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【番外編】境界の釣り師 1.アーベル
「リアン、早く帰ってきな! 魔術師さんに迷惑だろ!」
「あーい」
門外から呼ばれたその子はふりむいて大声で叫び、俺が渡した芋の蜜菓子を口につめこんだ。
ひと息で飲みくだしたのはいいが、次の瞬間、からだを深く前に傾ける。俺は喉にでもつまらせたのかと一瞬あせった。蜜菓子は飲み物ではないのだ。大丈夫か。
だがそれも杞憂だったらしい。すぐに彼は梃子が持ち上がるようにぐいっと起き上がり、俺に片手をあげてニカっと笑うと、飛び跳ねるようにして方向を変えた。あっという間に屋敷の庭を走り去り、門脇に立つアカシアの枝を揺らしてすりぬけていく。あとを追うように黄色い花がこぼれおちた。
また低い枝を切らなくては。そんなことを考えた俺の斜めうしろで「元気がいいな」と同僚のルベーグがいった。俺は軽く肩をすくめた。
「路地を抜けたところの商店の子だ。ずっと母親が行商に来ていたんだが、最近王都で店を構えたらしい。あの子は回路が好きみたいだ」
「魔力は?」
ルベーグの横で、同じく同僚のテイラーが伸びをしながらたずねた。
「今の感じだとふつうより少し多い程度だが、回路魔術師には不便はない」
屋敷の正面扉へ向かいながらルベーグが答えた。彼は生来の魔力量が多いためか、この手のことにさとい。それを聞いたテイラーはにやにやして「だったら様子をみてスカウトだね」と続けたが、ルベーグは首をふった。午後の日射しにフードからこぼれた銀髪がきらめく。
「必要ないだろう。もうここでお菓子をもらってるんだから」
「なるほど、門前の小僧というやつか」
「すでに門中だよ。アーベルのことだから、好きに回路をいじらせてるんだろう」
「なんの話だ?」
俺は話をよく聞いていなかった。
「それより、ふたりともどうして揃ってここに?」
とたんにテイラーとルベーグの足が同時にとまる。ぱっとふりむき、そして同時に呼んだ。
「アーベル」
「え?」
「昨日、エミネイターからここに集まるよう連絡が入っただろう。緊急で」
俺はぽかんと口をあけ、そのまま間抜けな返事をせざるを得なかった。
「そうだったっけ?」
「その通り」
今度は門の方からひづめの音と聞きなれた声が響く。ふりむくと完璧な男装の我らが上司、エミネイターがローブの裾をひらめかせていた。
「アーベル、王宮の屋敷に塔から知らせを出したぞ」
「あ……」俺はつかつかと歩いてくるエミネイターを前に口ごもった。「昨夜は裏口から入ったし、今朝もルシアンに聞きそびれたかな……」
「きみんとこの執事の? なんで?」
テイラーは気軽な口調で話しづらいことを聞いてくる。
「苦手なんだ。その、几帳面で」
「あーあ。アーベルらしいね」
テイラーがハハハ、とのんきな調子で笑う。なので俺は話をつけたした。
「それにあの屋敷は騎士団長の屋敷だし、執事も騎士団長の執事で、俺のじゃ――」
「まあいい、アーベル」
エミネイターは怒ってはいなかった。人の悪そうな笑顔を浮かべているだけだ。
「どうせ招集先はここだからな。中に入れてくれ」
「でもどうしてここで? 師団の塔じゃなくて」
ルベーグは不審そうに眉をひそめた。以前は単なる住居だった俺の町屋敷は、クレーレの屋敷に俺が住むようになってからは比較的大がかりな実験装置も運びこまれて、外見はともかく中身は家というより師団の塔の別館といった趣きを呈してはいる。しかし実態は俺の個人的な研究室にすぎないから、師団の塔の魔術師がここで会議をするのは普通とはいえない。
即座に答えたのはテイラーだった。
「城内だとまずいんでしょ?」
エミネイターの唇がほころぶ。
「その通り。まずはこれまでのいきさつを話そう」
「違法賭場だって?」
「発端はここ二ヶ月のあいだに、債務で首が回らなくなった貴族の家が複数出たことだ」
これまでそんな気配もなかった家があいついで先祖伝来の宝飾品を売りに出すなどしたため、王宮から騎士団の調査部へ内偵依頼が入ったという。短期間で莫大な借金を抱えたのは貴族だけでなく、裕福な商工ギルド構成員にもいたため、調査部の動きは速かった。城下の酒場で違法賭場がひらかれているのが判明し、騎士団は実力行使に出ることにした。
ところが、なぜか肝心の賭博の現場を押さえることができない。会場には賭博とは一見無縁な城下の居酒屋が使われている。開催は不定期で、客は口コミで仲介屋と接触、渡される馬蹄型のしるしを身につけて合言葉をいえば奥へ案内される仕組みだ。
内偵の発端となった貴族から騎士団は仲介屋の情報は手に入れていた。しるしとなる「馬蹄」には賭場への道案内の回路が仕込まれている。賭場がひらかれるときはこの馬蹄が光るのだ。さらにこの馬蹄は賭場に仕掛けられた回路魔術と連動しているらしい。精霊魔術を使うと人間の感情の上がり下がりを探知することができるので、これを避けるための措置らしい。
ところがどういうわけか、騎士団に接触した人間が持つ馬蹄はまったく光らなかった。馬蹄さえ入手すれば賭場への潜入も取り押さえも簡単だと思いこんでいた騎士団には意外な結果だった。
そこで騎士団は一計を講じた。手に入れた馬蹄を分析して、賭場を逆探知できる装置が作れるのではないか、と考えたのだ。師団の塔へ相談があったのは数週間前の話で、依頼を受けた部署はさっそく探知機を作成した。
「ちょっと待ってくれよ」
そこまでエミネイターが話したところで、俺は思わず口を挟んだ。
「王立魔術団には相談しなかったのか? 精霊魔術の方が効果的だろう。仮に当日の現場が回路で遮断されていても、出てくるやつの記憶をみるとか、翌日に残響をたどるとか、やりようはあるんじゃないか。精霊魔術師の魔力なら……」
「王宮は騎士団より先にそっちの顧問へ相談したらしいが、先方が騎士団に回せといったらしい。精霊魔術師は繊細だから荒事には向かないと」
「繊細ねえ」
単に繊細とだけいえない使い手だっているはずだが……。俺は回路魔術も精霊魔術も使える男の顔を思い浮かべた。昔、大陸で暮らしていた頃に組んでいた相手だ。
この世のありとあらゆる生き物は、魔力をもって生まれてくる。ただし、その力には個人差がある。それはかなり大きな差だ。
俺が使う回路魔術は、この魔力を増幅したり、制御してモノを操作するのに利用する仕組みだ。そもそもは俺のひいじいさんが発明した。ひいじいさんが発明する以前は、魔力はごくわずかな例外をのぞき、人間に操れるものだと思われていなかった。生まれつきこれをけた違いなほど膨大に持っている人間、精霊魔術師だけが操れるものとされていたのだ。古代には、この力は眼に見えない「精霊」が与える恩寵だとされていた。
一方ひいじいさんが発明した回路は、普通に暮らせる魔力を持っている人間なら、誰でも使える道具だ。回路に自分の魔力を流すことで、深い井戸から楽に水を汲む装置を動かすとか、効率よく火を燃やすとか、そんなことができる。回路を設計する技術は「回路魔術」と呼ばれている。
回路魔術師には精霊魔術師のような飛びぬけた魔力は必要ないが、設計に関して才能は必要だ。おもしろいことに精霊魔術が使えるからといって回路が設計できるとはかぎらない。その代わり彼らは人体の内部を魔力で治療したり、遠隔の地にいる相手と念話で意思を通じあわせたり、ごくまれだが、まだ起きていない出来事を察知することができる。
銀の細線で描いた回路に魔力を循環させ増幅することを、俺たち回路魔術師は「力のみちを通す」と表現するが、精霊魔術師は、自分の体と心だけでこれをやってのける。回路魔術師と精霊魔術師がやっていることは、かなりちがっている。
だからなのか、同じ力を対象としているのに、昔から、精霊魔術師を抱える王立魔術団と俺たち回路魔術師団の関係はあまり良くなかった。おまけに最近は、王都の防衛を担当する騎士団とレムニスケート家が俺たち師団に眼をかけていて、それに拍車がかかっている。
「賭けなんて下賤なものはまず回路魔術でどうにかしろっていうんでしょ?」
腕を頭のうしろで組んだかっこうでテイラーがいった。
「精霊魔術師は賭けに加われない」
「魔力で左右できちゃ賭けにならないからな」ルベーグが口をはさむ。
「カードや馬術試合は魔力でどうこうできるもんじゃないけどね。要素が多すぎるし、複雑すぎる。あの結果を予知できる魔術師がいたら、この世の不思議はすべて解決しているよ」
あきれたようにそういったテイラーは賭けが好きだ。大好きといってもいいだろう。ことあるごとに賭けたがる上、すぐに賭けを構成する変数を考えては|事前確率《オッズ》を計算する。とはいえ、いわゆる世間的な賭け事をやっているとはかぎらない。
「公認賭場には行ったことがあるのか?」
とルベーグがたずねる。このきれいな顔をした同僚は見た目に反してそれほどお堅いわけではないが、賭け事には無縁そうだった。
「一時期かなりハマって研究していたよ。ただ例の遊戯盤のあとは飽きたな」
「それは都合がいいね、テイラー」エミネイターがいった。
「どんぴしゃりだ。今回の問題は、まさにそれだ」
ふつうこの国で賭けといえばカードゲームと馬術競技だ。このふたつは王宮公認の賭場もあり、期間をきめて開催される。このほか、庶民が非公式に賭けるものはいろいろある(道端の喧嘩騒動から貴族のスキャンダルのゆくえまで)が、ある種の賭けは王家によって厳しく禁止されていた。
数年前流行した、大陸から輸入された遊戯盤によるゲームは特にそうだ。この遊戯盤はテーブルのような形をした装置で、回路魔術で制御されている。プレイヤーは配られた牌でデッキを作る。牌には各種の精霊が描かれている。参加者は自分の手持ち牌に書かれた精霊を遊戯盤に配置して戦う。
単純なゲームではなかった。牌の並べ方によって精霊が発揮できる技が変化するし、他のプレイヤーに隠された牌と開かれた牌がある。運と配置の戦略、それに相手への応戦の方法など、さまざまな要素で勝敗が決定する。牌に描かれた精霊も美しく、遊んでいるとたちまち時間を忘れる。ゲームは大流行したが、それに伴って賭けがはじまった。
設計者は賭けを想定して作っているのだから当然で、ゲームの途中では最低三回、賭け金を置く ことができる。おまけに賭け金が吊り上がるようになった。ここに加えて、遊戯盤の持ち主――酒場に設置されている場合が多く、賭け金の一部を徴収した――が回路をいじって不正をした、というトラブルもあとを絶たなかった。
王宮は事態を重くみた。小さなこの国は、賭け金のやりとりで経済が混乱したり、不正や犯罪が横行するきっかけになるのを警戒したのだ。回路魔術装置によるギャンブルは違法となり、遊戯盤は没収された。ちなみに没収された装置がどうなったかというと、俺たち師団の塔に持ち込まれたのだが。
「今回の遊戯盤は改良されたものだ。いや、改悪というべきかもしれん。金をつぎこめば精霊牌を繰り返し引ける仕組みが導入されている」
俺たちを見回してエミネイターが続けた。
「とにかく金を貢がせる遊びになっているんだ。金をかければかけるほど勝てば戻りは大きいし、おまけに勝てそうにみえる。カモにされた連中もそこそこ頭が切れる貴族だったりするからたちが悪い」
テイラーが鼻を鳴らした。
「勝てそうにみえる、まあ、そうだろうね」
「で、うちが作った探知機なんだが、これがうまくいってない。何が問題なのかもわからない」
探知機が示す酒場へ騎士が踏み込んでも、何もみつからないというのだ。これが三度続いて、騎士団は師団の塔にクレームをつけた。だが師団の塔の担当者(俺たちとはふだん関わっていない部門だった)はそんなことはないといいはる。
「そんなわけで、本件は元の担当をいったんはずして準幹部級が責任を負うことになった。そこできみたちの出番だ。うちの回路を検証して、賭場と騎士団も検証してくれ」
「面倒くさいなあ」
テイラーがため息をついた。俺もまったく同感だった。
「なんで僕らなんですか」
「師団の塔が誇る遊撃隊だからな、きみたちは」
男装の上司はさわやかに笑った。
「今回、予算は多いぞ。それにテストや現地調査も存分にやっていい」
「現地調査? それって……」
テイラーの眼が光った。
「お早いお帰りですね」
翌週、日が暮れる前に騎士団長の屋敷に戻ると、従僕が正面扉を閉めるのに続いて、執事のルシアンの声が響いた。
「クレーレは?」と俺は聞く。
「遅くなられるので、夕食は先にと」
「そうか。この後また出かける。たぶん俺はクレーレより遅くなるから、戻ったらそう伝えてくれ」
「かしこまりました」
騎士団長の屋敷は格式高い。ルシアンも格式高い。野育ちの俺よりきっと百倍くらい高い。絵に描いたようなきちんとした執事だ。
この屋敷に住むようになってしばらくたつのに、俺はいまだに彼がすこし苦手だった。ルシアンは職業柄か本来そういう性格なのか、とても真面目で几帳面で、一方俺は自他ともに認めるだらしない人間だから、意味もなく居心地が悪いのだ。ルシアンと話すたび、苦手な教師に慰めを受けているような気分になる。
もっとも屋敷の他の使用人は、俺がだらしないのにも時間にルーズなのにも、勝手に同僚を書斎に呼んで深夜まで議論しているのにもすぐに慣れてくれ、ときどき大袈裟なくらい俺の回路魔術をありがたがってもくれるから(といってもたいしたことはしていない。厨房の回路を直すとか、門扉の鍵のちょっとした修理とか、その程度だ)この屋敷に住むことは、俺にとって当初想像したほどの問題にはならなかった。
むしろ嫌なのはルシアンの方かもしれないが、彼はプロなので、表には出さない。
とはいえ俺も苦手な教師とはあまり遭遇したくない。とくに深夜や早朝のようなおかしな時間には。そんなわけで、俺は正面より裏口から出入りすることが多かった。鍵は回路魔術で制御されていたから解錠は簡単で、早々に合鍵を作ってしまった――ルシアンに内緒で。
ふだんの食事室へ用意された夕食(この屋敷は食事室もふだんづかいと正式なのとふたつあるのだ)をひとりで食べてから、俺は衣装部屋へ行った。先日の町屋敷での会合以来、テイラーとルベーグと俺はけっこうな時間を違法賭場の案件に費やしていた。騎士団からクレームがついた探知機を精査するのは時間もかからなかったのだが、他の連中と同様、俺たちにも不具合の原因がわからなかったのだ。
「こうなれば実地で試してみよう」といいだしたのはもちろん、テイラーだった。
「実地?」とルベーグが眉をあげる。
「ああ。誤作動するなら、その環境を測定しないと」
「もし誤作動しなかったら?」
「そのまま賭場に入ればいいんじゃないか。現地調査の予算もあるといったし」
というわけで、俺はローブを脱ぎ、賭場で遊びそうな、そこそこ金をもっていそうだが、それでも庶民的な身なりに着替えた。回路魔術師の多くはあまり世間に面が割れていない。たいてい屋敷や塔にこもり、外出時はローブとフードに隠れているおかげだ。ところが俺は近年なにかと表舞台に出されることも多く、いくらか変装じみた作業も必要だった。この手のノウハウは大陸にいたころ多少教わったことがある。俺は数年ぶりに頬に綿を入れ、シャツの背に布をいれてみせかけの体型を変え、前髪をおろして帽子をかぶる。
「すべての物事は長期的には平均に回帰するもんだ」
待ちあわせた飯屋についたとき、テイラーとルベーグは裕福な商家か貴族の学生のような服装をして、頭をくっつけてひそひそと話していた。ローブを着ていないふたりは妙に若くみえ、好奇心旺盛な小金持ちの息子という役どころ(テイラーの発案である)である。庶民のかっこうをした俺はというと、彼らの腰ぎんちゃくで、面が割れないよう後ろに控えることになっている。
「何をするにしたって、実力があがればあがるほど運の影響が大きくなるが、成功が確率的であるときはプロセスを重視するしかない。ゲームは十分に複雑だが、これは僕らにはつごうがいい」とテイラーがいう。
「なぜだ?」ふたりの前に腰をおろして俺はたずねる。
「賭けに勝つとは妥当な予測をすることさ。それに必要なのは|雑音《ノイズ》を見分けることだ。しるしをさがすことじゃなくてね。だから圧倒的な勝ち目があるならゲームを単純に、勝ち目がみえないならゲームを複雑にして、競争相手を惑わすノイズを増やす。――どちらの場合も、勝って当然とはけっして思うなよ」
テイラーはニヤッと笑った。
「行こうか」
俺たちの「馬蹄」には何の問題もなかった。その晩、俺たちは賭場で数時間賭けつづけた。持ち金は少なかったが、テイラーが指南して、ルベーグが大勝したのだ。店を出た時、俺たち三人は大金を手にしていた。
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