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【番外編】境界の釣り師 3.アーベル
それからクレーレの雰囲気が変わった。この男は少々困ったことがあっても表には出さないが、他の連中にはみえないらしい感情が俺にはいくらかわかる場合がたまにある。つきあいが長いおかげだ。食事の最中にナイフを持ったまま突然手をとめているとか、シャツを着る途中で窓の外をぼうっとみていたりする。問題があって四六時中じっと考えこんでいるようなとき、クレーレはこんな隙をみせる。
理由はきっとあれだろう。例の違法賭場の件が解決しないのだ。たしかに、もし内通者がいるのなら対応は慎重にならざるを得ないし、俺が推測するように騎士団の装備、とくに徽章が関係しているのだとしたら、それはそれで厄介だった。何しろ騎士の徽章は現行犯逮捕には必須なのだ。
俺としても個人的に協力をしたかったが、師団の塔へ依頼が来たからには上層の幹部連が対応しているわけで、抜けがけもきつい。いや、抜けがけで解決できるものならさっさとやっているところなのだが、どうすればいいのかいまひとつわからなかった。俺たち(ルベーグとテイラーと俺だ)としてはもう一度賭場へ行きたかったのだが、報告後の幹部連の判断は違っていた。
ところが解決の糸口は思いがけないところから見えてきた。数日後、師団の塔へ俺あての呼び出しがやってきたのだ。審判の塔からの照会だった。とある人物の身柄を確保したのだが、身元確認をしてほしいという。
どうして俺が、と思ったが、灰色の服を着た審判の塔の案内人は口が堅く、というよりむっつりと押し黙るだけで何も答えない。仕方なくただついていくと上階の一室へ通された。扉があいたとたん、待ちかまえていたように声が響く。
「や、アーベル。久しぶり」
「ああ?」
俺は堂々と腕と足を組んで偉そうに座っている金髪を前に、釈明のしようもないくらいおかしな声をあげ、立ち直りに数秒を要した。
「何やってんだ――エヴァリスト」
「アタシはもともと、この国に遊戯盤を持ち込むのが法を犯すだなんて知らなかったんだ! 取引証に問題はなかったし、契約書も完璧だったのに……」
ぜいたくな服装をしたその男は椅子に腰かけたままさめざめと訴え、俺たちを見上げ、涙を流した。
しかしついさっきまで彼は怒り心頭といった調子で騎士に怒鳴り散らしていたから、両方見てしまった俺には、交渉経験が豊富なしたたかな商人だとしか思えなかった。一方、俺の横にいるルベーグは何らかの感銘を受けたような面持ちでフードの影からじっとみつめていて(といっても世間的な意味での感銘かどうかはわからないが)さらにその横にいるテイラーはというと、うんざりした調子で小さくため息をついている。
眼の前の商人は、王都の境の荷物検査で、遊戯盤を密輸入しようとして連行された。騎士団の尋問中は威勢がよかったのに、暗色のローブを着てフードをかぶった魔術師三人に囲まれたとたんにしゅんとした調子になったのは、魔術に痛い目にあわされた記憶でもあるのかもしれない。しかしそれも何だか矛盾している。何しろ彼は、俺が知るかぎりいちばんたちの悪い魔術師を同行させているのだ。
「いや、もともと僕は精霊魔術によるイカサマ予防のために雇われたんだよ」
怒鳴ったり泣き落としたりでくたびれた様子の商人を隣の小部屋に残して、護衛から回路の修理までやれるなんでも屋(本人の弁による)のエヴァリストは、俺の記憶にある通りの飄々とした口調でのたまった。
「ほら、僕って多才だろう? 頭が切れるし、ちょっとした回路なら組めるし、手品もできるし、剣もそこそこいけて、顔もいい。この手の旅の護衛としてはもってこいなんだ。今回、腕っぷし担当に相棒がついてきたし」
「おい、連れがいるのか」
俺は驚いて話を中断させた。大陸からこの国までは船と陸の長い旅になる。エヴァリストが相棒と呼ぶ他人を連れ歩くなど、聞いたことがない。
「ああ。連れっていうか――連れだね」
「なんだそれ」
「ただ、この国は危険が少ないから放牧中でさ」
「動物かよ?」
「僕としてはこんなことで雇い主が捕まるなんて思ってなかった。もちろんこの国の警備隊に反抗するなんて得策じゃないから、あいつがついていても結果は同じだったが。あ、一応ヒトだよ?」
そういった直後、エヴァリストは一瞬妙な顔つきをしたが、すぐに元に戻った。わざとらしく感じるほどの美貌がにやりと笑った。何か隠しているなと思ったが、何も隠していないほうがおかしいくらいの人間だし、話せといって素直に話す男でもない。しかしふとひっかかりを感じて、俺はつっこんだ。
「おまえ、遊戯盤が違法だって知らなかったのか?」
「僕が発ったとき、大陸ではこの国でやっとこれが合法化された、という話がふつうに出回っていた」
エヴァリストは足を組み直した。
「おまけに公認賭場の許可証の写しが王家の印章入りでついてくるんだ。あの雇い主だって、違法な取引だとわかってればこんなに堂々とは来ないさ。もっとも王都の境界であそこまで厳重な荷物検査をしなければ、普通に通された可能性はある」
「騎士団が警戒を強めているせいだろう。目的は遊戯盤とは限らないが、全部の荷を調べることにしたんだな。じゃあ、あの男がいってることは本当か?」
ちょうどその時だった。扉をたたく音がして、審判の塔の職員が小窓から顔をのぞかせ、その後にひさしぶりに見る顔が続く。
「シャノン。入ってくれ」
十代のころ騎士団員だったシャノンは、精霊動物を扱う才能が発覚して以来、王立魔術団に所属している。いまではすっかり中堅どころの精霊魔術師で、白いローブをまとった様子も堂に入っているが、肩には茶色い毛皮のかたまりがくっついている。それがいきなりぬっと首をもたげ、テンに似た眸がエヴァリストをまっすぐにみつめる。
「終わりましたよ。彼、嘘はついていません」
審判の塔は精霊魔術で商人を精査してもらうためにシャノンを呼んだのだった。この国の人間ではないので、生まれが大陸のシャノンが選ばれたらしい。
生き物の首がぬっとエヴァリストの方へのびた。シャノンは毛皮に手をかけて撫でる。エヴァリストは生き物からの熱のこもった目線をわざとらしく無視した。精霊動物は例外なく彼を好くのだ。
かわりに「ほらね」と小馬鹿にしたようにいった。「僕のいったとおりだろ?」
クレーレにこの話をしたのはその晩のことだ。もちろん騎士団長の彼にはすべて報告されているはずだが、エヴァリストに会ったことを黙っておくのも変だった。
「外国人だからな。知らなかったとか騙されたとかいっても、無罪放免の理由にはならないが、特殊な扱いにはせざるを得ない」
騎士服のボタンを外しながらクレーレは平静な口調でいった。
「したたかな相手だろう。エヴァリストもだが、商人の方だ」
「そうだな。尋問に当たった騎士は骨折り損のくたびれ儲けだとさんざんわめかれて、うんざりしたらしい」
そう続けて脱いだ服をかけ、肌着姿で寝室の横の扉を開けて俺をふりむく。
「アーベル、来ないか」
「俺はもう湯は使った。それにおまえと風呂に入ると疲れる」
クレーレは肩をすくめた。
「そうか。結論としては取引をもちかけることになるだろう。商人とエヴァリストに現場で協力してもらう。そうでなければ罰金の上にモノは没収」
「たしかに骨折り損のくたびれ儲けだな。現場で協力って?」
「商人が持ってきた遊戯盤は最新型だ。まだ賭場が検挙に気づいていないのがわかっている。新型の遊戯盤をわざと納品させて、開帳した現場を抑える。エヴァリストは精霊魔術が使えるし、遊戯盤の仕組みもわかっている。無事賭場をあげられれば帳消し、以上だ――アーベル」
「ん?」
「来ないか?」
「続きは風呂のあとで聞かせてくれ」
俺は上掛けの上にねそべって考えた。エヴァリストがここで登場するのは出来すぎている気もするが、あいつはそもそも神出鬼没だし、一カ所に腰を据えることもなくフラフラと馬旅だの船旅だのを繰り返しているのだし、おまけに遊戯盤はあいつがいかにも好きそうな代物ときている。俺が大陸にいたころ、あんな遊戯盤はまだなかったが、エヴァリスト本人が作ったっておかしくない。他人の財布から金を引き出す仕掛けなのだから。
小さな灯りが揺らめくのを眺めながら俺はいつの間にか眼を閉じていた。マットがきしむ。眼をあけるとクレーレが真上にいた。
「あいつ――エヴァリストは何かいってたか?」
そうたずねて、俺は手のひらで眼を覆う。
「強力なめくらましの可能性があるといっていた。賭場の背景に野良の精霊魔術師がいないか、カモになった貴族を通してさぐれと」
「やれやれ」
「王立魔術団は馬鹿だともいっている。要約すれば、だが」
「あー」
俺は手のひらをずらした。クレーレは俺の眼を正面からみていた。
「あの男はどうして――ああなんだ?」
「ん? エヴァリスト?」
「どこかの国や所領に仕えればすぐにのしあがれるだろう。下手な商人の護衛なんかする必要はない。宰相にでもなれる。大陸ならなおさらそうじゃないか?」
「そういうのがダメなんだよ、あいつは。生まれつき壊れているんだ」
「でもおまえにはまだ未練があるんじゃないか? アーベル」
「なんで?」
「身元確認におまえの名前を出しただろう。彼は妃殿下がはじめてこの国に来たときに随行員の中にいたし、大陸とのつなぎにもなっている。いまさらおまえを呼び出すまでもない」
俺はそっと息を吐く。
「クレーレ、まだ気にしているのか」
「俺はしつこい。永遠に気にする」
「だからだよ。嫌がらせみたいなもんだ」
「性格が悪すぎるぞ」
俺は吹き出した。「そのせいで別れたんじゃないか」
クレーレは妙な表情をした。驚きと納得が混ざった顔だった。
「なるほど」
「あとは……遊戯盤に回路魔術が絡んでいるからだろう。つまり俺に見せたかったんじゃないか。お気に入りのおもちゃを自慢したいんだ、わかる人間に」
「アーベル」
「ん?」
「大陸では……」
いいかけてクレーレは言葉を濁した。
「いや、いい」
「何だ。いえよ」
「何をいいたかったのか忘れた」
「変なやつだ」
俺はつぶやいたが、唇が重なってきて眼を閉じた。クレーレの湿った髪と肌からは針葉樹のような匂いがして、わずかに薄荷も香った。のしかかってくる彼の筋肉質の体はずっしりと重かった。離れた唇が俺の顎から喉を食んでいき、髭のざらざらした感触が胸の方へ下がる。舌先が敏感な部分に触れるのを感じて、俺はクレーレの短い髪の毛に手をつっこむ。
眼をつぶっていると、皮膚と匂いの感覚にもっと敏感になってしまう。ふいにクレーレの重みが一瞬はずれて、濃厚な花の香りがふわりと漂った。夜着を剥かれた腹のあたりにとろりとした感触がおち、俺は反射的に声をもらした。
「クレーレ、それ――」
「新しい香油を買ってきた」
「それ……あれだろ、前に……」
「気に入っていただろう?」
「気に入ったわけじゃ……おい――」
足を閉じて妨害しようとしたものの、遅かった。花の香りが強くなる。足を上に持ち上げられ、開かれる。濡れたクレーレの指が俺のうしろをほぐしはじめる。じんわりした温もりと共に、内側でしゅわっと水が弾けるような強い感覚が生まれて、俺は腰を跳ねさせた。
「おい、あっ――」
クレーレの指が俺の屹立にそっと触れ、もどかしさだけを残して離れる。
「気に入っただろう?」
「いいけど――よくないっ」
「よくないか?」
「あ……」
俺の中をほぐす指はすでに三本になっている。以前もクレーレは何回か、似たような香油を持ってきたことがある。王宮ではこの手の物品の情報が潤沢らしい。師団の塔とはずいぶんな違いだ。まったく騎士連中ときたら――と、ぼやきかけた俺の頭の中で白く快感が炸裂した。
「クレーレ……」
「ん?」
「おまえ、下に来い」
俺は上体を起こしながらクレーレの胸を押した。クレーレの頬にうっすらと微笑がうかび、指が抜かれる。香油のせいもあって俺の中はひくひくと脈打っている。指くらいじゃとても足りない。俺は彼の腹にまたがり、上を向いた屹立にゆっくりと腰をしずめる。自分の重みで奥ふかくまで貫かれて、くりかえし喘ぎがもれる。クレーレが浅く息を吐く。
「アーベル」
「ん……?」
「好きだ」
「ん……」
俺は快感をもとめて無意識に腰をふり、さらに内側からも揺さぶられる。つながったところから濡れた音がして、クレーレの熱い手につかまれた部分に汗がにじんだ。ぎゅっとつぶっていた眼をひらくと、いつの間にか灯りが消えていた。暗い中で吐息だけがきこえている。
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