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【第3部 荒野に降る】第23話
俺は手のひらに汗をかいていた。遠望鏡を構えるのを忘れて、観覧席の前に立つ騎士の長身と対戦相手の巨体をみつめる。いまの試合会場には、二人の名を呼ぶ応援の掛け声がちらほら響くだけだ。さっきまでの大騒ぎとはちがう緊張が漂っている。
ここまでの試合では、クレーレは毎回ほぼ一瞬で勝負を決め、相手のデサルグも同成績だった。向かいあう二人の体格差はあきらかだが、トーナメントの経緯を見るかぎり勝負の行方は予想がつかない。観客のあいだで緊張が高まり、俺のいるところまでその重い空気が流れてくる。
クレーレは剣をまっすぐにもち、姿勢もまっすぐ伸びていたが、左に踏み出した膝は緊張もなく、軽く立っていた。デサルグは左足を前に出し、切っ先をクレーレに向け、右の頬の横で剣を構えた。鍔がちょうど顔を守るような位置にある。
審判が開始の合図をする。
ひと呼吸、ふた呼吸の間があった。
そして計ったかのように、同時に両者が動いた。
あっという間に距離が縮まる。クレーレは剣を振りおろし、デサルグへ袈裟懸けに強く斬りつける。デサルグは水平に、右、左と剣を振り、防御の天井をつくることでクレーレの打ちおろしを払った。クレーレは軽い足取りでうしろにステップを踏むと瞬時に前にもどり、ふたたび打ちおろす。剣は右にも左にも自在に動き、しかも速かった。襲ってきた剣先を、右上段と見せかけて裏刃による左上段で打ち、壁のように左右からの攻撃を防ぐ。両ひじをのばした手の先で体の一部のように剣がひらめき、切っ先は相手の右肩へ届こうとする。
すんでのところでデサルグは横に跳びすさり、クレーレとの間の直線を横切るようにして斬りつけ、体の前を扇のように剣で防御しながら腰を左に振り、肩の位置にかまえた剣で長身の重みを生かして強い斬撃をはなった。一瞬で頭を低くしてのがれなければこめかみがたたき割られそうな攻撃だったが、クレーレは低くした体を横に旋回させ、孤を描くように振った刃で受けとめる。そのまま反撃しながら相手のふところにふみこみ、いつの間にか返した剣の柄頭で肩甲骨に打ちかかり、巨体がひるんだところでいきなり腹へ蹴りをいれた。
相手の体がうしろに跳んで背が地面につき、観衆からどよめきがもれた。
デサルグは着地とほぼ同時にばねのように足を踏み切り、立ち上がったが、一歩後ろへさがった。クレーレもそのまま間合いをとる。ふたりとも肩がわずかに上下しているが、まだまだ余裕がある風情だ。どちらにも緊張が見えないのが不思議なくらいだった。恐怖が一切感じられない。
デサルグは剣を正眼にかまえ、左足を踏みこんで腕を右によせる。対してクレーレは右足を前にして左腕はだらりと下げ、剣の切っ先を垂直にさげて、防御を忘れたかのように立つ。
またもたがいの呼吸を読んだかのように二人同時に動いた。上段から剣をふりかぶってくるデサルグにクレーレは柄頭を押し下げて反転させ、相手の下腹へ向けて切っ先を突きだす。腰を左に寄せて逃げた相手を肩の上で振る水平の剣が追う。
どれだけ速く動いても、両者ともまるで丸い球体を抱えているかのように、剣を握る手は体の前からはみだすことがなかった。フォームが崩れないのだ。目もとまらぬ速さで剣を支える手首が回転する。模擬試合にあったような構えと攻撃を分ける間がいっさいない。斬撃がすぎたとき剣はすでに次の場所にあり、間髪入れないつぎの攻撃が下される中、それぞれの足がステップを踏み、位置がかわる。
それは真剣による舞踏で、だがそれまでの試合がすべて呑気な遊びにみえるものだった。当初の声援もなくなり、観客はかたずを飲んで戦いの行方をみている。
その一方、戦っている二人は楽しそうだと俺は思った。防具を身につけているとはいえ間違えれば大怪我をしかねないやりとりを鋭い刃でかわし、遠望鏡でみるかぎり、いまやどちらも息を乱しつつあるのに悲壮感はない。
突然俺は悟った。ふりかかってくる剣は、彼らに恐れをあたえるものではないのだ。むしろこの剣をきっかけに、彼らは自分自身を自在に動かす自由を得ている。ふいに、ずっと昔に聞いた言葉が俺の脳裏によみがえる。これはエイダか、伯母の声だったか。伯父や父の声だったか。
「私たちは恐怖と隣りあわせに成長するから、恐怖を手放すと自分自身の完全性をなくしてしまう気がするの。けれど自分自身を完全にするために必要なのは恐怖ではない。大事なのは、恐怖をより強固で独立したもの、つまり自由へと置きかえること」
「あそこからここまでの最短距離は直線だ。魔力をまっすぐ回路に流すことを考えればいい。小細工をする必要はないし、うまくいったときに踊る必要もない。自然に動けば障害は障害でなくなる」
魔力をあやつるのも剣を使うのも、同じ力だ。
クレーレとデサルグは剣をがつりと組みあわせる。力と力が押しあい、抱擁するほど近づき、次に魔術のように腕と手が交差してたがいの剣を奪い取ろうとする。両者の剣が同時に地面に落ち、間合いをおかずに二人は格闘に入る。クレーレは地面に背をつき、デサルグがのしかかり、体格の差が不利にでるかと思ったのもつかの間、両足で首を絞められてデサルグは動きをとめ、つぎの一瞬で形勢は逆転する。クレーレの足がばねのように動いてデサルグを跳ねとばし、体勢を立て直すと落ちた剣に飛びつく。遅れてデサルグも剣へ走るがクレーレの方が速かった。振りおろされた切っ先がデサルグの手首を叩き、ふたたび地におちた剣に流れる視線のすきをクレーレの刃が追う。避けようと身をひねったデサルグの足が絡まり、どっと後ろに倒れた。
クレーレはデサルグにのしかかり、喉元に剣をつきつけた。
沈黙がおちる。一、二、三、と俺は時間を数えている。見守るなかで審判が手を挙げ、勝者を告げる声が響いた。
俺はにぎりしめていた手をひらき、ローブで汗をぬぐった。
こわばった足をのばすと、王城を足元にみおろしながら城壁ぞいに師団の塔まで歩いていく。背後で長い歓声と拍手が聞こえている。いつまでもやまないかのような歓声だった。
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