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【番外編】正義の味方

 えらが張った四角い顔の周囲をかたい髭がとりまいている。太く逆立った眉の下の両目は細く、わずかに斜視のきらいがある。唇は薄く、大きく、引き結んでいると厳しい印象を与える。頑丈そうな太い首、肩と背中、両腕は筋肉で盛り上がっている。  王都に出没するちんけな犯罪者なら、ただ腕を組んで一瞥するだけで勝手に震えあがり、たずねもしないことを喋りだしたりする、そんな顔であり、体格だ。  騎士服を着ていなければ、悪人にみえかねない。  デサルグは鏡をみつめながら内心でそう論評し、剃刀を置いた。  洗面所を出ると妻が朝食の支度をしていた。結婚して何年にもなるが、デサルグはいまだに、こんなにたおやかな女が自分の妻であるのを不思議に思うことがある。繊細な顎に細い首、なだらかな肩、柔らかく長い髪は昼間は頭の上でまとめられている。体重も体の幅もデサルグの半分か、もっと小さいかもしれない。顔立ちは美人というより可愛らしい方で、眸だけがとても大きくみえる。  騎士服を着ていなければ、いや、着ていても、デサルグはその体格と顔のために周囲を威圧したり、子供に目の前で泣かれたり、若い女性に警戒されることが多かった。だからこの妻が自分の求婚を受け入れた際、その理由のひとつとして「あなたの顔が好みだから」と告げたときは、とてつもなく驚愕したものだった。  人の好みはさまざまだ。まったくありがたいことである。 「最近はお帰りが早くて嬉しいわ」  朝食の皿を並べながら妻がいう。デサルグも妻も貧しくはないが平民の出身だ。騎士団でそれなりの地位となった今も、貴族のように何人も使用人を置く生活とは無縁である。 「そうだな、目立った騒動もない。物足りなさそうな新兵には御前試合用に訓練をしているよ」  初夏の御前試合には、王城の騎士団だけでなく城下をパトロールする警備隊の兵士も参加する。これをきっかけに騎士団に取り立てられる兵士もいるため、庶民も含めて盛り上がる行事だ。 「もちろんあなたも出場なさいますよね?」 「俺か?」  デサルグは何と答えるべきか、ためらった。 「出場はする。だが御前試合は古参が注目を浴びるようなものではないからな。城下の警備隊の実力者を引き抜いて、新兵や中堅の実力をあげるためのものだ」 「でもあなたと騎士団長の対戦はみんな楽しみにしているわ」 「みんな?」 「そう、みんな」妻はニッコリ笑った。 「きのう姉たちから今度も絶対観に行くって知らせがきたの」 「義姉さんたちがまた見物に……」  デサルグの背筋がすこしだけ寒くなる。妻の姉たちは妻同様にたおやかな女性ばかりだが、御前試合の論評は手厳しいことこのうえない。  妻は飲み物を注ぎながら明るい声でいった。 「大丈夫、いちばん上の姉は騎士団長の大ファンだけど、今度はあなたを応援するって。前回が敗北だったから」 「きっとクレーレと俺が対戦すると、正義の騎士団長と悪の親玉が戦っているように見えるんだろう」  そう、騎士団長のクレーレは王都の庶民に絶大な人気を誇っている。青年と呼べる年齢はとっくに過ぎ去ったが、祭りの屋台では王女と並んで絵姿がよく売れるのだ。 「まさか。私にはあなたこそ正義の味方にみえるわ」妻はデサルグには本気なのか冗談なのか、わからないことをいった。「クレーレ様にあなたが打ち倒されても恨んだりはしませんけどね。親友同士の戦いって、みているこちらも熱くなるの。それにクレーレ様のあの魔術師も試合を観にくるじゃない? あのふたりが視線を交わしているのも、とっても美しいの。どきどきするのよ」  ううむ――そういうものだろうか。  妻の発言、あるいは感性にはいまだに驚かされることが多い。デサルグは無言で飲み物を啜り、朝食にとりかかる。  親友同士の戦いと妻はいった。たしかに、王の信頼も厚い現在の騎士団長、クレーレ・レムニスケートとのつきあいは長い。ふたりとも十代のころ、クレーレが今のようながっちりした騎士の体形になる前からの知りあいだ。しかしデサルグは当時から誰よりも体格がよかったし、顔つきもいまと大差ないような気がしている。一方クレーレは育ちの良さがよくわかる美男子だった。  そういえば、出会ったばかりのころ、クレーレは自分の顔を評して「正義の味方に向いている」といったことがあった。 「どういう意味です」  デサルグはぶっきらぼうに問い返したものだ。ふたりが話していたのは騎士団の訓練場だった。それまで数回顔をあわせただけだったが、相手が貴族の子弟なのはわかっていた。 「犯罪をおかせば逃げ隠れするのが大変だとか、そういう話ですか?」  しかしクレーレはあっけらかんと言葉を返した。 「まさか、文字通りの意味だ。正義の味方は泣く子も黙るくらい迫力があるものだろう?」 「泣く子も黙る……ねえ」  自分の容貌をそんな風に表されるとは思っていなかったので、デサルグはかなり途惑っていた。 「どちらかというと、子供は俺の顔をみて泣きそうになるんですが」 「心配するな。騎士団の制服を着れば泣くのはコソ泥だけになるさ。俺もそのくらい迫力ある顔に生まれたかった」  デサルグは思わず相手の顔を見返したが、同時に稽古の開始が告げられたので、そのまま並んで木剣を振りはじめた。相手の名前を知ったのはそのあとのことである。  そのクレーレ・レムニスケートも騎士団長となった今は内勤が多く、剣を振るう機会はめったになかった。妻が御前試合を楽しみするのも無理はない。精悍な面立ちは青年のころと変わらないが、今はそれなりに貫禄のある顔になっている。  しかしその日王城に行ったデサルグが出くわしたのは、クレーレではなくその伴侶である回路魔術師、アーベルだった。 「お! デサルグ、いいところで会った」  回路魔術師たちは年がら年中暗色のローブを着ている。王都の防備でたがいに協力するようになってからというもの、騎士団と彼らの関係は年々強くなっている。かつては回路魔術師を敬遠していた騎士たちも今はそれほど恐れたり、見下したりしないようになっていた。しかしそのきっかけになったのが目の前の魔術師だというのは、現王やその他一部の人間にしか知られていないことである。 「なんですか? いいところって?」  デサルグの口調は用心ぶかくなる。回路魔術師たちのなかでも、アーベルはデサルグが最初に親しくなった人物だ。いまでは友人と呼んでもいい存在なのだが、唐突に何を頼んでくるのかわからない、予測のつかない相手でもある。 「出力テストをやりたかったんだ。あとで師団の塔へ寄れないか?」 「またテストですか」  デサルグは仏頂面をしてみせるが、これはただのポーズだった。本気で嫌だと思っているわけではないし、アーベルが本気で受け取っていないのも知っている。ただこういった「実験」のたぐいに喜んでついていくと意外に大変な場合もあるので、諸手をあげて承知しました、といった素振りはしないことにしているのだ。 「まあ、かまいませんがね――」 「そうか?」アーベルの顔がぱっと明るくなる。「実はクレーレにも頼みたいんだが、あいつの予定がよくわからなくてさ。できれば同時にやりたい。個人用装備だし、体格からいってふたりがちょうどいいんだ。デサルグが暇なときにクレーレを引っぱって」 「アーベルさん、そりゃ順序が逆でしょうが」デサルグは思わず話の途中で口をいれた。「団長の予定を確認してから俺にきいてくださいよ」 「でもここで会ったからさ」  アーベルはあっけらかんといった。魔術師の顔立ちも声もクレーレとは似ても似つかない。しかしこんなふうに話すときの雰囲気はずいぶん似通っているような気がする。つきあいの長い夫婦は考えや雰囲気が似るというが、どうやらこのふたりもそうらしい。 「わかりましたよ。御前試合に備えて手合わせをする予定でしたから、その前後にでも」 「だったら稽古の前がいい。ありがとう、デサルグみたいな正義の味方にテストしてもらえると万全だからな」  アーベルは笑顔を返し、暗色のローブをひらめかせてさっさと歩み去った。いつのまにか二人の会話は通行人や王城警備隊の注目を集めていたようだ。デサルグがあたりを睥睨するとみなさっと背を向け、何事もなかったような素振りになる。  まあ、仕方あるまい。自分もそうだが、あの魔術師も目立つのだ。王城では彼がクレーレの伴侶と知っている者も多いし、容貌もそこそこひと目を集めるくらい整っている。  アーベル本人は自覚していないようだが、クレーレ・レムニスケートは彼の顔にぞっこんだ――と、デサルグは知っている。回路魔術師団の塔には有名な美人がふたりいて、アーベルはそのどちらでもないが、デサルグの親友は彼と出会った最初のころから――ひょっとしたら初めて会った時から――あの顔が好きで好きでたまらないのだ。  かつてアーベルが巻き込まれたある事件のとき、画家が彼の肖像を描いた。クレーレは事件解決後、本人に黙ってその絵をこっそり手に入れている。ちなみにそのことをデサルグに教えたのは、回路魔術師でいちばん美人だと巷で評判のエミネイターである。  他人の恋路は時に楽しい娯楽になる。  もう十年以上前、彼らが出会ったころのこと。週末になるとクレーレの馬が騎士団の厩から消えるというので、当時のふたりの所属先ではちょっとした評判になっていた。クレーレは騎士団でも警備隊でも堅物だと思われていたから、いったい誰のところへ通っているのかとみなが興味津々だったのだ。  上官まで興味をもったので、デサルグは密命を受けて城下のパトロールのついでにクレーレの馬をさがしたものだった。ひと気のない町屋敷の敷地でクレーレと若い男が話しているのを目撃したときは、たしかそれほど驚きもしなかったと思う。とはいえクレーレがその男を真剣にみつめているのはわかったし、そのあと男が魔術師のローブ姿で騎士団に現れ、協力を要請した時も、彼をみるクレーレの熱っぽいまなざしにデサルグの方がどぎまぎしたものだった。  あれからずいぶん年月が経ったが、いまや騎士団長となった親友が伴侶とうまくいっているのは嬉しいことだ。  それにしても、正義の味方とアーベルが口にしたときはどきりとした。どうして自分のような輩にそんな形容をつけるのやら。まったく、よくわからない。  いかつい顔の男は考えをめぐらせながら王城を歩いていく。朝の訓練をはじめた騎士たちの太い声が響く。城壁に棲む鴉が黒い翼を広げていっせいに飛び立った。

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