その騎士は城下向けの完全装備で、師団の塔の前で待機していた。俺は完全に仏頂面だった。 「あのなあ、俺はすぐそこの騎士団長の屋敷に帰るの！」 「はい。存じております」 「だから迎えなんかいらないって。頼むからそっちの団長にいってくれ。あの屋敷、王城にくっついてるも同然なんだぞ？」 「お言葉ですが、その団長からの命令なので……」 「クレーレの＊＊＊＊＊」 　俺は思わず大陸の言語で悪態をついたが、幸い騎士は理解しなかったようだ。 「わかった。とりあえず今日はわかった」 　俺は思い切り眉をしかめながら承知した。 「だが頼むから――ちょっと離れててくれ」 「はっ」 　まったく、昨今の王立騎士団はいったい何を考えているのか。 　ところが屋敷に帰りつき、夜になってクレーレに直接文句をいうと、奴はどこ吹く風だった。 「仕方ないだろうが。近かろうが遠かろうが、回路魔術師を騎士団がこんな風に守っていると不埒者に知らしめるのが目的なんだ」 　クレーレは俺の書斎で、俺の長椅子にどっかり腰をおちつけている。長椅子は寝そべって読書する俺の定位置なので、クレーレに居座られるとかなり迷惑なのだが、最近のクレーレは寝る前に書斎にやってきては必ずここへ陣取るのだった。 「だからって俺にまで騎士をつける必要はないだろう」 　俺は閉口していった。 「王族じゃないんだ。迎えがくるなんてたまらん。やめてくれ」 「いや、だめだ」 　クレーレは頑固にいいはった。そう、こいつは頑固なのだ。数年になるつきあいで俺もいい加減それを悟っている。悟っているが…… 「そもそもの原因は、回路魔術師は王城での地位が低いわりに金目の物を持ち歩いていると、最近王都にやってきた小悪党が気づいたことにある。師団の塔の地位が低いから、警備隊や騎士団も甘いだろうと思われているんだ。アーベル、俺はどちらも承服できない」 「それは正論かもしれんが、俺まで――」 「こういうのは徹底していることをきちんとみせるのが大事なんだ。小悪党だけじゃない、騎士団内部に対してもだ」 　突然クレーレは何か楽しい事でも思いついたようにニヤリと笑った。ちょいちょい、と指を動かして俺を呼ぶ。首を傾げた俺を自分の横へ座らせた。 「特に最近の入団者には回路魔術師を低く見ている連中がそこそこいる。教育にもいい機会だ。そうだな、もっと徹底しよう」 「え？」嫌な予感がした。俺は慌てて口走る。 「おまえ、今なにか思いついたな？　あのな、これ以上何か――ん！」 　クレーレは俺の唇を手のひらで覆った。 「いいから、アーベル」 「俺はよくないぞ……」 　彼の手のしたで俺はモゴモゴとつぶやこうとしたが、今度は手に代わって唇が降りてきて、ますます喋れなくなった。クレーレは俺の肩に腕をまわしてキスをする。こいつのペースに丸めこまれてはいけないと思いつつ、俺は結局キスを返してしまう。騎士団長という地位のせいか、近頃クレーレは前より弁がたつようになったと思う。こいつの政治力が上がったのか。俺は丸めこまれる回数が増えているのではないだろうか。 　おまけにこうやって手を出してくるやり口はあいかわらずだ。俺のシャツの下に入りこんだ指が脇腹をくすぐる。つきあいが長いのにこうなるとはどういうことだ。いや、逆か。つきあいが長いせいか。 「な、いいだろう？」 「よくないって」 　クレーレの吐息は出会ったころと同じような針葉樹と革の匂いがした。騎士がまとう香りだ。 　このときの騎士団長の考えは、翌日の日暮れにあきらかになった。 「おーい、アーベル～お迎えだよ～～」 　上機嫌に声を張り上げているのはテイラーだ。彼は完全にこの状況を楽しい冗談だと思っている。テイラーの声が聞こえると俺は仏頂面で道具を片づける。連日、日暮れと同時に「お迎え」の声があがるのは本当に迷惑だ。もう少し仕事を先に進めたいのに、少しぐずぐずしただけで、面倒な連中が師団の塔に入りこんでくるのだ。 「すぐいく」 　塔の入り口には扉を覆い隠すんじゃないかというほどのデカい影が立っている。もう俺たちにはおなじみのデサルグだ。クレーレが信頼するというだけでなく、騎士団の幹部でもある。最初にこの「お迎え」がはじまったとき寄こされたのは入団したての使い走りだったのに、副団長格がやってくるとはどういうわけか。 　だいたい、騎士はやたらとデカいやつらが多い上、幹部の連中は黙って立っていても周囲を威圧する。ルカが彼らを怖がるので（デサルグがここに連れてきたときもルカは泣きそうだったのだ）俺は弟子を思いやるルベーグにまで叱られて、残業もろくにできなくなってしまった。なんというとばっちりだろう。 「まあ、いいじゃないですか。早く帰れて」とデサルグは脳天気にのたまう。 「騎士団が本気だってことがわかったらしく、あれから被害は出てません。内偵で元締めの居場所もわかったので、もうすぐ突入で解決ですよ。団長としては自分で送りたいんでしょうけどねぇ」 「こっちの身にもなってくれよ」俺は閉口してつぶやいた。「クレーレもたいがい――」 　ふたたび大陸の言語で悪態をつきそうになったそのとき「呼んだか？」と聞きなれた声がした。デサルグがなぜか口笛を吹いた。きっと塔の窓からみているテイラーも同じことをしているにちがいない。俺は本気で悪態をつきそうになった。この連中、絶対楽しんでいる。 　しかしクレーレは満面の笑みで俺をみつめて「迎えに来た」という。 　俺は悪態をかみ殺す。 「あ、そう。近いのにご苦労さん」 「たまたま時間が空いていたんだ。よかった」 　師団の塔から騎士団長の屋敷までのわずかな距離を俺たちは歩いて帰る。王城を囲む壁の上で鴉が鳴いた。ふと、こんな風に並んで歩くのは久しぶりだと俺は思った。おたがい忙しい上に立場も変わってしまい、同じ屋敷で暮らしていても、街路で肩を並べることはめったにない。出会ったころはふたりで城下の店へ晩飯を食べに行ったりしたものだが、今となってはそんなことはできない。 　たまには悪くはないか、と俺の内心がひっそりささやく。どうせ今だけだ。 「たまにはいいだろう？」 　俺の心を読んだようにクレーレがいった。俺は横目で彼を眺め、肩をゆする。ローブが重く足元に垂れた。