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【番外編】金の輪、銀の輪、鋼の輪

「ボツ」  ルベーグがいった。 「これもボツ……これもだめだ」  銀髪、美貌の魔術師は試験台に間隔をあけて並べた金属板をひとつずつ調べているところだ。まずは置いたままざっと観察し、それから陶器と金属を組み合わせた試験環に嵌め、自分の腕に通す。 「これもボツ」  城下の庶民の多くは、魔術師というものはまばたきするあいだに困ったことを片付けてくれる便利な存在だと思っているらしいが、まったくそんなことはないのである。精霊魔術師がどんな失敗をしでかすのかは知らないが、回路魔術師だってうまく回路を組めないことはよくある。新しい方法、新しい構造を試していれば、そっちの方がふつうかもしれない。 「全部ボツか」テイラーが落胆した表情でいった。「安定しない?」 「しない」  ルベーグはあっさり答えた。俺とテイラーはそろってため息を合奏する。 「また失敗か……」 「これじゃ当分、一儲けってわけにもいかないねえ」  テイラーが疲れた顔で肩を回した。ボキボキと骨が鳴る。  ずっと研究しているのにうまくいかないことはたくさんある。回路魔術の場合、大きな対象より小さな対象の方が難しい。師団の塔は王城で大規模な回路魔術を展開しているが、俺たちがここで研究しているのはもっと小さな魔術だ。たとえば個人的な防御に使える魔術道具とか、魔力のない者同士でも空間を隔てて会話できる(これを精霊魔術師は念話という)道具とか。  回路魔術は人間が生来持つ魔力を物体に作用させるための技術だが、弱点もいろいろある。たとえば、ひとりの人間が長期間接触した回路に起きる変質の問題を俺たちはまだ克服できない。変質した回路は壊れるだけでなく、最悪の場合、逆流して魔力の暴走を引き起こす。  俺たちは試験台を離れ、しばらくああだこうだと議論した。ここは昔伯父が研究所兼住まいとして使っていた町屋敷で、今は俺の別宅兼研究所といったところだ。近頃あまり顔をあわせなくなったテイラーとルベーグも、ときどきここに集まってくる。  精霊魔術は上達し、進化する――と、精霊魔術の素質がある者はいう。自身の内側の〈力のみち〉をたどり、鍛錬することで、ひとの心と体に近づき、より精緻で精密な魔術を使えるようになる、と。  回路魔術も上達はするが、進化はしない――と俺たちは教える。少なくとも、精霊魔術の使い手が〈力のみち〉の新たな次元に覚醒するような奇跡は、回路魔術師には起きない。精霊魔術師の魔力と素質と、回路魔術師の境界は大きい。たまに両者を兼ねる人間がいるからといって、境界がなくなるわけじゃない。  精霊魔術は生あるものに直接作用する。回路魔術にそんな奇跡はない。俺たちがやっているのは、生きていない物体を魔力で動かす道具をつくること。良い道具が出来上がることもあれば、失敗作をつくることもある。失敗作の方がはるかに多い。俺たちは凡庸なアイデアをこねくりまわし、凡庸な道具にちょっと手を加えたものからまったく役に立たないガラクタまで、つくってつくって、つくりまくる。  うんざりするくりかえしを続けていくうち、ごく稀に跳躍が起きる。なにかあたらしいものが生まれて、回路魔術はあたらしい方法を手に入れる。ひとときの勝利の味わいは凡庸なくりかえしにあっという間にまぎれてしまう。それでも俺たちはつくりつづける。  しかしいくら格好のいいことをいっても、ボツはボツだ。  ボツの壁が眼の前に立ちはだかるとき、ひとはどうすればいいものか。  話が途切れて沈黙がおちた。そのあいだ俺たちは全員、同じことを考えたらしい。 「ま、いいや。とりあえず飲もう」  俺はいった。これはボツの壁への応急対処法、その一である。 「どこで? ここで?」ルベーグがたずねた。 「鹿の角亭にしないか」とテイラーがいった。「僕はいま、とてつもなく肉を食べたい」  テイラーもルベーグも俺には長いつきあいの友人で、仕事仲間である。以前は毎日のように師団の塔で顔をつきあわせていたのだが、一年前に塔が大規模な組織変更をしてからはそうでもない。ちなみに組織変更のきっかけは、我らが上司エミネイターが、傍系ではあるが王族のひとりと電撃結婚をしたせいだ。  電撃結婚といっても、くだんの王族とエミネイターのつきあいはかれこれ三十年に及ぶらしく、要するに子供のころから見知っていた間柄なのだという。しかし結婚するような関係だったとは周囲の誰ひとり想像していなかった。  結婚してもエミネイターの師団の塔の身分に変わりはなかったが、何らかの配慮が働いたのか役職は上にあがった。同時にルベーグは塔の養成管理職に本格転向し(何年も弟子をとるのを渋っていたのに皮肉なものだ)テイラーは王立学院に出向した。学院でのテイラーの役目は、精霊魔術をめざす学生に教養として回路魔術の基礎を講義することとなっているが、これはあくまでも表向きの任務だ。本当の任務は、精霊魔術に向かない学生を師団の塔へスカウトすること。  というわけで、以前共同で使っていた塔の部屋に残ったのは俺ひとりである。これまでテイラーとルベーグと俺が趣味的に追及していた課題は、休日の娯楽として俺の私的な研究室に引き継がれた。もっとも進捗はご覧の通り、あまりはかばかしくない。  ともあれ俺たちは鹿の角亭へ行った。  城下の警備隊にもなじみの居酒屋である。店に入ったとたん、肉を焼く香ばしい匂いが食欲をそそる。壁に積まれた薪の山からはぴりっとした樹皮の香りも漂ってくる。俺たちは入口から遠すぎない、壁際のほどよい位置を確保して飲みはじめた。到着のタイミングは絶妙だった。あとから次々に客が訪れ、かなりの広さがあるにもかかわらず、席はあっという間に埋まったからだ。 「最近は精霊魔術師どもがこっちを馬鹿にするのもわかる気がしてくるよ」  酒をどぼどぼ注ぎながらテイラーがぼやいた。 「生体を直接魔力で弄りまわせるなんてどうかしてると思うが、こんな日はうらやましいね」 「そういうな」  ルベーグが首をふった。彼は精霊魔術を使えるだけの魔力がある――実際、いくつかの技能には通じている――が、回路魔術を好んで選んだ男である。 「回路魔術の弱点は回路魔術の利点でもある。そのうち答えがみつかるさ」 「だといいけどね」  頼んだ肉とパンとシチューが運ばれてきて、俺たちは無言で食べるのに集中する。周囲の客のざわめきにまじって唐突に弦の音が鳴り響いた。歌うたいがテーブルの間をまわりはじめたのだ。笑い声と拍手がわき、最近城下で流行っている歌が聞こえてくる。恋歌が何曲か、そのあとに語呂合わせで拍子をとるだけの愉快な歌。テイラーがテーブルをトントンと指で叩く。また歌が変わる。  ころがれころがれ、指輪よ。  金の指輪、銀の指輪、|鋼《はがね》の指輪。  おまえの指輪は、どれ? 「これ、はじめて聞く」  何気なくそういったとたん、テイラーが眼をむいた。 「え、知らない?」 「ああ。前からあるのか?」  ルベーグまで意外だという表情をしているので、俺は急に自信がなくなった。 「この季節は恒例の歌だよ。アーベルは王都の出身じゃなかったっけ、聞いたことない?」 「いや。俺が王都に来たのは伯父に引き取られたあとだからな」 「王立学院は?」 「行かなかった。伯父の屋敷で独学した後で大陸へ渡ったんだ」  正確には「ほとんど行かなかった」というべきだが、似たようなものだろう。 「だったら知らないのも当然だ」ルベーグが穏やかにいった。「いまじぶんは精霊魔術師が魔力の強い子供を探しにくるといわれてるんだ。だから子供たちのあいだで歌が流行る」  ころがれころがれ、さだめよ。  金の輪、銀の輪、鋼の輪。  おまえの未来は、どれ?  金は統べ、銀は癒し、鋼は護る。  おまえの未来は、どれ?  なるほど、そういうことか。俺は歌詞に耳を傾ける。金は統べ、銀は癒し、鋼は護る――精霊魔術師として宮廷政治に関わるものは金、治療師となるものが銀、そして鋼は―― 「回路魔術師(おれたち)は鋼でいいのか?」 「回路魔術は王城防備のかなめだ。鋼で上等だろう」  ルベーグが淡々と答える。でも俺は首をかしげた。 「鋼といえば騎士の剣だろうに。このローブに似合うとも思えないな」 「回路に何が使われているかなんて、みんな知らないからな」とテイラーがいう。 「どうせただの歌だよ。それに回路魔術の才能は魔力だけで決まらない。僕やアーベルをみればわかるだろ? 答えを出せる人間なら何だっていい」  テイラーのいう通りだ。師団の塔には生まれ持った魔力量はさほどでもない者もいる。すぐれた回路を設計する才能は魔力に比例するとは限らないし、手先の器用さがものをいう場面も多い。そもそも、精霊魔術師のように王立学院を卒業しなければならないきまりがないから、師団の塔にいる者の出身はバラバラだった。以前きいた話ではテイラーは商家の生まれで、商売を手伝っていた時に、常連客の回路魔術師にスカウトされたという。  ころがれころがれ、指輪よ。  金の指輪、銀の指輪、鋼の指輪。  おまえの指輪は、どれ?  リフレインを聴いていると、ふと頭の中に金属の薄板が叩き伸ばされる像がうかんだ。回転し、ひらひらと宙を飛び、くるくる回る。  ふいに思いついたことがあって、俺は立ち上がった。 「アーベル?」ルベーグが不思議そうな顔をする。 「悪い、戻る」俺はローブの下から硬貨を取り出して板の上に置いた。 「後片付けを忘れていた。ボツになったやつ、潰してくる」 「今から?」  テイラーはとうに酔っぱらっているようだ。もつれた舌で「泊まりこみはやめとけ。騎士団長がひがむだろ」といった。俺は笑って手を振った。 「大丈夫だ。すぐ終わる」  たとえ失敗作であっても、回路魔術に使った金属片をうっかり捨てたり、持ち出したりしてはならない。俺は以前それでひどい目にあった。見本と記録を保存したら、潰して溶かし、何度も使う。  金の指輪、銀の指輪、鋼の指輪。  歌はまだ頭の中で鳴っていた。俺は今日の失敗作を作業台に固定し、ハンマーをふりあげる。最初の数発で刻んだ回路はつぶれるが、さらに叩きつづけると、金属片そのものが薄く薄く伸びていく。  たまには〈力のみち〉のことなんか、忘れてもいいんじゃないか。つくってばかりだと壊したくなるときだってある。  回路魔術は〈力のみち〉を人工的に増幅させ、生命のない物体に作用させる技術だ。回路魔術師は年がら年中、多かれ少なかれ〈力のみち〉について考えている。だが今の俺は何も考えていなかった。鼻歌をうたいながら銀色の薄板を叩くことに熱中する。次第になめらかに変わる表面に波のような模様が浮き上がる。  金の輪、銀の輪、鋼の輪。  使い慣れた工具で薄板を指輪のかたちにつくるのは造作もなかった。継ぎ目を処理し、表面を磨く。できあがったのはただの指輪だ。回路魔術も精霊魔術も関係がない、金属の板をまるめただけのもの。  ためしにはめてみると少し大きかった。親指でもゆるい。調子に乗って叩きすぎたか。それでも何かひとつ完成させることができて、俺はすっきりした気分だった。輪っかを片目にあて、たわむれに窓の外の月をのぞく。  この輪が合いそうな人間なら心当たりがある。そう思ったときベルが鳴った。誰かが屋敷の門扉に手をかけたのだ。 「クレーレ」  鼻歌をうたいながら階下に降り、正面の扉をあけると、明るい月を背中にして影が長く室内に落ちた。 「いま戻ったのか?」 「ああ」  騎士団長は旅装のままだった。一緒に暮らしているというのに、外交行事に駆り出されることも多いこの男の顔を見るのは十日ぶりである。俺は首をのばし、馬が門扉の横に大人しく繋がれているのを確かめる。 「まっすぐ帰ればいいのに。どうして俺がこっちにいると? 今日は休日だぞ」 「休日か。念のため寄っただけだ」クレーレはかすかに口をすぼめた。 「案の定、明かりがついていた」  休日。はじめてクレーレに会った頃も、この男は休日のたびにこの屋敷にやってきたのだった。当時の俺は屋敷の中に入れなくて、今は物置になっている納屋で寝起きしていたのだが……。 「おつきの連中は?」 「全員返した」 「入れよ。すこし休んで、一緒に戻ろう」  手を差し出すとクレーレはためらうことなく握った。扉を閉めたとたん、俺の肩にもう一方の腕がまわる。俺は旅装の埃っぽい匂いに包まれる。クレーレは俺の首筋に顎をこすりつけた。伸びかけの髭がざらざらする。つないだ片手は昔と変わらず温かい。クレーレの指は俺よりすこし太く、手のひらは厚く、がっちりしている。唇が俺のひたいから鼻先へおり、腹が減っている獣のように俺の口を喰おうとする。俺はあわててクレーレの顔を押し戻した。 「おい、待てって。いいところにきたぞ、おまえ」 「いいところ?」 「ほら」  俺は肩に回った腕をふりほどき、ポケットをさぐる。手のひらに指輪を取り出すとクレーレは眼を丸くした。指輪はポケットの中で温まっていた。どの指がぴったりだろうか。人差し指。薬指。いや、単にためしてみればいい。  俺は眼の前の男の左手をつかみ、輪っかを薬指にさしこんでみる。金属は関節をくぐっていい感じにおさまった。 「お、どんぴしゃりだ」 「――アーベル?」 「最近失敗が続いてな。気晴らしに作った」  失敗作を利用したとはいわなかった。クレーレはあっけにとられた顔をしている。 「指輪を?」 「ただの指輪だけどな。なんの魔術も関係がない。たまたま、おまえにぴったりだ」  クレーレは俺をじっとみつめ、ついで指輪をはめられた手をみつめ、もう片方の手でさすった。 「たしかにぴったりだ。俺に?」  新しいおもちゃをもらった子供のような声だった。王国の騎士団長なんて立派な肩書を持っているくせに、こんなもので喜ばれると力が抜ける。 「やるよ。飽きるまではめていろ」 「そうする」  指輪をはめた手が俺の顎をつかんだ。俺は背中を壁に押しつけられ、おりてくる唇を受けいれる。クレーレの肌は汗と革の匂い、そして針葉樹の匂いがする。今日の失敗の記憶が眼のまえの男の存在にとってかわるのはありがたかった。俺の頭の片隅ではまだあの歌が鳴り響いている。  ころがれころがれ、指輪よ。  金の指輪、銀の指輪、鋼の指輪。  おまえの指輪は、どれ?

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