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【番外編】眼の王国

 騎士団長は今年十歳になる王女のお気に入りである。  筋骨たくましい長身の偉丈夫ながら、すっきりと整った面立ちをして、いかなるときも礼儀正しく公正にふるまうこの男は、もともと王宮の女性陣の好感度が非常に高かった。師団の塔の魔術師との関係を王が公認してからも、その人気に変わりはない。  王のアルティンにしても、騎士団長には王位につく前からの信頼がある。だから愛娘に「騎士団長様に自分が育てた薔薇を見せたい」とねだられれば、断る動機はどこにもなかった。しかし騎士団長の方はというと、少女に懐かれていささか困惑しているらしい。  今も小さな手に引かれて薔薇園をうろつく様子はたいそう落ち着かないが、そこをアルティンが面白がっているとわかったら、今度はアルティンの方が暗に責められるだろう。騎士団長は王のよき相談役だが、ときどき冗談を解さないことがある。  というわけで王はできるだけ平静を保ったまま、すこし離れた薔薇の茂みの前に立ち、ふたりを観察していた。  騎士団長には同性の伴侶がいるが、妻帯はしていない。そのため、事情を飲みこめない貴族にはいまだに「騎士団長の妻」の座を係累に与えようと試みる者もいるようだが、アルティンが見るところ、王城の女性陣の評判は、騎士団長が伴侶の魔術師に捧げている一途な愛情ゆえのようだ。  彼らは王城のすぐそばに住んでいて、師団の塔は王城の片隅に立っている。騎士団長と黒衣の魔術師が城内を並んで歩く様子をみるたびにアルティンの妃は「可愛い」と喜ぶ。魔術師のアーベルは騎士団長のクレーレと年齢は同じくらいで、つまりどちらもいい年をした男である。いったい何が可愛いのかとたずねると、騎士団長が魔術師を気にかけているさまが可愛いのだという。  そんなものか、とアルティンは思う。妃の感性は尊重したいが、あんな偉丈夫を「可愛い」と呼ぶのはアルティンの用語法にはいささかそぐわない。 「これが私が咲かせたお花なの」  王女は薔薇を触る手に薄い手袋をはめていた。自分の手を傷つけないためではなく、薔薇に病気を移さないためだという。重なった薔薇の花弁の外側は黄みがかった白で、中心にいくにしたがって淡い紅色へと変化していた。 「きれいですね」  ありきたりすぎる言葉に我ながら呆れつつクレーレは返事をするが、さすがにこれだけではあんまりだと、言い足す事柄を探した。 「秋なのに花が咲くのはどういうわけでしょう?」 「この薔薇は春と秋に咲くの」王女は得意げに答えた。「真冬もちゃんと守ってあげれば、春にまた咲くのよ。私が名前をつけた薔薇。この花は初めての花」  王女は十歳になったばかりだが、庭園が大好きだという話は王や妃にさんざん聞かされていた。王女の髪と眼の色は王に似て、目鼻立ちは妃譲りの整いようである。数年すればこの薔薇は彼女の引き立て役になるのだろうか。  秋も深まる季節だが、薔薇園には王女の薔薇以外の花もある。引き立て役といえば……と、クレーレは他の花に視線を移しながらここにない顔を思い浮かべる。黒い髪と黒衣には何色の花でも映えるだろう。 「王女様、鋏を」しゃがれた声が聞こえた。ふりむくと王家の庭師が神妙な顔つきで鉄色の剪定鋏を載せた盆をさしだしている。王女は厳粛な顔つきで刃を取り上げた。 「王女様?」クレーレはあわてて問いかける。物思いにふけったわずかな隙に、俺は何か聞き漏らしただろうか。 「あのね、団長様にこの薔薇をさしあげたいの」王女は平然と告げた。「自分で咲かせた初めての花だから」  クレーレは面食らった。 「ですが――」 「嫌?」 「いえ、その、とんでもない。光栄です。でも陛下やお妃さま、弟君にさしあげてもよろしいかと」  王女はつんと頭をそびやかした。 「だってそうしたら、他の人が見ないじゃない」 「他の人とは?」 「私はこれを自慢したいの。ここに咲いているだけでは誰もみてくれないでしょう。お父さまやお母さまだけじゃなくて、ちがう人に私の薔薇をみせて、喜んでほしいの」  なるほど筋が通っている。王宮の奥にあるこの薔薇園は王族の私庭も同様で、宮廷へあがる貴族や魔術師たちの眼にもほとんど触れる機会がない。とはいえ、薔薇を抱えて王宮を退出するのはいかがなものか。そう考えてためらったとき、斜めうしろから押し殺した笑い声が、それでもはっきりとクレーレの耳に届いた。王陛下の声である。あきらかに面白がっている。 「クレーレ、もらってやってくれ。おまえの回路魔術師に贈ればいい。しばらく会っていないが息災か? 弟子をとったと聞いたぞ」 「息災です。最近は本を書くためといって、弟子と共に研究に取り組んでいますが」  クレーレの伴侶の魔術師、アーベルはこの頃、弟子のコリンをはじめ、数人の助手を使って、以前住んでいた町屋敷で大掛かりな実験を行っているらしい。数日の泊まりこみは珍しくなく、帰ってきたと思ったら深夜まで書斎でペンを握っている。 「そうよ!」王女も嬉しそうにいった。 「団長様の大切なひとにあげて。ね?」  そういえば、王女は幼児のころアーベルによく懐いていた。それにクレーレの魔術師は子供に好かれるたちらしい。今は忙しすぎるのかあまり見かけなくなった光景だが、祭りの日など、子供たちに取り囲まれた彼が苦笑しながら回路魔術による「手品」を披露していたのをクレーレも覚えている。  結局、儀式のような手つきで慎重に薔薇の枝を切った王女からクレーレは花を受け取った。庭園に咲く他の花もあわせて庭師が花束をこしらえたので、期待に満ちたまなざしの王女と面白そうに笑う王を背後に、花束を抱えて王宮を出ることになる。  きっと似合わないことこの上ないのだろう。屋敷に戻る前に立ち寄った騎士団の本部で、すれちがう部下の視線をクレーレは無視した。副官のデサルグに至っては思わせぶりに眉をあげ、笑いをこらえているようだが、これも無視である。  とはいえアーベルはこの薔薇を喜ぶだろうか。いささか怪しいところだった。クレーレの魔術師は花より団子派で、装飾やしゃれた衣服よりも書物と実験を好む。しかしこれは王女の贈り物だし、ひとまず屋敷に飾ることにする。クレーレは花束を執事のルシアンに渡して事情を話し、適当な花瓶を探しに行かせた。  案の定アーベルは屋敷にいなかった。師団の塔から知らせは受けているが、屋敷で夜を過ごさないのはこれで五日目だ。  薔薇は浮き出し模様のある白い花瓶に美しく飾られた。王族の贈り物だから、本来は客人が眼にする正面玄関や客間に置くべきだとルシアンは主張したが、王女はアーベルへといったのだ。花瓶をアーベルの書斎に隣り合った私室へ運ばせ、簡単な夕食と風呂をつかったあと、クレーレは長椅子でぼんやりしていた。伴侶が研究に夢中なのを嫌だと思ったことはないが、こんな夜は手持ち無沙汰だった。心もとないとか、不安というのではないが――  いつのまにかうとうとしていた。眠気に負けた体が重い。ひたいのあたりを何かがくすぐっている。手で払おうとした途端それは逃げていき、今度は頬をくすぐられる。と、乾いた笑い声が耳のすぐそばで響いて、クレーレははっと眼をあけた。 「不用心だぞ、騎士団長殿」  クレーレの腹の上にアーベルがまたがり、短剣を突きつけるように、喉元に薔薇の花弁を触れさせている。 「おまえも齢だな。最近油断しすぎじゃないか?」 「まさか」  庭につながる窓が開いていた。魔術師はそこから入りこんだにちがいない。黒い眸が愉快そうにきらめく。薔薇の短剣をすっと引き、今度は自分の鼻先に触れそうなくらい近づけ、匂いを嗅いだ。 「きれいな薔薇だ。どうしたんだ?」 「王女様が育てたはじめての薔薇だそうだ。庭園に来ない誰かに見てほしいといって、つまりおまえに見せたいといって、くださった」 「それは……光栄だな。ずいぶん大きくなられただろう?」 「もう十歳だ」  アーベルは薔薇をしげしげとみつめ、さっそく論評を加えた。 「改良種だな。花を咲かせるまで苦労されたことだろう。こんな風に色合いが変わるには……どうした?」  怪訝な響きにクレーレは我にかえった。 「いや……思った通りだ」 「何が?」 「似合う」 「何が?」 「薔薇が。おまえに」 「おまえまだ寝ぼけているな」 「いや? そんなことはない」  呆れたようなつぶやきが聞こえたがクレーレは気にしなかった。この魔術師は往々にして自分の魅力を過小評価する。アーベルはまだ唸りつつも、腕をのばして薔薇を花瓶に戻し、クレーレの腹の上に座りなおした。降りる気はないらしい。  クレーレは上に乗った伴侶の腰に手を添え、背中の方へ指を這わせる。 「研究の方は?」 「山場を超えた」  顔に出さないようにしたものの、クレーレの胸に安堵が満ちる。やはり夜はともに過ごしたい。自分がそう願っていたのだとあらためて悟った。アーベルは上体を倒し、クレーレの顔の横に手をついた。クレーレは魔術師の背中を抱きよせ、唇に唇でそっと触れた。 「クレーレ、こんどおまえにも花をやるよ」  ためいきにまじってそんな言葉がきこえた。顔のすぐ近くでささやかれ、骨の中に響いてくる。 「俺に花は似合わん」  ぼそりとつぶやくと上目遣いの眸がじろりとクレーレをみつめた。 「じゃ、団子がいいか?」 「おまえがいい」  アーベルはうっすらと微笑み、まぶたを閉じた。 「それなら好きにしろ」 「もちろん」  重なりあった体の下で長椅子がみしみし鳴った。窓から忍びこむ秋風のなかで、薔薇がひっそりと香っている。

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