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【第3部 荒野に降る】第24話
松明で照らされた看板に枝分かれした角が二本生えていた。その下に鹿の角亭、と文字が読める。
城下の居酒屋は店名に「鹿」をつける店が多い。白鹿亭、鹿尾屋、酒場鹿の子、といった具合。鹿が多く棲むという王都近くの森のせいだろうか。
どの店も宿屋と兼業だが、とくに鹿の角亭の評判は城内でよく聞く。料理が好評な宿はだいたい高級で、いかがわしい場所でもないため遠来の客を泊めるのに使いやすいのだ。目の前の扉がひらくと鹿角をかたどった鉄製のノッカーが勢いよく跳ね、俺は思わず首をすくめる。
「アーベルさん到着でーす」
俺をここまで先導した警備隊騎士が妙に軽い語調で敷居で名乗りをあげた。炉の煙とランプの油の匂い、にんにくと香草、肉の焼ける香りが扉の内側から流れ出す。こもった空気が俺を襲い、むこう側で大きな拍手があがる。通路のすぐわきで、長いテーブルに腰をおろした警備隊の連中がエールのジョッキやワインのマグを掲げ、三々五々野太い声をあげている。城下や王城警備で見知った顔もあれば知らない顔もあるが、なぜかいっせいに俺に歓声をあげているのだ。
「お出ましだ、魔術師殿!」
「遅い! 遅いよ登場が!」
俺は敷居の上に立ってぽかんとしていた。夜はかなり更けて、並みの宴会ならお開きになっていい時間だ。
「すいません、全員できあがってましてっ」
俺を連れてきた若い騎士がふりむいて大声で叫ぶ。そうでないと聞こえないのだ。酔っぱらいの声量のために騒がしいことこの上ない。
「とりあえず奥へどうぞ奥へ。隊長殿がいますんで!」
隊長、のところを強調して若者がにらみつけると、いかつい連中がずずっとベンチを引いて通路をあける。俺は苦笑して彼の後をついていった。
厳密にいえば彼ら王城警備隊小隊の長はデサルグで、クレーレは前隊長なのだと思うが、ここにはクレーレをいまだに隊長と呼んでいる城下の警備隊の者もまじっているようで、用語は混乱しているが誰も気にしていないらしい。
若者は酔っぱらいやベンチの足を、おそらく故意にだろう、蹴とばしながら狭い通路をいく。自分もすこし酔っているらしく眸をきらきらさせている。ついさきほど彼は師団の宿舎にあらわれ、私室で暇をもてあましていた俺を呼び出して、警備隊の祝勝会のため城下へ来るよう頼んできたのだった。
「隊長がいるんですよ。来てくださいよ」
まだ名目上は謹慎中なのに居酒屋へ出かけていくのはどんなものか。とはいえ、騎士を俺に取りついだテイラーは気にせずに行ってこいとにやにやするし、俺もクレーレに祝いのひとつもいいたかった。
そのクレーレは店の奥まったところにいるらしい。広くゆったりした造りであるはずの鹿の角亭は御前試合の成果で盛り上がる上機嫌の騎士でいっぱいで、流しの楽師がかき鳴らす弦楽器がさらに陽気さを加えている。連中にしてみると、最後は彼らの〈隊長〉が勝ったので、自分が勝とうが負けようが楽しいことに変わりはないようだ。
おかげですでに無礼講の気配だが、案内された奥の席は静かだった。デサルグとクレーレが隅にしつらえられた別のテーブルで飲んでいる。ふたりとも簡素な騎士服で徽章もつけていない。俺をそっちの方向へ押しやると、案内の若者は仕事がすんだとばかりに「連れてきましたよ、隊長!」と一声叫び、長いテーブルへ戻っていった。二人は同時に顔をあげて俺をみた。
妙に緊張して、俺は片手をあげるとへらへらと笑みをつくった。
「よう。――おめでとう」
ガタッとクレーレが立ち上がり、テーブルをおしのけるような勢いで俺の手を引っ張る。バランスを崩しそうになった俺の肩を抱くようにして奥まで引きこむと、無言のまま自分が座るベンチの横に俺を座らせた。頬がかすかに紅潮し、息はあきらかに酔っていて、子供のようにむすっとした声で「遅い、アーベル」という。
俺は何と返せばいいかわからず、口ごもった。
「――ええと……」
「何を飲みますかね?」
はすむかいに座るデサルグがめくばせしながら助けを出してくれ、俺は彼の前にあるジョッキをさして「それと同じやつをくれ」といった。するとクレーレは俺の肩を抱いたまま自分の前にあったジョッキを俺につきだし「飲め」と押しつける。
「新しいのをもらうよ」
「いいから」
俺は押しつけられた陶器のジョッキを受けとり、口をつける。エールの濃い泡が喉をくだり、麦と酒精の香りが鼻をさす。おかみがもうひとつジョッキを運んできて、デサルグがクレーレの方へ押しやったが、クレーレはぴったり体を寄せてきて、顔を俺の首のうしろにくっつけている。押しのけようとしてもますます俺の腰を抱えこむように両腕を回してくるだけだ。困惑した俺が周囲をみると、ありがたいことにデサルグや、近くに座るほかの連中は眼をそらしてくれている。
「クレーレ、おまえ、かなり酔ってるな」
「いや? まったく酔っていないぞ」
どうみても正気でない酔っぱらいのせりふだった。俺はジョッキの中身を飲みほし、クレーレの腕をほどきながらデサルグに「これ、どうした?」と問いかけた。
「うーん、どうしたも何も……魔術師殿が来ないっていうので、へそを曲げてしまったようですねえ」
「そんなことをいわれても、城下で祝勝会やってるなんて知らないだろう」
「その話じゃない。試合の方ですよ」
「昼間の? それなら俺も見ていたぜ」
デサルグは大げさに眉をあげる。
「そうなんですか? いったいどこから」
「……塀の上から」
「どうしてまた、隠れてみてるんです? いえば観覧席に席を作ってもらえたでしょうに」
「誰にいうんだよ」
デサルグは無言で、いまや目を閉じて俺にもたれかかっている騎士に親指を向けた。
「そんなことをいっても、俺は師団じゃ謹慎中なんだぜ。今も一応」
「謹慎って、どうしてです? あなたは王都を守る魔術の破壊を未然に防いだ英雄じゃないですか」
デサルグはさらりといい、俺はきょとんとした。
「どうしてそういう話になってるんだ?」
「どうしても何も、そうでしょうが。得体のしれない魔術師が企てた陰謀を事前に知らせただけでなく、その攻撃を体を張って守ったと。何しろ俺はその死体を運びましたからね」
「そんな立派な話じゃない」
「立派な話ですよ。魔術を敬遠する俺たちのような筋肉馬鹿でも感心せざるをえない。しかもそれがあなただときている」
「俺だったら何なんだ」
「この人のコレでしょうが」
俺はエールでむせそうになったが、デサルグは気にした様子もなく話を続けた。
「それがどうして謹慎なんかに?」
「……回路魔術師にはいろいろあるんだよ」
「なんですか、回路魔術の創始者の孫だかひ孫だか、そういう話のため?」
「騎士団もゴシップ好きだな」
「昨日今日のゴシップはなかなかすごくてね。しかし、てっきりあなたは観覧席にいると思ったのにみえないから、いったいどうしたのかと思いましたが」
「観覧席で試合をみるなんて……考えてもみなかったよ」
俺は正直なところを口にしたのだが、デサルグは嘆きとも唸りともつかない声をあげた。
「アーベルさん、こいつは貴族の偉いさんなんだから、ちょっとは考えてやってもいいと思うんですが」
「――ああ、うん、そうかもな」
「たぶんそういうところがあなたのいいところなんでしょうが」
クレーレは俺の肩に頭をあずけて眠っているらしい。俺は居心地が悪くなり、話題を変えた。
「決勝、すごかったな」
「俺はね、わざと負けたりなんかしていませんよ。いくらこの人相手でも、そんなことはしない」
「でもきわどいところだったんだろう?」
「だからこそ、この人が勝ったのがすごいわけですけどね」
練習では五分五分でしたからね、とデサルグはつけ加えるが、ふるい友人同士の気安さでクレーレをながめる視線は誇らしげだった。
「貴族の偉いさんといってもいろいろですが、この人はきわめてまともなんで、俺は好きなんですよ」
「俺もそう思う。まともすぎておかしいくらいだ」
「だから、せいぜい優しくしてやってくださいよ」
「優しくって……」
「俺は行きますんで、その人どうにかしてください。明日はここにいるの全員、休みなんで」
「……って、おい」
「大丈夫、起きてますって。さっきから」
デサルグはそういってぬっと立ち上がった。頭ひとつ分高い巨体を他の騎士連中に向けると「おい、おまえら、そろそろ引き上げるぞ」と怒鳴る。「ええー」「もう?」と抗議の声があがるところを高所からにらみつけ「うだうだぬかすな!」と一喝した。
ぞろぞろと席を立ちはじめた彼らをうしろから追いたてるが、つと俺をふりむくと、あろうことか片目をつぶってウインクする。
すると俺にもたれていたクレーレがいきなり体を起こし、デサルグに片手をあげて「またな」といった。
俺は思わずぼやいた。
「……目が覚めていたんなら、ちゃんと座れよ」
「うとうとしていたんだ。……見ていたんだな」
「何を?」
「御前試合」
「……ああ。優勝おめでとう」
クレーレは破顔した。ときたま前触れなくあらわれる、子供のような、顔全体に広がる笑いだった。意外にしっかりした様子で立ち上がると、ほかの騎士がどやどやと店を出ていくのを横目に俺の腕をつかみ「行くぞ」と店の奥へいざなう。
「行くってどこに」
「上に部屋をとってる」
「俺は謹慎中なんだが」
「それだが、いったい――」
クレーレが不満げに眉をしかめたので、俺はあわててさえぎった。
「名目の話で、実質的には休暇だ。噂も立ってるし、単に塔の中をうろうろしてほしくないだけだろう。俺にしてみたら、じいさんたちが有名なせいでワリをくってる気分だ」
我ながらいいわけめいたことを口走ったと思ったが、なぜ師団を弁護しているのかは自分でもわからなかった。
クレーレは俺の背中を押して先に宿の階段を上らせながら「噂じゃなくて事実だろう」という。
「はん? 先祖がすごいことをやってのけたからといって、それが何になるんだ?」
「たいていの人間は、先祖が何をなしとげたかで自分の価値がきまると思っている」
「おかしな理屈だな」
「アーベルの方がおかしいんだ」
「そんなことはない」
「俺のことだって、貴族のくせにまともすぎておかしいといってたくせに」
「――おまえまさか、ずっと起きていたのか?」
廊下の突きあたりで扉の内側へ押しやられながらふりむくと、クレーレはいたずらを見とがめられたようなにやにや笑いをうかべた。
「たしかに酔ってるが、意識はあった」
うしろ手に扉を閉めると俺の肩をひきよせて、ローブに手をかける。
「おい、酔っぱらいは役に立たないぜ」
「試してみようじゃないか」
音を立てて足元にローブが落ちる。
俺はクレーレの首に手をまわして目を閉じ、革と樹木の匂いに酒精がまじったキスを味わった。
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