2 / 5
第2話
セスの両親は体裁を気にする人で、幼い頃から教育熱心だった。セスはそれに応えられず、早々に諦めた両親は教会の奉仕活動に毎日通わせた。子供の頃の親というのはそれこそ神様のような存在で、とにかくセスもそれに応えられない自分は生きる資格がないのだと思っていた。
今から十年ほど前のことだ。ジュニアスクールの子供たちが参加するキャンプの手伝いにボランティアで参加した。
子供たちが湖に落ちたり、森で遭難しないように気を配りながら、一緒にテントを組み立てる。はしゃぎまわる子供たちを追いかけ、集め、へとへとになった。
キャンプの初日の夜にそれはやってきた。
灯りが次々に消え、悲鳴がいくつも上がった。
監視委員とボランティアスタッフの何人かは我先に逃げ出し、殺された。セスも恐ろしかった。それ以上に、生き残った時両親に責められることを思うと、子供たちを守り切ることしか考えられなかった。
その時のセスには、得体のしれない化け物よりも、親に怒られる、呆れられるほうがずっと恐ろしかった。
キャンプ場の近くにあった教会が避難場所に指定されていたので、生き残ったスタッフたちとともに子供たちを避難させた。
一番後ろにいたセスは足一本分しか間に合わず、掴まった。
セスは餌として襲われて殺されるはずだった。しかし、セスの身の上に同情してくれたセスを襲ったのとは別の吸血鬼が、セスに血を与え吸血鬼に変えた。命乞いをしたセスが哀れだったそうだ。
吸血鬼は架空の怪物、実在しない空想の存在だった。自分がそうなるまでは。
日光が目に刺さり肌を焼く。慣れるまでは物音にも過敏になっていた。一番ひどいのは乾きだ。水を飲んでも延々と喉が渇く。
他人の血も自分の血も、触れたいとも口に入れたいとも思わなかったのに、今はそれが唯一の食糧だと身体は知っていて、匂いを嗅げば欲しくて堪らなくなる。
甘いとも苦いとも例えられない。喉を通るたびに満たされる。
吸血鬼なのだからそうしなければ生きていけないと分かっていても、落ち着いて理性が戻ると受け入れがたい気持ちが強くなり、薬の匂いのする輸血用の血液パックがギリギリ飲めるような状態になっていた。
セスを吸血鬼に変えたのは、四大貴族と呼ばれる吸血鬼の始祖に近い家系の者だった。
セスの意思を尊重し、無理に血を飲ませたり人を襲わせた里はしなかった。以前も自分が人から変えた吸血鬼のニコラスなら、親身になってくれるだろうと言って彼を世話係にした。
ニコラスは懐かない小動物のように甲斐甲斐しくセスの世話をした。
気づけば十年たち、セスは自分のことを調べてみた。自分は残った足と出血量から死亡扱いになっていた。当時のニュース動画が残っていたので見ると、両親がセスのことを誇りに思うと言ってくれた。子供たちに死者が出ず、生き残ったスタッフたちからも最後まで子供たちを逃がしてくれたという証言が残っていたことで、両親にとって出来損ないだったセスは誇り高い息子になった。
セスは、両親の言葉を聞いても、誇らしげな顔を見ても、何も思わなかった。
外に出ると、ハンターや国の特殊機関という自分たちの天敵がいて、むやみやたらに人を襲うと殺されるということを知った。
そのため、吸血鬼にはハーレムがあり、血を提供する人間を確保する。ハーレムには必ず主人が存在し、統率を図る。
ニコラスのハーレムはそのハーレムの中で一番下だったが、元々の主人の権力もあり他のハーレムよりも安定していた。
セスの主人は人間社会にうまく溶け込み、献血センターから廃棄される輸血用血液を確保するルートを持っていた。おかげでセスは人を襲わず生活を送れるため、主食が血に代わり、日光に浴びられないところを除けば、人間と変わらない生活を送れる。
ただ、血の匂いを嗅ぐとどうしても理性を保てそうにない。自然と人の多い場所を避けるようになった。
吸血鬼どころか新米のハンターにも簡単に狩殺されるだろう。
そんなぬくぬくとした生活をするセスのような存在は、吸血鬼の間では蔑みの対象になっているらしい。私刑にあってもおかしくない。
人の血を飲むことを拒みながら生きていけるのは、セスの主人とニコラスのおかげだ。
吸血鬼になってもできそこないの自分を、大切にしてくれる。せめて迷惑をかけないように生きたかった。
頭をなでる感触で目を覚ますと、ソファーの上にいた。夜が明けると思い跳ね起きたが、まだ四時前だった。
「おはよう。」
ロルフがいたので驚いた。
「どの部屋にもベッドがなかったからこっちにした。」
遮光カーテンは閉め切っている。
「美味かった? 俺。」
にやりと笑われ、思い出して赤面する。
「……美味しかった……。」
ハンターから施しを受けたことをニコラスが知ったらさすがに呆れるかもしれない。遅かれ早かれ、彼はロルフに絡まれた吸血鬼から素性を知るだろう。気が重い。
「セスさん、マンガ好きなんだな。」
ソファーとテーブルが一組、後は冷蔵庫だけで調度品もなく、服もクローゼットにおさまる。しかし本棚にはぎっしりとコミックスが詰まっていた。テーブルの上にも発売されたばかりの雑誌がある。
「子供の頃読んでみたかったんだけど、親に許してもらえなくて。」
コミックスを買おうものならすぐに燃やされていた。その時は特にどうしても読みたいと思わなかったが、今は数少ない娯楽になってる。
「映画は観に行かないのか? こっちでも公開されただろ。」
「人が多いところはだめだ。」
何かのはずみで、血の匂いを嗅ぐとどうなるか分からない。
「じゃあ腹減ったらまた呼んで。番号書いておいたから。」
指さした場所はタトゥーの下だった。
「なんでここ? 」
「見やすいだろ。」
そう言って、ロルフはキスをした。
「部屋の鍵締めてから寝ろよ。」
あまりにも突然にされてしまったので呆然としている間にロルフは帰った。セスは我に返り鍵を閉めた。
夜明け前に棺桶に入ろうと寝室に行く。真っ暗で窓のない物置を寝室とはロルフも思わなかっただろう。
ロルフは吸血鬼になる前の自分と同じくらいだろうか。けれど彼ほど眩しくはなかっただろうし、魅力もなかった。彼と同級生でもきっと話すことはなかっただろう。携帯電話に電話番号を入力し、何をやっているんだと気づいて削除ボタンを押そうとしたが、押せなかった。
きっともうかかってこない。ハンターは忙しいのだ。
そう思い込んで、放置した。
考えれば考えるほど、色々大変なことをしてしまった気がする。自分は吸血鬼で、ロルフはハンターで人間だ。彼は吸血鬼の自分と話したところを仲間に見られていないだろうか。
考え込んでいると、携帯電話が鳴ったので驚いた。見るとニコラスから着信だった。電話に出るとニコラスの声がした。
「セスか? 」
「はい。」
「無事か? 」
セスの声にやや安堵したようにニコラスが言った。無事どころか調子が良い。
「問題ないです。今から寝ます。」
「迎えをやるからすぐ来い。」
もうすぐ夜明け前だ。どうしろと、と思っていると部屋がノックされた。開けると屈強な男が二人いた。
「車があります。お急ぎを。」
人間らしい。ニコラスの信者は皆礼儀正しくて、驚く。
部屋の鍵を閉めて、部屋の近くに停めてあった窓が全部遮光ガラスになっているリムジンに促された。
中にニコラスがいたので止ったが。後ろからひょいっと屈強なガードマンに座らされた。
「お前、顔色良いな。」
「あ、はい……。」
リムジンが発進する。赤毛の美女がニコラスにビールを、セスにミネラルウォーターを出してくれた。
「美味かったか? 」
言われて、セスは、ぎこちなくうなづいた。
それ以後会話はなかった。日が昇る前に郊外の山奥にある屋敷に着き、中に招かれた。
「ちょっとこい。」
窓のない廊下を通り、広いバスルームに連れていかれる。
「脱げ。全部。」
バスタブにお湯をはりながらニコラスが言った。
おとなしく服を脱ぐと、タトゥーの下に書かれた電話番号が出てきた。隠したが、見られている。ニコラスはタバコを咥えてため息をつくと、バスタブのそばにあったバラの入った瓶を取り出した。
「それメモしたか? 」
「……はい。」
「じゃ消すぞ。」
お湯に浸かったセスの上からバラを落すとバスルームの中はバラの匂いであふれた。
「美味そうな匂いが染みついてんだよ。気づかれる前に流すぞ。」
「あの、自分でできるんで……。」
「どれだけ美味そうな匂いしてるか分かってないだろ。」
ざばっと頭から桶でお湯をかけられた。シャツをの膝をまくり、子供を洗う母親のようにスポンジでこする。母親にもされた覚えがないことで、ニコラスはひざを抱えて固まった。
「すみません。迷惑ばかりかけて。」
セスの鼻についた花びらをつまんで、ニコラスは笑う。
「お前はご主人様から俺が預かったんだ。世話すんのは当然だろう。」
「そうだけども……。」
それ以上に手間をかけている気がする。
もうとっくに灰にされてもおかしくないのではないかと思う。
「ご主人様は慈悲深い方だ。人間が野良猫を憐れむように、お前を憐んだ。」
セスは、昔会ったきりの主人の手を思い出した。冷たい手が優しく、頬を撫でてくれた。
「なんでもかんでも自分の血を与えるわけじゃない。きっと、お前が可愛かったんだろう。」
言いかけてニコラスの手が止まった。
「ウォルターさん、今使用中なんで控えてもらえませんか? 」
不機嫌そうな声にびくっとした。
開いた音も気配もなかったが、扉の前に中年の男が立っていた。整った茶色い髪と髭、高級そうなスーツ、にこやかに微笑んで言った。
「いや、続けて。」
端正な顔と気品のある香水の匂いの紳士は、しげしげとこっちを見て言った。
「ニコラスは脱がないのか? 」
「俺今ご主人様の預かり物を洗ってるんでウォルターさんの相手してる暇ないんですよ。」
とても嫌そうに言うが、男は微笑んで返した。
「見ているだけで邪魔はしない。で、いつニコラスはその濡れて素肌に張り付いたシャツを脱ぐんだ? 」
「だから、ここ、そういう店じゃないんで。」
明らかに苛立ったニコラスが立ち上がりかけた瞬間、セスの顎を冷たい手が撫でた。
「ニコラスが気に入るだけあってずいぶん可愛らしい。」
やすりで撫でられたように鳥肌が立った。いつの間にかニコラスと逆の位置まで周りこみ、目を開いたまま硬直するセスを眺める。
「ウォルターさん。それ以上セスに触ったらあんたの棺桶の中に聖水ぶっかけますよ。」
ニコラスは静かに言った。
冗談ですまされる声音ではなくなったのに気づいたのか、男は手を離した。
「聖水の代わりに君が入ってくれるかい? 」
「ここそういう店じゃないんで。」
男を押し出し、ニコラスは扉を閉めた。
「怖かっただろ。大丈夫か? 」
「はい、大丈夫です……。」
まだ鳥肌が止まらない。
「あのおっさん本当一回日光浴させねぇとな。」
ため息をついてニコラスが吐き捨てるように言った。
ともだちにシェアしよう!