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旅立ち
タイミングというのはなかなか難しいものだ。
あの亜希子さんの怒涛の告白から、既に1ヶ月が経っている。
俺はBitterにすら顔を出せていない。
専門学校の講師が非常勤から常任講師になって、平日の昼間がほぼ空き時間がなくなっている。
唯一の学校の授業がない水曜日。
この日は代わりにラジオの録音が入ってきたり、その他の声優の仕事が入ったりしていた。
そろそろ俺も個人事務所でも立ち上げた方がいいとも思い出していた。
お金も安定してきていたし、仕事も安定している。
やるなら一念発起してするしかない・・・なんてことも考えていた。
亜希子さんからメールが入った。
”霧島君、私の出発日が決まりました。今度の日曜に成田から発ちます。あとは大河のことよろしくね”
それだけのメールだ。
本当にあっという間に決めていく人なのだ。
”亜希子さん、俺は確かに大河さんのことが好きです。諦めないでおきます”
そう返事を打った。
すぐに返信が来る。
”妻公認なんだから、自由にやっちゃって!!”
なんとも亜希子さんらしい。
ここまでバッサリやられると笑いが込み上げてきた。
本当、敵わないな・・・
そう思う女性だ。
亜希子さんが成田から発った次の日、久しぶりに時間を作って、Bitterへ行った。
大河とは二ヶ月ほど会っていない。
前回会ったのは、あの祝い酒を家で飲んで、お互いを貪った日以来だ。
「いらっしゃいませ」
マスターモードの大河が心地よいトーンで言う。
だいぶとマスターとしての顔が板についてきている。
「久しぶりですね霧島さん」
なんだかくすぐったい。
「マスター、メーカーズマークのロックをください」
「かしこまりました」
丁寧に返事が返ってくる。
「今日はジントニックではないのですね」
そうマスターが聞いてきた。
「ええ、実はバーボンが好きなんですよ」
「知りませんでした。これからは覚えておきます」
すっかりマスターとして働いている。
ロックグラスに琥珀色の液体が注がれる。
「よかったらマスターも一杯どうぞ」
そう言って勧める。
「ではお言葉に甘えて、同じものをいただきます」
そう言って自分の分を作る。
二人で乾杯をする。
この日は月曜。店内は空いている。
が、他の客がいる間、大河は決してマスターの仮面を剥がさない。
「昨日亜希子さん発たれたんですね。
実は連絡が来ていました」
「ああ、そうなのですね。亜希子らしい。
そう言うところが亜希子ですから」
「そうですね」
そう言葉を交わして一緒に飲んだ。
二杯ほど飲んで、会計を済ませる。
コースターにメモを書く。
”Use Key Tonight ,At My room”
(今夜鍵を使ってウチに来て)
カードのサインをするときに大河に渡す。
大河はそれを見て、軽く驚いたが、すぐに小声でわかったと言い、俺を送り出した。
朝4時過ぎ。
俺の家の玄関が開いた。
鍵を使って大河が入ってきたのだ。
俺はすでに寝ていた。
そのまま、大河は服を脱ぎ、俺の寝室へ入ってくる。
ベッドの片方を開けて、招き入れる。
大河は素直にそこに寝転んだ。
「お前、亜希子に何か言われたのか?」
大河が聞いてくる。
「大河を頼むって言われたよ。
すっかりバレてたみたいだな俺らのこと」
「そうか・・・やはりな。あいつらしいか・・・」
「そうだな。亜希子さんらしい」
「昨日、俺は見送りに行ってやれなかったんだ。
店の営業があるからな。で今朝帰って見たら、リビングに手紙が置いてあったよ」
そう言ってポケットからその手紙を取り出す。
中にはこう書いてある。
”私はもうあなたの元を飛び立ちます。
一度死んだと思ったら無性に時間が惜しくなったの。だから世界を見てきます。
そして、あなたはもう自由になって。
愛してくれる人と一緒になっていいのよ。
私はもうあなたの子供を産んであげられないし、治君と一緒になって家族になって。
それが私からの最後のお願いです。
離婚届をここにいれておきます。
あなたの心の整理がついたら提出して。
そしてその先はもう言わなくてもわかってるよね?
大河君。
あなたの幸せを願っています 亜希子”
「これを読んだ時、俺はどうしていいか分からなくなってしまったんだよ。
なあ治、俺は何をしてる・・・?」
そう言いながら大河は泣いていた。
その姿を見たらもう、抱きしめることしかできなかった。
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