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【番外編】年の始めの訪問者(前編)

 新年を迎えて三日目、城下の広場は年のはじめの市の真っ最中だった。  晴れた空は陶磁器の青色で、太陽がまぶしく輝いている。ずらりと並ぶ屋台は赤と白の提灯で飾られ、中央では楽師が弦楽器をかき鳴らして、人々が群がっている。  俺は鴉みたいな色をしたいつものローブを着ていることをほんの一瞬後悔した。年のはじめの市は冬祭りのような大騒ぎにはならないが、一年のはじめの晴れがましい日で、回路魔術師の辛気臭いローブはいささかそぐわない――といっても、誰も気にしちゃいないだろうが。 「アーベルさん! 新年おめでとうございます」 「おっ。おめでとう」  制服で市場を巡回する警備隊員にいきなり声をかけられ、俺はとっさに挨拶をかえした。といっても相手の顔には見覚えがない。警備隊と騎士団の総元締めであるクレーレのおかげで俺の顔は警備隊員みんなに知られている。いいんだか悪いんだかわからないと思いつつ、うしろにいる弟子をふりむいたときだった。俺はふと違和感をおぼえた。 「コリン、食いたいものはあるか? いい匂いがするな……」  コリンは黙って俺をみただけだ。だが俺はすぐ違和感の正体に気づいた。目線の高さだ。 「おまえ、また背が伸びたな?」  コリンはそれがどうした、という目つきをしただけで、何もいわない。俺は手をあげてコリンの頭の位置をはかった。やっぱり、俺より背が高くなってるじゃないか。 「まったく、学院に通い始めた時は俺とおなじくらいだったよな? いったい何を食わされているんだ?」  コリンは肩をすくめた。こいつが喋らないのには慣れているので、俺は一方的に喋った。 「俺は学院を七日経たずに逃げ出したんだが、飯はけっこう美味かったのを覚えてる。食堂の釜で炊かれていたスープはよかった」 「今は釜はありません。保温器があるので」 「ああ、保温器。俺が考案した装置だな。学院にも入ってるのか」 「七日で逃げたんですか?」  コリンはいきなり話を変え、俺は顔をしかめた。 「そうだ。俺は王立学院があわなくて――当時は回路魔術の講義もなかったし。おまえはどうなんだ? ルカも楽しくやってるか?」  コリンがうなずく。そのとたん俺は気づいた。 「そうだ、ルカは休みのあいだ両親の家に帰っているんだろう。今日も誘えばよかったな。今からでも」 「いいです」突然コリンがきっぱりといった。「ルカは忙しいから」  きっとこのとき、コリンの様子が変なのに気づくべきだった。でも俺は(時々テイラーにいわれるように)肝心なときに鈍感ときているから、全然わからなかった。 「そうなのか? あいつの家って商売やってたっけ。ま、学院もすぐはじまるし、寄宿舎でも同室なんだろう」  コリンはうなずいたが、一瞬妙な間があいて、さすがの俺もちょっとひっかかった。 「どうしたんだ? ルカと喧嘩でもしたのか? あんなに仲がよかったのに」  コリンの眉がちょっと寄った。 「いいえ、してません」 「それとも、学院がやっぱりあわないってことならいつでも師団の塔に戻っていいからな。俺は行かなくてもどうにかなってる」 「……でも、大陸で修業したんでしょう」 「王国を離れたのは十八歳のときだ。今のおまえくらいの頃は伯父の納屋で勝手にやってた。要は自分にあうやりかたでいいってことさ。学院じゃ机の上で勉強がいろいろできるだろうが、師団の塔では実地の回路が組めるからな」 「わかってます。大丈夫です」  コリンはぼそっとこたえて背筋を伸ばした。俺は顔をしかめた。まったく、いつのまにこんなに背が伸びたんだろう。彼を弟子にしたのは四年前で、当時はほんの子供だった。それが今は十五歳で、王立学院に通っているありさまだ。 「コリン、食いたいものをいえよ」  俺は甘い匂いを漂わせている屋台を指さした。この齢で俺より背が高いなら、この先はいったいどうなるか。クレーレと並んで見下ろされる、なんてことにならないといいが。  十八で大陸に行き、十年後に戻ってきて、それから十二年――いや、十三年か。あの頃は四十を過ぎた自分がどうなっているかなんて考えもしなかったし、自分がコリンのような弟子をとるとも思っていなかった。  この国に戻ってきたあと、師団の塔で一緒に喧々諤々やっていた連中――テイラーやルベーグにも、最近はたまにしか会えない。今では俺も彼らも師団の塔の幹部で、それぞれ部下がいて忙しいのだ。ルベーグは回路魔術師の養成管理職長になり、テイラーは王立学院で学生に回路魔術を教えている。  例外的に十一歳から塔の徒弟になっていたコリンとルカが十五歳になったとき、王立学院に行かせるべきだと主張したのはルベーグだった。この国では魔術師のほとんどは学院を卒業している。精霊魔術師は卒業しないと施療院で働くのを認められないし、王宮にも取り立てられない。師団の塔は学院を出たかどうかに関係なく回路魔術師を採用しているが、現在の王家は魔力が一定基準を超えた人間には学院の入学試験を受けさせる方針だから、学院で学んだあとに塔へ入る者がほとんどだ。  学院では精霊魔術と回路魔術をあわせた体系的な知識を教える。コリンとルカは魔力のある同世代の連中や精霊魔術師と、それこそ喧々諤々やれるだろう――というのはまことにもっともな話だったから、俺は反対できなかった。それに、秋学期から学院の寄宿舎に入ったふたりは俺みたいに逃げ出したりしなかったし、この先もきっとしないだろう。  それでも「塔に戻っていい」などといってしまったのは――ほかでもない、俺が寂しくて物足りないからだ。まったく、こいつを拾ったときはこんな日がくるとは思わなかった。  知らないうちに大人びた顔つきになっているコリンに俺は新年の焼き菓子を選ばせた。今年はどこかのパン屋が考えた、鎖をつないだ形のものが大人気らしい。いい匂いのする紙袋をコリンにおしつけ、ふりむいた時だった。人混みのあいだに派手な金髪がちらついた。  立ち止まった俺にコリンが怪訝な顔をする。 「コリン、ちょっと――」  待て、といおうとしたときだ。派手な服を着た長身が人垣をわけるように俺の方へ一歩出た。豪華な刺繍の縫いとりがある胴着に、王子が着るような毛皮のふちどりのあるマントがひらめく。濃い金髪の下で宝石のような眸が光った。 「アーベル、いいところにいるじゃないか」 「エヴァリスト? おまえいつ王都に?」 「ついたばかりさ。僕の勘のよさもなかなかじゃないか? ここへ来れば会えるような気がしたんだ」  コリンが目をみはっている。俺の大陸時代の相棒で、精霊魔術も回路魔術も両刀で使うエヴァリストと会うのは五年、いや六年ぶりか。他の人間が身につけるとけばけばしくなりそうな服装も、エヴァリストが着るとみょうにしっくりくるのは昔の通りだ。が、彼のことを知らなければ驚くのは無理もない。 「精霊魔術を使うやつがよくいうぜ」  俺は呆れながらいったが、市に来た連中は珍しそうにみているし、内心こんなところで呼びとめやがって、と思っていた。エヴァリストはただの物見遊山で大陸からわざわざやってきたりはしないし、人目があるなかで俺と対面したのだって、理由があるにきまってる。  そういえば前にエヴァリストが王都へ来たときは違法賭場に持ち込まれた装置がからんでひと騒動あった――ということを思い出し、俺は顔をしかめた。 「いったいどうして王都に?」  エヴァリストは爽やかな笑顔をうかべてしらっと答えた。 「話せば長いんだ。あ、ジラールのことは知ってるね? それと彼はグレイ」  黒髪の大男には見覚えがあった。以前王都へ来たときは赤毛だった気がするが、クレーレに似た戦士の体つきをしている。だがもうひとり、大男の影に体の半分を隠すようにしているもじゃもじゃ頭の小柄な男は初対面だった。エヴァリストとその相棒とちがって、しごく普通の人間にみえた。 「どうも、はじめまして。回路魔術師のアーベルです。彼は弟子のコリン」  俺は普通に挨拶したつもりだったが、もじゃもじゃ頭は口ごもった。 「はっ、はっ、はいっ、わ、私は……」 「僕らは彼の護衛なんだ。こうみえてもやんごとなき身なんだよ」  エヴァリストがなめらかな声であとを引き取ったが、俺は内心大丈夫だろうかと思った。まさかエヴァリストに弱みでも握られているとか? 「そうじゃないよアーベル」  俺の心を読んだようにエヴァリストがいった。 「なんだって? おまえ――」  エヴァリストは微笑んだ。もういい齢のくせに、今も顔だけは魅力的だから困ったものだ。 「いやいや、きみの心なんか視てないよ。顔をみればわかる。長いつきあいじゃないか。ところで、きみの騎士団長は息災かな?」

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