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【第3部 荒野に降る】第22話

「ほら、よく見える」  石壁の継ぎ目のへこんだ部分にテイラーがひじをかけ、双眼の新型遠望鏡をかまえた。今回の行事の前に師団が警備隊に協力して開発した装置で、レンズの焦点を合わせる際に魔力を使う。俺をはさんで隣に立ったルベーグが、同じものを取り出して押しつけてきた。 「使うだろう」 「ルベーグ、見たくなったら僕のを貸すよ」  テイラーが俺の頭ごしにルベーグに声をかけ、俺は遠望鏡を受け取るしかない。 「いや、全景をみたいから、必要ない」  とルベーグは首をふる。  以前もこのちかくで騎士団の訓練をみたことがあった。今日の風景はそのときとはかなり違う。一方を半円状の観覧席に、もう一方を地面の敷物に座る者たちに囲まれた円形の空間が今日の試合会場だ。ちょうど隊列を組んで演武を披露していた一団が礼をして退場するところだった。  ラッパが鳴った。  二人組の騎士が登場し、観覧席に向かってこみいった礼をする。模擬試合の開始だ。防具はもっとも簡単なもので、剣と身につけた徽章が遠目にきらめく。俺は遠望鏡を目にあてる。合図とともに、二人の騎士のあいだでいくつかの構えと攻撃の突き、それを受けて返す斬撃が組み合わせられた型が展開された。 「黒髪のやつ、最初が〈屋根〉の構えだ。相手の方は〈雄牛〉。黒い方が突いてくるのに十字の斬撃で返して、そこに……弧の斬撃だな」  テイラーが勝手に解説をはじめた。彼自身は剣術どころか馬に乗るのも大嫌いなくらい、武術には縁がない。それなのに知識の量は人一倍だ。回路魔術師のほとんどがそうだが、観察して分析し、予測するのが好きなのだ。  テイラーがのたまっているあいだも剣がひらめき、打ちつけられて、リズミカルな金属音が鳴る。俺は騎士たちのなめらかな足はこびに注目する。戦う騎士の動きは美しく、まるで舞踏のようだ。  ステップのパターンを理解したころ唐突に演武は終わった。観覧席で拍手が起こる。立ち上がって拍手している貴婦人も見える。騎士たちは礼をして下がり、また別の二人組が登場する。それが数組つづいた。  飽きて遠望鏡を外したところで、俺はふと、観覧席の背後をうろつく人影に目をとめた。小規模の商店主か羽振りのいい行商人といった身なりで、訳知り顔に堂々と歩いているが、場所が悪かった。表側ならいざしらず、観覧席から裏側に降りる階段はない。そのあたりはふだんは訓練場の平地であって、一般人に馴染みのある場所でもない。さてはコソ泥かスリか。それとも―― 「ルベーグ」  声をかけようとしたとたん、他のふたりも気づいているのを悟った。俺たちは三人でこそこそと壁の上を移動する。 「アーベルは応援を呼んでくれないか。あとは上から見ていてくれ」  見晴らしが切れるあたりでテイラーがそういって俺を止めた。俺は遠望鏡と肉眼を交互に使って警備隊員か、補助につける師団の者をさがす。ようやく、魅入られたように試合に食いついている警備隊騎士をみつけた。  そいつをテイラーとルベーグの応援に向かわせ、謹慎中の俺は壁の上に戻って遠望鏡でことの成り行きを見守る。警備隊がテイラー達に追いつき、うろついていた人物を誰何している。そいつは脱兎のごとく走り出したが、警備隊は追いすがり、たちまち距離をつめる。  裏側で起きている小さな事件をよそに、観覧席のむこう側からは大きな歓声が響く。模擬試合が終わり、トーナメント本戦がはじまったのだ。対戦する騎士の名を呼ばわる声、ラッパの音、剣戟の響きがきこえる。こちら側では、武術にまったくうとい魔術師によってささやかな捕り物が行われているというのに。  裏と表それぞれの「試合」を思うと俺は可笑しくてたまらなくなった。ひとりでにやにやしながら城壁の上に戻る。さっきテイラー達と遠望鏡をかまえていた場所だ。ここは下から見上げても死角になる。  いま戦っている騎士たちは模擬試合の出場者より服装が質素だが、頭部とひじ、ひざを守る防具は手厚く、戦いは本物だった。もはや模擬試合のような優雅な舞踏とはいえない。近くでみようと庶民が前の方へじりじり身を乗り出している。  突然俺はクレーレの名が呼ばれるのを聞いた。ひときわ大きな歓声があがった。

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