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【番外編】それはどこで買えますか?
「それはどこで買えますか?」
師団の塔からの帰り道、騎士団長の屋敷の裏口でなんとなく立ちどまったときだった。俺の肩口をみつめながら、唐突にコリンがそうたずねた。
彼がひょんなことから「俺の弟子」に落ちついてもう二年たつ。屋敷では執事のルシアンに作法を仕込まれているため、やたらと言葉づかいがていねいで、物腰も上品になっている。もう彼の前歴――両親を亡くした後しばらく盗賊団で暮らしていた――は誰にもわからないにちがいない。
いくら言葉づかいが上品になってもコリンは無口なたちだった。だがひとの話はちゃんと聞き、注意力は抜群で物覚えもいい。何しろ死んだ親のみようみまねで回路の修理をしていたくらいなのだ。そのコリンの視線は俺のローブに留められた小さなブローチで止まっている。表面に星とも花びらともつかない模様が刻まれた銀のブローチだ。
「これか? 何年か前にクレーレがギルドで知り合った職人から譲ってもらったんだ。今は城下に店を持ってる」
コリンはうなずいただけだった。何を考えているにせよ、なかなか口に出さないのはわかっているので、俺は先回りした。
「欲しいのか? さすがにこれはやれないが――なんならその職人のところに行って」
「いいえ、その――模様です」
ブローチは親指の爪よりすこし大きいくらいのものだが、刻まれている模様は精緻で美しい。回路の構造に似ていなくもない。
もっとも俺はクレーレが何の機会にこれをよこしたのか、ぜんぜん覚えていないと来ている。覚えていないなんてあいつに知られたらどう思われるかわかったものじゃないのだが。だからとにかく失くさないようには気をつけていた。コリンは立ち止ったまま、まだブローチをみつめている。このサイズの回路を俺はまだコリンに触らせていないので、興味があるのかもしれなかった。
「明日にでもその店に連れて行ってやるよ」
俺はいった。コリンははっとしたようにブローチから視線をはずした。背が伸びたな、とふいに俺は思った。拾ったときは薄かった背中にも厚みが出て、いずれがっしりした体格になるのかもしれない。華奢なルカ――同僚のルベーグの弟子――とは対照的だ。
「いえ。ほしいわけじゃ……」
「装飾や意匠に興味があるんだろう?」
「……ルカが……」
「ルカ?」
「綺麗だっていっていました」
ルカもコリンと同じくらいの年頃だ。才能もあるし、師匠のルベーグは彼をたいそう気に入っている。同僚の俺やテイラーからすると意外なほどで、溺愛しているといってもいいだろう。本人を前にこんなことを思うのも申し訳ないが、俺のコリンの扱いはたぶんもっと雑だ。
「そういえばルカはもうすぐ誕生日らしいな。ルベーグがなんだかごちゃごちゃいっていたが――あ」
俺はやっと気がついた。
「コリン、もしかして」
「去年は俺だけ贈り物をもらったんです。ルカから」
「それでか? たしかにルカはこの手のものが似合いそうだけどな。師匠に似て」
「ちがいます」
コリンは「何が」「どう」ちがうのかなど、詳細をすべて省略し、首をふった。
「ただ見たかっただけです」
そのまままっすぐ屋敷へ入ろうとする。俺はあわてて彼の肩に手をかけた。
「わかった。待て。貸そう」
ブローチをローブから外すのはわけもなかった。布でくるんで手のひらに押しこむと、コリンは一瞬申し訳なさそうな、それでいて照れくさそうな表情で礼をいった。彼は年の割に大人びた雰囲気があるが、たまにみせるこんな表情はいいものである。
「失くすなよ。クレーレが面倒だからな」
裏口の門をくぐりながら俺はつけくわえた。コリンは一瞬眼をみひらき、今度は呆れた顔つきをした。
みためのごつい印象とは対照的に、騎士団の連中は細かくて規則にうるさい人間ぞろいだ。そんな風に教えこまれるのだから仕方ないのか。それにしても、毎日顔を合わせている人間の服装の些細なちがいにすぐ気がつくのは性格なのか訓練なのか、騎士団長であるこの男が特別なのか。
「アーベル、ブローチは?」
「――ああ?」
翌朝クレーレにそういわれて俺はやっと思い出し、ローブの襟元をみおろした。あわてて書斎へ向かうとクレーレもついてきた。予想通りだった。書斎の机の上には布にくるんだブローチがある。コリンが早朝に置いて行ったのだろう。
「よく気づいたな。外していただけだ。失くしてない」
銀の丸を指先でこねくりまわしながらいうと、クレーレは怪訝そうに眉をあげた。
「いちいち外すのは面倒だといっていたのに、珍しい」
「たまにはそんなこともあるさ」
俺はブローチをローブに留め、同時に書斎の横にある仕切りをのぞいた。いまのコリンは屋敷では俺とクレーレづきの従者という扱いになっているが、俺の弟子でもあるから、ここにちいさな勉強部屋をあてがわれている。昨夜は遅くまで明かりがついていたが、今はもう空だ。他の使用人にいいつけられた用事を片付けているにちがいない。机の上に広げられた紙の横には木片らしき物体と、鞘におさまった小刀がきちんと並べてある。
「コリンがどうかしたのか?」
クレーレが俺のうしろからのぞきこんだが、俺は手をふった。
「いや。勝手にみるのは悪いからな。完成したらみせてもらおう」
「何を?」
「それもあとのお楽しみだ」
俺はさっさと書斎をあとにする。コリンの机の上にあったものはまだ彼の秘密にすべきなのだろう。図案だけならちらりと見えたが、コリンはあれを木片に刻むつもりなのだろうか。俺のブローチに雰囲気が似てはいるが、全然ことなる繊細な模様――回路のような渦を巻いた装飾文様のスケッチだ。
ところで、ルカの誕生日はいつだったっけ? 師団の塔へ行ったらルベーグに確認しなければ。
「アーベル?」
クレーレがまたも怪訝な顔つきで俺をみている。俺はニヤニヤしそうな口元をひきしめて、ローブに留めた金属に指を触れた。
「なんでもない。おい、行くぞ」
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