思わずよけいなことをいいたくなる。 「俺がその上をいく悪人だったらどうします? 破壊を止めようとしたのもみせかけかもしれない。これからすごい陰謀をたくらんでいるのかも」  エミネイターは腰に手をあてて胸を張り――もはや貴婦人のしぐさとは言えない――俺をにらみつけた。 「もしそうだったなら、レムニスケートの見る目もなかったということで、王宮の勢力図に一大異変が起きるだろうな」 「どういうことです? クレーレが――」 「レムニスケート当主が口添えした。それできみはここにいるんだよ。おまけに最後は殿下がとりなしてくれたから、駄目押しになった」 「アルティン殿下が?」 「きみの人物は保証するそうだ。前にお会いしただろう」 「ええ、まあ」 「そんなわけで、きみが始末書を書くのは、私に報告をしなかった件だけだ。エヴァリストを連れてきた段階で全部話していればよかったんだ」 「今となってはそう思いますが、でも――」 「でももへったくれもない。組織ってのは根回しと告げ口で動くんだから、面倒でも立ち回ってくれ。――苦手なのはわかるがな」  最後に同情するように付け加えられて、俺は抗弁をあきらめた。黙りこくった俺の前で、エミネイターは向かいの椅子に座り、こちらを仔細に観察している。エヴァリストもよくこんなふうにみていたからわかるのだ。そしてふいに表情をやわらげ、小声で尋ねた。 「大陸に帰りたくなったか?」  俺は黙ったまま彼女をみつめかえした。  どちらに「帰る」もないだろう。そう、俺の中に棲む天邪鬼がつぶやく。そもそも俺はどちら側にいた――あるいは、いる――といえるのだろう。  エミネイターはそんな俺をまたじっと観察していた。唇の両端をあげて、かすかな吐息とともに小さく微笑をもらす。 「上司からの注意は終わりだ。始末書は書いてくれ。規則なんだ。一発で通る書き方はテイラーに聞くんだな。じゃあ、ちょっと待て」  彼女が用件と話したいことだけを喋りぬけるのはいつものことだ。エミネイターは颯爽と部屋を出て行った。扉に鍵をかけたのだろうかという疑問が俺の頭をかすめたが、たしかめるのも面倒で、また長椅子にだらしなく座る。  結局、俺がこの国にいるのは間違いなのではないか。そんな思いが浮かんでくる。伯父も伯母もおらず、係累もなく、この国に俺が持っているものは伯父の屋敷と師団での仕事だけだ。あとは――クレーレだ。俺が「持っている」などといえるものではないが。  クラインは彼にあることないことを喋ったにちがいない。想像すると重苦しいもやが腹の底からたちのぼってくる。自分の不用心と不始末のためとはいえ、嫌な気分だった。クラインとは一度だけ、酔っぱらった勢いで寝た。伯母が亡くなって間もないころだった。あのとき俺はしらふでも、ひとりでも、眠ることができなかった。

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