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【番外編】裏と表

「彼にはまだ早すぎる。反対だ」  銀髪の魔術師が断固とした口調で告げた。 「俺がはじめてあれをやったのも十四の時だったぞ。問題があるとも思えないけどな」  向かいあって立つ黒髪の人物が不満そうに口をとがらせるが、銀髪の魔術師は同意するつもりはないらしい。 「アーベルは特別なケースだろう。コリンの魔力量を考えると、王立学院のカリキュラムにあわせるくらいでちょうどいい」 「そうか?」黒髪の魔術師は仏頂面になる。 「俺たちがやってんのは精霊魔術じゃない、回路魔術だぜ。重要なのは回路の原理を理解しているかどうかだ。学院は精霊魔術師しか眼中にない。どうしてあっちの基準にこだわる必要がある? あいつは進歩が速いんだ。とっとと何でも教えてやっていいだろう」  黒髪の魔術師がこちらを見たような気がして、ルカは塔の窓辺からあわてて首をひっこめた。ふたりの魔術師は真下の中庭で喧々諤々の議論を続けている。  内緒話をしているわけではないから隠れなくてもよさそうなものだし、実際いつもは堂々と見物する。だが今日のふたりの話題は、ルカの友人、コリンの話だった。  銀髪の回路魔術師はルカが師事するルベーグで、黒髪の回路魔術師はコリンの師、アーベルだ。ルベーグは同時に徒弟養成の責任者でもあって、徒弟全員の魔術習得に気を配っていた。コリンの魔術についてアーベルにあれこれ注文をつけているのもこのためである。  師団の塔の徒弟の仕組みが整えられたのはそれほど昔のことではない。ルカが最初に師団の塔を訪れた時はまだ定まっていなかった。  そのころ、王立学院の勧めやその他の事情で回路魔術師見習いとなった若者は、徒弟を持つ余裕のある塔の魔術師についてあれこれ雑用をこなしつつ、回路の組み方を習得するのが常だった。しかし回路魔術師は世間に思われているよりずっと忙しい。雑用ばかりいいつけられて学ぶ機会を十分持てない者がいる一方で、数人の魔術師のあいだを右往左往するうちに、めいめいに勝手なことを教えられて混乱する者もいた。  精霊魔術とちがって回路魔術の歴史は浅く、おなじ魔術師といっても、精霊魔術師の組織である王立魔術団よりも回路魔術師団は下位にあると思われている。しかし現王陛下は回路魔術を重視しており、騎士団も師団の塔に協力的だ。そのため回路魔術師の待遇はずっとよくなったらしく、新人養成の仕組みが整えられたのもこの結果なのだという。  もっともルカは最初からルベーグひとりを師と仰いでいた。ルカ本人にも理由がわからないのだが、最初に塔へ足を踏み入れ、ルベーグをみた瞬間から、まるで決められていたようにふたりは唯一無二の師弟となったのだ。  一方、コリンの師もアーベルだけだ。彼を塔に連れてきたのはアーベルだし、コリンは騎士団長の屋敷に住んでいる。なぜなら魔術師アーベルは騎士団長の伴侶で、コリンはアーベルの遠縁だからだ――すくなくとも表向きはそうなっている。  実際はちがうのだとルカはコリンに聞いていた。もっともルカにとっては、彼がアーベルの親戚であろうがなかろうが、そんなのはどうでもいいことだった。何しろコリンが師団の塔に来た日、ルカはほんとうに嬉しかったのだ。ふたりは師団の塔の最年少の徒弟だった。大人に囲まれた十一歳の少年にとって、同い年の仲間は何よりも大切なものだ。  それから三年たち、十四歳になった今もルカとコリンはいちばんの親友だ。すくなくともルカはそう思っている。ついこの前まで、ルカの悩みといえばコリンのように背が伸びないことだった。十一歳の時はおなじだったのに、ここ一年のうちにルカはコリンを見上げるようになってしまったのだ。  ルカにとってコリンは気がねなく何でも話せる友人だった。ルカはおしゃべりでコリンは無口だ。ルカは頭の回転は速いが手先を使う作業はいまひとつ。コリンはルカよりも考えることに時間をかけるが、回路を組む指先は大人顔負けの器用さである。ふたりがそろえば、それぞれの師が出す課題に困ることはなかった。  ところが師たちはそんな彼らを見越したのか、最近になってふたりの課業は別々の場所で行われるようになった。だから最近のルカは、一日の終わりになると中庭を見下ろす窓のそばでコリンを待つようになっている。ルカは他の魔術師や徒弟とともに師団の塔の宿舎で寝泊まりしているが、コリンは騎士団長の屋敷に帰ってしまうからだ。前にちらりと聞いた話だと、夜は執事にいいつけられた用事があるという。  課業から解放されるのはコリンの方が遅いのに、そのあとさらに仕事があるなんて不公平じゃないか。  ルカは不満だった。もっともそれはコリンのためを思ってというよりも自分のためだった。コリンともっと話をしたかったし、もっと会いたかった。それに顔をみないとなんとなく不安になるのだ。  この不安には正体のわからない苛立ちも混じっていた。今のような師たちの会話も苛立ちの原因だ。どうも回路魔術においては、コリンの方が上達が早いと教師たちは思っている――ルカにはそう感じられるのである。  しかし、その一方でルカはコリンより持って生まれた魔力の量が多かった。だからルベーグは精霊魔術の基礎である、共感の技法をルカに教え始めている。それが功を奏してか、それとも他の理由もあるのか――最近コリンが隣にいると、無口な彼から何かものいいたげな雰囲気|だ《・》|け《・》が伝わってくる。  それやこれやで、何でも話せるはずの友人だったはずのコリンに、今のルカは聞けないことができてしまった。  ――コリン、もしかしたら、きみは僕よりずっと前を歩いているのでは?  心の裏側でそんなことを考えながら、ルカは窓のそばに座っている。  今日も遅くなってしまった。  コリンは足早にいつもの場所へむかう。窓辺にルカが座って、めずらしく壁にむかってぼうっとしていた。いつもなら遠くからでも気がついて手を振ってくるし、少々距離があっても大声で話しかけてくるのに、珍しく自分に気づいていないようだ。  蜂の巣のように分けられた部屋も回廊も黄色い光で照らされている。回路魔術師たちは半数が居残り中だ。コリンも居残りを許可されていたら、まだ続けていたかもしれない。最近教えてもらい、いまはコリンだけに任されている作業が面白くて、昼間は時間を忘れて取り組んでしまうからだ。  ルカの髪は黄色い明かりに照らされ、つやのある丸い輪が浮かんでいた。柔らかそうな、きれいな髪だとコリンは思った。ルカをはじめてみた時もおなじことを思ったのだ。いささか物騒な理由で農村から王都へやってきた自分とちがい、ルカは生粋の王都民で、よく動く口と明るいまなざしを持っている。そのせいか、コリンの目にルカはいつもピカピカと輝いているように感じられる。  実際は、今のコリンは服装も物腰もルカに負けないくらい、あるいはそれ以上に洗練されていた。騎士団長の屋敷の執事、ルシアンにうるさく躾けられたためである。いまではコリンの前歴――両親を亡くした後しばらく盗賊団で暮らしていた――を聞かされても、誰も信じないにちがいない。  たくましくなりつつある肩幅や端正な面立ちに注目する者もいるのだが、本人だけは気づいていない。コリンにとってはルカの繊細な顔立ち――ルベーグ師匠に通じるものがある――がもっとも価値あるもので、自分のことはどうでもよかった。  もちろん、コリンはルカにこんな話はしたことがない。しばらく前から自分の夢にルカがしょっちゅう出てくることも――そこで自分が何をするのかも――もちろん話してはいない。その夢を見るようになってから、実物のルカを前にすると心臓がどきどきと脈打ってしまうこともだ。  夢の意味も心臓の動悸の理由も、誰にたずねるまでもなくコリンにはわかっていた。だから課業が別々になった時、実はほっとしたのだった。この状態がずっと続けば、いつかはルカに告げるかもしれない。でも今はまだ、心の裏側にしまっておくつもりでいる。告げてしまえば、ルカはもうこんなふうに自分を待ってくれないかもしれない。 「ルカ」 「今日も遅いな! まったく、どれだけ働いているんだよ。アーベル師はさっきまでそこにいたぜ」  ルカはさっそくそうまくしたて、中庭を指さした。コリンはルカと並んで窓台にすわり、外へ顔を突き出した。夕闇に包まれた屋外には魔術師たちの姿はみえなかった。 「ルベーグ先生と話をしてた」  ルカはそこまでいって言葉をとめる。コリンはそっとルカの目をみる。続きを話すと思ったのに、めずらしくルカはためらい、唇をぱくぱくあけて、閉じた。 「何の話?」コリンはたずねた。 「指導法をめぐっての口論……かな。先生たちって仲がいいけど、喧嘩も多いよね。いや、仲がいいから口喧嘩できるのか」  コリンは黙ってうなずいたものの、ふと不安になった。こうして黙っているばかりではルカと「仲がいい」とはいえないのでは? しかし自分がこのごろルカに対して思っていることは、単なる仲の良さを超えた何かだ。 「最近何やってる?」ルカがたずねた。 「回路の下絵を描いてる。面白い」 「僕は回路修復の練習ばかりだけど、かなりできるようになったよ」  今日のルカはいつもより口数が少なかった。何かあったのだろうか。友人の様子が気になってたまらないのに、コリンの口は動かなかった。迷っているうちに時間はどんどん過ぎていく。そろそろ屋敷に戻らなければならない。窓辺に座ったままコリンは衝動的に手をのばし、ルカの肩に触れた。 「何?」  ルカがはっとしたようにコリンをみた。 「あ……ごめん。何も」  あわててそういったものの先が続かない。 「コリンはさ……」ルカがぽつんといった。 「ずるいよ。いつもすぐ行ってしまうから」  コリンは何と答えればいいかわからなかった。 「……ごめん。その……」  ぼそぼそとつぶやく。すると突然背中にルカの手がまわり、そのまま軽くぱたぱたと叩かれた。いつもの笑顔に戻ったルカがコリンの肩をひきよせ、唇に息がかかるくらいの距離でささやく。 「馬鹿だな、本気にするなよ」  とたんにコリンの心臓はドクドクと鳴り響いた。ルカに聞こえてしまうのではないかと思ったくらいだ。どうしよう――そう思った時はもう、ルカの顔は離れていた。窓台から床へ降りて「もう行くんだろ?」とコリンにたずねる。 「うん」 「明日は早くあがって城下へ行こう。忘れるなよ」 「わかった」  約束ができたことにほっとしているのに、ふたりとも表に出さなかった。  門のまえでコリンが塔をふりむくと、ルカはまだ窓のそばにいて、友人に手を振っている。

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