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【第3部 荒野に降る】第26話

 結局のところ、今回の騒動の終息には複数の権力が裏で動いているに違いなかった。いちばんの大物はアルティン殿下だろうが、おそらくはほかに、レムニスケート、師団の塔、ひょっとするとエヴァリストを経由して隣国も絡んでいるのかもしれない。  面倒ごとを避けてきたつもりなのに、こうなってしまうと何をどこまで喜べばいいのか、恐れるべきなのか、今の俺にはよくわからなかった。  面倒ごとのない人生などありえないのだから、これをうまく手玉にとって、この先もできるだけ快適にやっていくのがいちばんなのだろう。しかしたとえば快適さというのは、うまく留められないボタンのせいですぐいらだちに変わる程度のものだから、たちが悪い。  つまり俺はいま、塔の一室で礼装のボタンや紐と格闘している。  王宮で勤務しているクレーレが儀式の際に着る騎士服と似たような仕様だが、どうしてこんな不合理なものを毎日毎日とめていられるのだろう。ちょっとした回路でこの使いにくいボタンを改良できないだろうか。たとえば―― 「アーベル、着たか? 入るぞ」  俺は我にかえり、やっと最後のボタンをとめ、飾り紐をボタンとボタンの間にかけた。ローブを持ち上げたところで、細身のドレスを着たエミネイターが無遠慮に扉を開けて入ってくる。俺をみるなり、服装に似つかわしくない口笛を吹いた。 「おや、いいじゃないか。ちゃんとした服を着れば見栄えもするだろうと前から思っていたんだ」  からかわれているのだろうと俺は無言を通した。いつもの俺の服装はごく平凡な安物だが、エミネイターは着道楽なので、たいていの人間の服装に文句をつけて、かつ文句をいわせない能力を持っている。 「ローブは前を全部とめるなよ。マントのように羽織るんだ。師補の徽章は襟につけたな? ああ、昇進については、王宮に招待されてるのにヒラのままじゃ塔の体裁が悪いって理由もあるが、文句をいうなよ。おいまて、これは仕事着じゃない! 余計なものを入れるな」  いろいろとうるさく注文をつけられ、さらにエミネイターが連れてきた床屋に髪を整えられ、王宮の舞踏会に出せる格好になったらしい俺は控えの間に放り込まれた。隣の大広間から楽音が響いている。俺は名前を呼ばれてから入場することになっている。  周囲は何もかも見慣れないものだらけ――回路魔術の装置を隠した意匠がそこかしこに見えることだけが救いだ――なにより俺が俺自身を見慣れない。暗色の衣装は仕立ても肌触りも上質で、ところどころに光る銀糸で刺繍がある。髪をいじられた後で鏡を見たが、まるで俺ではないようだった。  大陸で上流どころの宴会に呼ばれたときもこんなにめかしこんだことはない。正直いって―― 「胡散くさすぎる」  聞きなれた声の方向を向くとエヴァリストが立ち、案の定、爆笑していた。 「アーベル……それ」 「笑うな」 「いや、似合ってるよ! どこの御曹司? いや御曹司っていうにはあやしすぎる……どこの国のご落胤? 誰が選んだのか知らないけど、いい趣味だね!」 「本人に言ってみろ。エミネイター師だ」 「へえ、そうなの。さすがだ。アーベル、今日はきっとモテるよ。きみ、英雄枠の招待だし」 「なんだよそれ……っていうかあんた、いらんこといろいろ手を回しただろ?」  そりゃもちろん、とエヴァリストは鼻を鳴らした。 「多少手は回したけど、僕にしてみれば埋め合わせだよ。かつての相棒に迷惑をかけたからさ」  嘘をつけ、と俺は思う。 「あんたのことだから、俺をネタに美談を作って、今後の商売の足掛かりにしようっていうんだろう」 「まあ、それもある。でも僕がゴリ押したわけじゃないんだ。そもそも歴史っていうのはこんなふうにできるのさ。面白いだろう?」 「――あのな」  呆れて反論しようとした俺に、エヴァリストは顔を近づけて声を低めた。 「歴史を作るのは王侯貴族や戦士だけじゃないんだ。僕のような商売人や、きみのような技術屋だって、十分その任に耐える」  ささやくなり「僕は行かないと」と、唐突に離れる。隣国の使節団なのだろう、エヴァリスト以外にもぞろぞろと広間へ出ていく人々がいる。俺も名を呼ばれたら、大広間で王陛下とアルティン王太子と未来の妃殿下に拝謁しなければならない。ちなみに最高位への礼の方法はエミネイターに叱られつつ練習したのでぬかりはない――はずだ。  じりじりしながら壁の意匠を眺めていると不意に名前を呼ばれる。今度こそ呼び出しがきたかとふりむいた肩に手をかけられた。ふわりと馴染み深い香りがたった。 「クレーレ」 「――アーベル」  きらびやかな近衛騎士の礼装をまとったクレーレは俺をしげしげとみつめていた。きっとこの服のせい、または髪のせいだろう。 「どうした? そんなに変か?」 「……いや、変じゃない。変どころじゃない」 「――それはすごくマズイってことか?」 「いや違う! そうじゃなくて……行こう」  クレーレが呼び出しだったのか。俺はあとをついて歩きながら、大広間に向けて設置された回路魔術をつたう魔力の網を感じる。さっきとうってかわって安心しているのはクレーレがそこにいるせいだろう。何しろ彼は貴族のプロだ。いや、このいい方もヘンだが。 「回路魔術師――アーベル師補」  しかしいざ大広間の入口に立ちずらりと直線でならぶ人々を眺めた途端、俺の冷静はどこかへ行ってしまった。幸い、今回の俺の頭は自分に都合よく働いた。つまり、仮に俺が王宮基準でどんな不作法をしでかしたとしても、詳細はなにひとつ覚えていないということだ。  かいつまんでいえば、俺はまっすぐ前に歩き、順に王陛下、王太子、姫殿下に膝をついて拝謁した。顔をあげろといわれ、大げさに褒められた。さらに回路魔術の功績をたたえられて――  あろうことか、何十年も前にゼルテンが蹴った叙勲を受けたのだった。

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