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【番外編】手品の作法(4)
王都の城下は安全なものだ。大陸の物騒な町をいくつも渡り歩いた時とくらべると、町の雰囲気からその違いは歴然としている。おまけに俺はクレーレのせいで城下の警備隊にすっかり顔を覚えられているから、事情を知っている小悪党は俺には手を出してこない。
おかげで数年のあいだに俺の体はすっかりなまってしまった。以前は多少使えた体術も今はどうだかあやしい。そんなことを思いながら町屋敷へと街路をたどりつつ、俺は背後の気配に意識を向けていた。さっき街角で警備隊のひとりと話をしたのだが、その直後から俺をつけてくる者がいる。
刃物の鋭さを感じる魔力だった。背中にまっすぐ向かってくるから、精霊魔術を使えない俺でもぼんやり感じられる。俺は路地を曲がった。俺の家はこの先で、門扉のすぐ横に植えられたアカシアの木が道に大きく枝を張り出している。門扉をいったん通りすぎる。塀が低くなり、生垣と木の柵に変わる。
足音が聞こえたのはほんの一瞬だった。背中からローブを引っ張られるのを感じたとたん、俺は体をひねるようにして柵に手をかけ、跳んだ。
裾が生垣にひっかかるかと思ったがうまくいった。俺は柵の内側に着地し、つられるように背後の輩が動く。その時装置が作動するカチっという音が鳴った。
「うわぁっ」
ドサッバタッと鈍い音が響き、生垣の中から飛び出した縄と網の罠が宙に浮いて落ちる。頭をすっぽり目の細かい網におおわれ、パニックに陥ってもがいている人物の背中に俺はのしかかると、つかまえた両腕をうしろにまわした。ローブの内側から粘着剤のテープを取り出し、親指を縛る。
「あいにくだったな。このローブ狙いか?」
抑えこんだ腕も体も細かった。一瞬女かと俺は疑い、体つきからそれはないと判断して、次に頭から網を外した。肩より長い髪を首の下で縛った男――いや、子供の顔があらわれた。俺はあきれた。
なんだ、リアンやルカと同じくらいじゃないか。
「おい、ガキのくせに強盗の真似事かよ」
「うるさいっ」少年は怒鳴った。「離せ!」
「なんで」俺はまた呆れた。「人を襲っておいて離せもないもんだ。しかしおまえ――」
「なんだよ!」
「臭い」俺は顔をしかめた。「服も顔もひどい。まあいい。立てよ」
俺は少年を引き起こした。手首に巻いたロープをひっぱると、いい具合に締まった。生垣と柵に仕込まれているのは俺が考案したしがない回路魔術で、このロープの留め金もそうだ。実地に使う機会がそれほどあると思ってもいなかったが、仕掛けておくものだ。ロープをひっぱると少年はいきなりわめきはじめた。
「俺をどうするんだ! 死刑にするのか? デレクみたいに」
「デレク?」俺は顔をしかめた。
「おまえ、例のローブ狙い強盗の一味なのか?」
少年は急に黙った。俺はロープをひっぱる。少年はもがいたが、もがくとロープがますます締まるのをじきに悟ったらしい。しぶしぶとすこし前進した。散歩を拒否する犬を連れて行くような感じがした。
「まあいい。とりあえず風呂だな。こっちへ来いよ」と俺はいう。
「うるさいっ、行くもんか」
「デレクはなんだ? おまえの親? 親戚?」
「俺は何も喋らないぞ! 拷問だって……」
「物騒なガキだな」俺はため息をついた。
「あのなあ、俺は残業して腹がへってて、飯を食いたいの! おまえは腹がへってないのかよ!」
裏口から屋敷に入るとリアンがあきれ顔で立っていて、何を騒いでいるのかと聞き、次に眼を丸くした。俺はとりあえず「拾った」とだけ答えた。捕まえたなどというと角が立つ。
リアンに手伝ってもらって少年を風呂にいれた。暴れるのでロープでつないだままだったが、俺とリアンのふたりがかりで頭から洗われるのを拷問のように受けとめでもしたのか、終わった時には少し大人しくなっていた。
風呂の中で名前を聞き出すと「コリン」という。とりあえず俺のシャツを着せたものの、当然のことながらぶかぶかだった。次に時間が遅くなりすぎたのに気づいて慌ててリアンを家に帰した。ついでに翌朝の朝食と適当な服を頼んだ。
コリンのロープと手の拘束を解いてやり、リアンの母親が作ってくれた夕食を出すと彼はたちまちたいらげた。俺の食いかけを物欲しそうにじろじろ眺めるのを無視して、ワインを飲みながら彼を眺める。ずいぶん魔力が多い。ボサボサだった髪や服、それに傷あとからは、まともに養う大人がいたようには見えなかった。
「デレクはおまえの何だ?」
コリンはむすっとして答えない。俺はため息をついた。
「仕方ないな。警備隊を呼ぶか」
小さく息をのむ気配がする。
「何びびってんだ。警備隊に連れていかれても死刑にはならないし、拷問も受けないぞ。おまえくらいの年齢だったら――」俺はちょっと考えて適当なことをいった。「事情聴取が終わったら施療院に奉公に出されるとか、その程度だろう」
「――施療院?」
「精霊魔術を使う治療師がいる。おまえ、魔力が多いから、ありそうな話だな」
「あんたのその、アレを使ったりするのは?」
コリンの眼が脱いで放り出してある俺のローブに向けられる。俺はあくびをした。
「ああ? 師団の塔? 興味があるのか?」
少年はむすっとした表情でまた黙りこむ。やれやれ、どうするのがいいか。
「まあいい。とりあえず行くぞ」
少年はびくっとした。長い黒髪が揺れる。
「どこに」
「上だ」
狭い階段を上って、屋敷の最上階を開けるのは久しぶりだった。天窓の開閉レバーを作動させると、月明りが部屋の中央を丸く切り取るように落ちた。俺は壁際の寝台を指さした。
「あそこで寝ろ。俺は下の部屋で寝るから」
「ここ、なんだ?」
コリンは眼を丸くしてあたりを見回している。寝台と反対側の壁には天体観測の装置が据えてあるし、他の壁には書物がぎっしりだ。ただしこの部屋には重要な蔵書はない。
「空を調べるための部屋だ」
俺はまた適当に答えた。ただし今回は嘘はいっていない。
「とりあえず今は寝ろ。残りは明日だ」
階段を降りながら、天窓から逃げ出そうなんて考えないでくれればいいが、と俺は思った。警報が作動して後始末が面倒なのだ。泥棒ではなく鴉などの鳥対策なのだが。
まあその時はその時だった。俺は二階の研究室に降りると作動中の装置をたしかめた。リアンは几帳面に記録を取っている。経過を確認してから階下へ降り、一度屋敷の外に出た。施錠してから警備隊の詰め所に向かうと、デサルグへ伝言を頼んだ。
翌日の朝、最上階の観測部屋に入るとコリンは床にはいつくばるようにして本を眺めていた。声をかけると飛び上がって驚き、うしろめたそうな顔をする。俺は床の本をみつめた。懐かしい本だった。俺が伯父に引き取られたあとで与えられたものだ。
「面白いか?」
「あ、う、うん……」
「文字は読めるのか」
コリンは黙って首を振った。彼がみつめていたのは回路図だ。なるほど。
リアンが服と朝食を持ってきてくれたので、代金を渡してコリンを着替えさせた。今日の彼はおとなしかった。昨夜とは別人のようだ。清潔になると見た目も悪くない。成長すれば女たちに人気が出そうな風貌だった。
朝食を食べながらやっと話を聞き出した。コリンは強盗団の一員というより、デレクの連れ子として扱われていたようだが、血のつながりはない。親は王都の外で流しの修理屋をやっていたが、二年前に死んでみなしごになった。村の親戚にうとまれていたコリンをデレクは拾ったらしいが、扱いがよかったのは最初のうちだけだったらしい。といっても他の大人よりはましだったのだろう。
盗品から基板を取り外していたのはコリンだった。親の生前、みようみまねでやり方を覚えたという。
「俺をどうするんだ? 警備隊に突き出す?」
コリンは屋敷を出ろといった俺を上目でみる。俺は首を振った。
「いや。師団の塔へ行くぞ」
「しだん?」
「回路魔術師のところだ」
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