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【番外編】空にあらわれる傷 3

 南へ進むにつれて緑が多くなった。いたるところに灌漑用の水路が流れている。俺たちは何度も川を渡った。農地をうるおす支流があわさってまた大きな川に変化する。やがて南部でもっとも大きな町が川のほとりにあらわれた。隊商の目的地だ。ここからは大河を行く船で海まで出られる。  俺たちはエヴァリストとこの町で合流するはずだった。まともな厩を構えている宿を探しはじめたとたん、大きな帽子をかぶった男に呼び止められた。 「そちらさん……あああ? アーベル?」  俺は馬の背で体をかがめ、帽子のつばに隠れた顔をのぞきこもうとした。ところがそのとき帽子に巻きついた紐がにゅっと頭をもたげた。蛇だ。とたんに男の正体がわかったが、馬が驚いて跳ね上がりそうになったので、俺はあわてて手綱を引いた。 「エディじゃないか」 「そうさ、蛇使いのエディ様さ。ひさしぶりだな。そっちの人は?」  といったものの、エディはクレーレに訊ねたわけではなかった。首を大きく傾けて自分から答えをいう。 「連れの貴族さんか。なるほど、エヴァリストの知らせはつまり、あんたらのことか」 「エヴァリストから連絡があったのか?」 「ああ、伝言があってな」  クレーレが迷子になったような顔をしていたので、俺はいそいで説明した。エディは俺とエヴァリストの昔からの知り合いで、精霊魔術師――正確には精霊動物の使い手だ。自分の魔力で精霊動物を飼っていて、便利屋のような仕事をしている。精霊動物の使い手は動物に魔力を喰わせるせいか、いわゆる普通の精霊魔術を得手としない場合が多い。  もっとも例外はいる。エヴァリストのことだ。俺と組んでいたころも、あいつは時々どこからか精霊動物を呼び出していた。ところが俺は動物が懐かない性質で、影くらいしかみたことがない。 「伝言って?」 「まだしばらく来れないとさ」  エディが鏡を使った精霊魔術で受け取ったという伝言を教えてくれたので俺は手間賃を払った。エヴァリストは北での仕事が長引き、半月ほど待ってくれという話だった。  このあたりの大立者との顔つなぎはエヴァリスト頼みだったから、そういわれれば待つしかない。 「到着がいつになるのかわからんというが、宿は押さえろというからとっておいた。前金を立て替えておいたぜ」 「どこの宿だ?」 「エヴァリストにいわれたからな、いちばんいいところだ。知ってるだろ、あいつはうるさいんだ。あんたらもおなじとこ」  俺は顔をしかめたが、クレーレは「厩は?」と穏やかにたずねただけだ。 「ああ、この町ではいちばんまともな世話に世話してもらえる」 「それなら問題ない」  気前よく渡された金貨にエディは目を細めた。俺は誰にともなく釘をさした。 「あとでエヴァリストから取り立てるからな」  実はこの町は俺にとって大陸でいちばんなじみのある場所だ。十八歳で王都を出て船に乗り、この土地へ渡った俺が最初に入った回路魔術の工房はこの町にある。  俺の回路魔術はもともと死んだおやじ譲りの我流魔術だった。俺は一度伯父の紹介で王立学院に入ったが、三日目には教室に我慢できなくなった。伯父は早々に屋敷に戻った俺をみても苦笑しただけで、何ひとつ非難しなかった。  俺はそれから伯父の屋敷で、時々彼のアドバイスを受けながら回路魔術の実験にあけくれた。俺に大陸へ行くよう勧めたのも、自分の父親、つまり祖父のゼルテンに縁のある工房を教えてくれたのも伯父だ。  そういえば俺はむかし、暗色のローブを着た魔術師が伯父に「師団の塔へ来てくれ」と頼む姿を目撃している。一度や二度ではなかった。だが伯父は庶民に仕える回路魔術師を自称していたから、一度も首を縦に振らなかった。それでも塔は伯父が欲しかったにちがいない。だから俺が王都に戻って仕事を探したとき、師団の塔は無条件で俺を雇い入れたのだ。  町は人でごった返していた。エディが押さえた、エヴァリスト好みの「いちばんいい宿」の大浴場には蒸し風呂までついている。俺たちはのんびり隊商の旅の埃を洗い流した。夕食は宿の階下の食堂でとった。  食事はうまかった。ビールに腸詰、柔らかいパン、野菜と豆の煮こみ――だが俺は最初、どうも落ち着かなかった。誰かに見られているような感覚が気になっていたからだ。物珍しいものに向ける視線でもなく、もっと執拗な気配だった。  しかしクレーレは平然としていたし、俺も腹がくちくなるとだんだん気にならなくなった。平原を移動しているあいだは人の視線が気になることなどまったくなかった。久しぶりに大きな町へ来たから過敏になっているのかもしれない。 「ずっとこの町で待つか?」クレーレがいった。 「エヴァリストを? 半月だぜ? まったく、あいつは……」俺は腸詰をナイフで切り刻んだ。 「半月ここにいるかどうかはともかく、明日は訪ねたい場所がある。回路魔術師の工房があるんだ」  クレーレはうなずいた。「俺も行っても?」 「もちろん。ここのすぐ近くだ」    宿の裏口が面した細い通りをまっすぐ進み、角を曲がって横丁を通り抜ける。その先の通りはすこし幅が広く、建物には似たような格子戸がずらりと並んで、あちこちに荷車が止まっている。  格子戸を引いたとたん、奥から「帰れ!」という叫び声があがった。俺は天井までそびえる壁のような棚――全面が小さな扉と引き出しで覆われている――に向かって怒鳴った。 「ヤンじいさん。俺だ」 「俺など知らん!」 「アーベルだよ」 「アーベル?」  俺の頭よりすこし上の位置で小さな扉のひとつがひらいた。俺は顎をあげ、手を振る。棚の向こうから声が響いた。 「おまえが本当にアーベルなら――*******」 「△■☆※彡+▽」  最後にまくしたてられた隠語に俺は短く答える。まったく、相変わらずだ。十八歳の俺が伯父の紹介で最初にたずねた時も、しばらく中に入れてもらえなかった。 「よく聞こえない。もう一度」 「耳が遠くなったのか? △■☆※彡+▽だよ」 「おまえは国に帰ったんじゃないのか。まだケツの落ち着き先を探しとるのか?」 「ちがう、用事があってこっちに来たんだ。俺は公式使節なんだ――一応」 「使節?」  俺の目の前の小扉がひらき、向こう側からヤンの顔がのぞいた。皺だらけの顔はほとんど外に出ない生活のために真っ白で、頭は卵のようにつるつると禿げている。 「アーベル。その男は誰だ」 「ああ、紹介する。クレーレ・レムニスケート、俺の連れだ」 「レムニスケート?」ヤンはくりかえした。「おまえの国の、例の荒野の九人か?」  荒野の九人? 俺は面食らったが、クレーレは落ちついた声で答えた。 「たしかに、国の礎を築いた九人の末裔です。ヤン殿? お初にお目にかかります」  ヤンの目が細くなる。棚の向こうから俺とクレーレを交互にみている。 「アーベル、おまえは今そいつにケツを?」 「俺のケツなんかどうでもいいだろうが」思わず声が大きくなる。「ひさしぶりに訪ねてきた弟子に、何いってんだ!」 「ふん。いま開ける」  ヤンは鼻を鳴らし、ぴしゃりと扉を閉めた。どこかでカチリと歯車が合う音が響き、工房のからくりが動きはじめる。壁さながらに俺とクレーレの前を塞いでいた棚の小引き出しがひとつ、何もしないのに前に飛び出した。その裏側で木の板が回転し、別の引き出しが手前に飛び出す。連鎖するからくりの裏で回路魔術が蠢くのを俺はうっすらと感じとる。エヴァリストなら〈力のみち〉が歌をうたう、というかもしれない。それにしても、馬鹿馬鹿しいくらい大袈裟な仕掛けだ。ようやく俺とクレーレの前に扉がひらいた。  クレーレはあっけにとられたような表情だった。 「これは見事だ」 「ヤンは人嫌いなんだ」 「アーベル、用心深いといえ。何が起きるかわからんからな」  白い顔が俺たちを見下ろす。子供のように小さな体に年老いた男の顔が乗っている。立っているのは天井近くに吊り下げられた狭い通路だ。回路魔術のからくりで動いた棚の裏側から工房のいたるところに繋がっている、ヤンだけが通れる道だ。 「アーベルの師匠でいらっしゃる」  クレーレが礼儀正しく礼をしたが、じいさんはふんと鼻を鳴らして「師匠? 師匠だと?」と唸った。 「アーベル、おまえは私のことを師匠と紹介したのか? よりによって?」 「紹介はしていない」俺も鼻を鳴らした。「クレーレは察しがいいんだ」  ここへ来るとき、俺はクレーレに「昔世話になった人を訪ねる」といっただけである。 「エヴァリストの到着が遅れるらしい。しばらくこのあたりにいるから顔を出しておこうと――顔を出さずにヤンの耳に入ったら、面倒くさそうだったからさ」 「当たり前だ! それにエヴァリスト?」ヤンの白い顔がますます白くなった。 「いったいあいつはどこで何をやってる。おまえと同じくらい顔をみておらん」 「知らん。俺たちは今回あいつに顔つなぎを頼んだんだ。儲かってるみたいだぜ」 「例の特許は和解したのか」 「和解?」俺は顔をしかめた。 「金を払わせたし、そのあとも色々あったがまあ……和解はした」 「おまえの親族は?」 「亡くなったよ。王都に帰ってすぐ」  ヤンの顔のしわが動いた。「それは残念だったな」 「いや。ありがとう」 「公式使節といったな。回路魔術師が?」信じがたいという口調だった。 「故郷で何をしている」 「師団の塔で働いている」 「師団の塔?」また、とても信じられないという調子だ。 「創始者が墓の中でひっくり返りそうだな。つまりこっちにはもう戻らないのか」 「ああ。うん」 「師団の塔か」  ヤンはおもむろに通路を歩きはじめ、俺とクレーレは首をめぐらせて彼を追った。小さな階段を降りて床に立つと、ヤンの背丈はクレーレの半分ほどしかなかった。クレーレは神妙な顔で彼をみつめている。ヤンは偉そうに腕を組み――どこかエミネイターを連想させる仕草だった――クレーレと俺を交互に眺めた。 「創始者の国の魔術は……上品で繊細だ。我流の回路に呆れられなかったか?」 「ああ、まあ――でも、あっちも大陸式の導入をはじめたから、まあ、役には立ってるさ」 「しばらくこのあたりにいるといったな。暇なら小遣い稼ぎができるぞ」  俺は思わず笑った。ヤンの言葉とは思えない――いや、これは一年みっちりこの工房で仕込まれた人間にしかわからない冗談だ。このじいさんの秘密主義は徹底している。部外者を工房で働かせたりはしないし、下働きもほとんど使わない。俺とエヴァリストは数少ない例外だった。 「冗談はやめてくれ。元気そうでよかったよ。エヴァリストに伝言は? 顔を出せといっておこうか?」  ヤンは顔をしかめ、首を振った。 「まさか。私に用があればいつでも来るだろうさ! あいつはおまえとちがって厚顔無恥だからな」

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