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【番外編】年の始めの訪問者(後編)
「さすが王国の防備のかなめ、クレーレ殿の屋敷だ。質実剛健であることが美しい、そんな館だね」
屋敷の玄関ホールをぐるりとみまわして、エヴァリストは執事のルシアンにさらりといいはなった。たったそれだけのことで、突然の来客に慇懃無礼を隠そうともしなかったルシアンの雰囲気が柔らかくなる。ルシアンは四角四面で型破りを嫌うが公平な人間で、しかし自分の仕事を褒められることにはめっぽう弱い。エヴァリストの言葉はそんな彼の自尊心をみごとにくすぐっていた。
やれやれ、この男、相変わらずだ。俺は少々あきれながらクレーレのところへ来客を引き連れていく。コリンにもいてほしかったが、メイドに市で買った焼き菓子を渡したあと姿がみえなくなった。この屋敷はコリンの家でもあるのだから仕方ないが、俺は市にいたときの様子がまだ気になっていた。十五歳、難しい年頃だ。俺がそうだったみたいに。
「エヴァリスト、それにジラール。久しぶりだな」
居間でくつろいでいたクレーレはエヴァリストをみてかすかに眉をあげたが、そのあとについてきた大男、ジラールには軽くうなずいただけだった。ジラールもクレーレと冷静に目をあわせている。平和協定を結んだ熊と狼のようだ。エヴァリストは澄ました声でいった。
「クレーレ殿こそ、ご立派でなにより」
「そちらは?」
「わ、私、私は……」
「グレイは学者で、精霊動物の専門家だ」
「精霊動物だって?」
俺は思わず口をはさんだ。「それなら精霊魔術師――」
「ちがう、ちがいます! 私はただの学者だ」
グレイが叫んだ。ジラールの首もとにおしこまれていた襟巻がするりと動いた。むくむくした茶色い毛のかたまりから黒い眸と鼻づらが飛び出る。
俺はどきっとして一歩下がった。襟巻じゃない。精霊動物だ。
「座って話してくれ」
クレーレはあいた椅子をさし、俺にも目顔で合図した。俺はクレーレが座る長椅子の端に腰かけ、訪問者の一行はもうひとつの長椅子に陣取った。エヴァリストとジラールに挟まれたグレイはあたりを落ちつかない目つきで見まわしている。いろいろな意味で場慣れしていない様子だ。
ジラールの首から狐に似た精霊動物がすべりおりてエヴァリストの膝へ飛び移った。頭を撫でられ、気持ちよさそうに目を閉じている。
「グレイは大陸で精霊動物を研究している。僕とジラールとはもう二年ほどのつきあいになるかな?」
エヴァリストの声にもじゃもじゃ頭がうなずく。クレーレや俺にびびっているのか、人見知りなのか口下手なのかわからないが、話をするのはエヴァリストにまかせることにしたらしい。
「精霊動物は大陸固有の存在で〈動く水〉を嫌うから、生まれた場所を離れることはめったにない。おまけに自然の中では魔力のない人間からたくみに姿を隠している。で、グレイは彼らの生息地図を作っている」
「魔術師でもないのに?」
「魔力溜まりを探して痕跡を調べるんです」
また口をはさんだ俺に、今度はグレイ本人が割り込んだ。
「魔力溜まりは測定器でわかる。精霊動物が棲む地点は飛び抜けた値を出すから、地図を分割してしらみつぶしに候補地を探して、現地ではエヴァリストさんに協力してもらうことも」
エヴァリストが「協力」だって?
俺は口をぽかんとあけているのに気づき、あわててとじた。なるほど。グレイの魔力はあきらかに一般人のものだが、魔術装置で補助するのなら納得がいく。そもそも回路魔術はグレイのような人間が使うために考え出されたものなのだ。
「グレイはとても優秀なのさ」
エヴァリストがさらりといったので俺は感心したが、つづく言葉をきいて顔をしかめた。
「優秀な人間はトラブルに巻き込まれやすい。僕みたいに」
「最後が余計だ。で?」
「アーベルは精霊動物を愛玩する変態には会ったことがないな。こいつらを狩って高値で取引する連中がいる」
エヴァリストは膝に乗ったままの毛のかたまりを撫でた。
「グレイの知識は宝だと連中に気づかれて、この二年ほど騒動が多かった。だからほとぼりが冷めるまで海を渡ろうと思ったんだが、隣国の都市もここも、今の季節は僕好みの宿がどこもいっぱいときてる。市でアーベルに会えてよかったよ」
「おいおい……」俺は呆れてうなった。
「勘弁してくれよ。結局宿を無心に来たのか?」
「アーベル」
肩にクレーレの指が触れた。
「事情はわかった。しばらく滞在するといい」
クレーレの声は俺よりずっと落ちついていた。エヴァリストが破顔する。
「ありがとう。遠慮なく世話になろう」
グレイが落ちつかない様子で左右をみた。
「あ、あの、その、私の箱を引き取ってきてもいいだろうか?」
「箱?」同時に聞き返した俺とクレーレにエヴァリストが答えた。
「厩番に預けた荷物があるんだ。ジラールが担いで歩くと目立ちすぎるんでね」
どうやら急な滞在客の荷物はけっこうな量のようだった。ルシアンに彼らの世話を押し付けて、俺は廊下をきょろきょろみまわす。また肩を叩かれる。背中に重みを感じるのはクレーレが俺によりかかるように立っているせいだ。屋敷の中でふたりきりになると、この男はすぐ俺にくっつこうとする。外では澄ました顔をしているくせに。
「どうしたんだ?」
そんな風に耳元でささやかれるとくすぐったくて困る。
「コリンがそのへんで聞いてるんじゃないかと思ったんだ」
「コリンがどうかしたのか?」
弟子の姿はどこにもみえなかった。俺は肘でクレーレを押し返して居間に戻った。
「たいしたことじゃないんだ。ルカと喧嘩でもしたんじゃないかと――」
口に出したとたんみょうに恥ずかしい気分になった。
「いや、そんなの俺が気にすることじゃないんだが、ただその、あいつ学院に入ったからあまり顔もみれないし……」
「アーベル」
クレーレは俺の手を引き、長椅子に座らせようとする。大人しく腰をおろすと抱き寄せられ、頭を撫でられた。なぜかため息がでた。
「……今さらだが、コリンをみていると伯父さんの気持ちがわかるような気がするよ」
「ん?」
「あの人は俺に好き勝手やらせてくれたが、今思うといいたいことも色々あっただろうな」
クレーレは黙ったまま俺の髪を指で梳き、俺はがっしりした胸板に頭をあずけた――が、戸口から響いたエヴァリストの声にあわてて頭をあげた。
「くつろいでいるところ悪いんだけど」
「今度は何だ?」
俺はさっとクレーレから離れた。エヴァリストはたちの悪い笑みをうかべている。
「いいから、そのままで。グレイのことで提案があってね」
「聞こう」意外なことにクレーレが即答した。
「さっき話さなかったのは本人がいたからか?」
「ご名答、さすが騎士団長殿」
そういってさっきと同じ椅子に座ったエヴァリストは、さっきよりも真面目な顔つきだった。
「グレイは自分について話されていると冷静でいられないから、まとまるものもまとまらなくなるんでね。変わり者だが、彼の精霊動物の知識は本物だ」
変わり者というのならおまえもおまえの相棒も――と俺はいいたくなったが、自制した。エヴァリストは真顔のまま先を続けた。
「僕としてはグレイの成果を大陸の密猟者どもに利用されたくない。でもこっちには精霊動物はいないし、あいつはねっからの学者で、研究ができない状態が続くと僕が迷惑する。で、考えたんだが――この国には魔術研究の誉れ高い王立学院があるだろう。しばらくのあいだ、彼の居場所にならないか? たとえば特別教授として迎えるとか……アーベル?」
俺はゆっくりまばたきした。
「……エヴァリスト、大丈夫か?」
「何が?」
「おまえにしては話が真っ当すぎる」
「ひどいね。僕はたいてい真っ当な人間だよ」
エヴァリストの金髪が揺れた。真面目な表情が崩れて口もとに得体のしれない笑みがうかぶ。そのとたん俺は昔を思い出した。この国に戻る前、大陸でこいつとつるんでいた日々のこと――だがクレーレの声が聞こえると一瞬の物思いはたちまち消え失せた。
「悪くない考えだ。おそらく陛下も興味を持つだろう」
クレーレは騎士団長という役職を越えて、アルティン王陛下と親しく話ができる人間でもある。
「明日、王宮へ伺ったときに話してみよう。アーベルは学院の教授陣につなげばいい」
「あ、ああ……そうだな。テイラーに伝える」
学院に出向中の幹部がいるとこんなときに役に立つ。クレーレに出会った頃とくらべると、今は王城での回路魔術師の扱いもずいぶん変わった。王立魔術団には精霊動物を従えている魔術師もひとりいる――俺がこの国に戻ったとき騎士見習いだったシャノンは、今は立派な精霊魔術師だ。彼もグレイに興味をもつだろう。
「じゃ、ふたりとも根回しをよろしく頼むよ」
エヴァリストは俺とクレーレの顔を交互にみて、あっさりいった。
「グレイが学院に滞在できれば理想だ。僕とジラールはすこし羽根をのばせる。この国の防備はあいかわらず見事なものだよ」
もう話はすんだとばかりに金髪の男が立ち上がったので、俺はあわててたずねた。
「なあ、エヴァリスト。グレイは荒事とは無縁にみえたが、どんな厄介事に巻きこまれていたんだ?」
「どんな厄介事? うーん……」
エヴァリストは両手をあげ、芝居がかった仕草をした。
「はるばる海を越え、しばらくのあいだは三度の飯より好きな研究をあきらめてもいい――そう思うくらいの厄介事かな。とはいえ荒事は僕とジラールの専門だからな。グレイは関わっていない」
クレーレは翌日さっそくアルティン王のもとへ行ったが、俺はその場にはいなかった。エヴァリストとグレイを連れて王立学院に行き、テイラーと会っていたからだ。
グレイが屋敷に運びこんだ木箱はいくつもあって、彼の研究記録がどっさり入っていた。三日もたたずに彼の使う客間は俺の研究室なみの乱雑さになって、ルシアンがカリカリしはじめたが、エヴァリストは平然としていた。
好奇心の強いテイラーはひと目でグレイを気に入ったから、そのあとの展開は早かった。新年の休みが明けるとすぐ、根回しの得意な彼は驚異的なスピードで王立学院の教授陣を説得してまわり、学院の一角に滞在用の臨時研究室をもぎとり、精霊動物の特別講義を計画したのである。
というわけで、午後もなかばを過ぎたいま、俺は学院の大きな窓の向こう側に、黒板を指さしながら喋っているグレイをみている。ここでは声は聞こえないが、ずらりと並んだ学生や教師がグレイの話を熱心に聞いているのはわかる。
「アーベル、中に入らないのか?」
忍びよるみたいに背後から話しかけられ、飛び上がりそうになった。
「驚かすなって、エヴァリスト。俺は苦手なんだ」
「何が? 教室が? ヤンのからくり工房には一日で馴染んでいたくせに」
エヴァリストの口から懐かしい工房の名前が出たのは意外だった。こいつは大陸で俺が修業した工房の兄弟子だったのだ。
「向き不向きってものがあるんだよ」
「たしかにね。しかしなぜまた苦手な教室に?」
「徒弟を迎えに来たんだ。このあと師団の塔で年始の招集がかかってる」
話しているあいだに鐘が鳴った。窓の向こう側にいた者たちはてんでに立ち上がった。そのまま出口へ向かう学生や壇上のグレイに話しかける学生のあいだに、連れ立って歩くコリンとルカがみえた。ふたりは建物の出口からつづく長い回廊をこっちへ歩いてくる。
なんだ、仲良さそうじゃないか。俺はほっとして手をあげたが、ふたりとも気づいていないようだった。徒弟のちがいは並んで立つとよくわかった。コリンはルカよりずっと背が伸びて、大人の男の体つきになりつつある。ルカの顔立ちは丸みをおびて優しく、体はまだ少年の細さを残している。
「あれがアーベルの愛弟子かい? いい男になりそうだ」
エヴァリストがいった。俺は横目でにらんだ。
「コリンは俺が教えたが、ルカはルベーグの直弟子だ。変な考えを起こすなよ」
「まさか。だいたい僕は一途な恋路の邪魔なんかしないって」
「何いってんだ」
「見ればわかるだろう」
何の話だ? 俺はもう一度ふたりをみた。屈託ない様子でコリンに話しかけているのはルカの方だ。しかしコリンの視線は歩きながらもずっとルカをとらえ、離れようとしない。
一途な恋路――まさか、と思った瞬間に市のときのコリンの様子がよみがえり、合点がいった。
なるほど。そういうことか。
グレイが両手いっぱいに紙の束を抱えて回廊のはしにあらわれた。俺はコリンとルカに手を振ったが、ふたりはあいかわらずこっちをみていない。
「きみの弟子はきみよりも騎士団長に似ているな。恋の相手と学院でいつも一緒っていうのも、天国だか地獄だかわからないね」
エヴァリストがのんきな口調でつぶやいている。
「もしも恋に破れたら、受けとめてやるのも師匠の仕事だよ、アーベル」
「知るか」
余計なことしかいわない男に俺は顔をしかめると、手を振って弟子たちを呼んだ。
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