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第3章:First Summer
夏休みは
学校が空いているので
生徒会室で勉強をするという櫻井先輩に付き合い
俺も毎日のように学校に足を運んだ。
学ラン姿や、体育のジャージ姿の櫻井先輩しか
見たことなかった俺にとって
私服姿は新鮮そのもので
それを見るためだけに通っていたと言っても過言ではない。
モノトーンのコーデが多くて、
それが似合わない俺には余計かっこよく見え、
たまにしているシンプルな銀色のネックレスも
櫻井先輩がしていると
なんだかいいもののように思えた。
朝9時頃櫻井先輩は学校に来る。
少しでも長く一緒にいたくて、
俺は毎日その15分前にはついていた。
「今日も早いんだな。」
「早起きなんで。」
というのが、おはようの代わりの毎朝の挨拶だった。
あのキスの日から
俺たちは並んで勉強するようになり、
「何か分からないとこある?」
と櫻井先輩は、
時々息抜きのように俺に聞いて来るようにもなった。
東京大学理科三類を目指す櫻井先輩の邪魔をしたくなくて、
「大丈夫です」
と答えると、いつも優しく頭を撫でてくれ、
それは、癖になる程気持ちよかった。
朝から夕方までいるので
昼食も一緒に食べることになる。
先輩はいつも朝コンビニで買ったと思われる
菓子パンや惣菜パンを
たくさん持ってきていた。
来てすぐ朝食と言い1つ食べ、
12時頃にまた数個食べ、
夕方になると、
残ったパンを夕飯だといい食べているのを見て、
余計なお世話だと思いつつ
櫻井先輩の食生活を心配してしまった。
料理なんて作ったこともないのに
余裕がある日はお弁当を作ろうかと思い、
学校が開いていない週末を
自分用と先輩用のお弁当箱を買ったり、
レシピを調べおかずを作る練習をしたりしながら過ごして居た。
「え、わざわざ俺の分も持って来てくれたの?」
「先輩毎日コンビニパンなんで・・・。」
「お前だっていつもおにぎりだけじゃん。」
「まぁ、そうなんですけど・・・」
櫻井先輩は、
俺とお揃いの二段の弁当箱を開いた。
女子力ゼロの茶色い弁当を見て、
クスッと笑い俺に尋ねた。
「これまさか、お前が作った・・・とか?」
「・・・はい。」
そして、用意していた割り箸で
卵焼きから食べていき、
何も言わずに完食した。
「ごちそうさま。凄く美味しかった。
なんか午後のやる気出て来た。」
櫻井先輩は、弁当箱を閉じ、俺に手渡すと、
左の人差し指につけていたバンドエイドに気づいた。
「あ、手切ってる。」
「あ、ちょっと・・・包丁で切っちゃって」
すると、バンドエイドの上から指に軽くキスをした。
「俺のために頑張ってくれたんだ?」
上目遣いで俺に問いかける。
「は・・・は・・・はい。」
顔に熱が・・・。
「あー、反則だろ。可愛すぎじゃん。
ずっと我慢してたけど、もう我慢できない。」
櫻井先輩はペットボトルの水を一口飲むと、
そのまま俺にキスをした。
ほんのりとした冷たさが唇に残った。
「少し口開いて。」
言われるがままに口を緩めると、
勢いよく押し寄せる波のように、
口の中に入ってくる櫻井先輩の舌に溺れそうになった。
俺は必死に櫻井先輩の真似をしながら
しがみつくように櫻井先輩の舌に自分の舌を絡めた。
「受験であんまり相手してやれないけど、
俺と付き合おっか?」
櫻井先輩は、顔を離し、瞬きもせず一直線に俺を見つめた。
俺は嬉しさで震えながら、「はい」とだけ答え、
また引力に導かれるように唇を重ね合った。
****
櫻井先生は大阪での学会に参加しており、
数日間顔を合わせていない。
そんな状況に正直ホッとしている俺がいる一方
「なんか元気ないじゃん」
なんて薫ちゃんに突っ込まれるので
だいぶ困っていたりする。
「櫻井先生がいないから?」
「は?なんであの人が出てくるの。」
「えー。自分で気づいてないかもしれないけど、
柏木先生、他の先生についてるときよりも
櫻井先生といると、全てに真剣っていうか、なんだろう、
彼から色々学びたいって言う姿勢が見えるって言うか」
「そうかな。」
「分からないけど、大好きオーラは出てるよ。」
「あんな人別に好きじゃないし。」
薫ちゃんは何を言っているんだ。
いつものように他愛のないことを話していると
ナースコールがなり、
薫ちゃんは病室へ向かった。
一人午後に入っている計画出産の患者のカルテを見ていると
「あれー、櫻井先生いる?」
と小児科医の浮所先生が医局へやってきた。
浮所先生は、太陽みたいに眩しい「浮所スマイル」を
皆に振りまき、
その爽やかさから
子供にもその親にも人気のある先生だ。
年齢は33歳で、イケメンな上独身なこともあり、
薫ちゃん情報によると
シングルマザーから口説かれることも多々あるらしい。
「櫻井先生は今学会に行っています。
帰りは明日だったと。」
「そっか。」
「何かご用ですか?」
「いや、櫻井先生がこっちに帰って来てから、
あまり話す機会がなかったからさ。」
「そうですか。」
「どう、君は?慣れてきた?」
「ええ。まあ。」
「まあ、柏木レディスクリニックの御曹司だもんな。」
「なんで、それを。」
「みんな知ってるでしょ。ちなみに俺も産院の息子。」
「そうなんですか?」
「まーね。君のところみたいに大きなクリニックじゃないけどね。
君はいずれ継ぐんでしょ?」
「まぁ・・・。
浮所先生はなんで産婦人科医にならなかったんですか?」
「うちは兄が産婦人科医として継いでるから
俺は自由にさせてもらってるよ。
ってことで、世間話はほどほどにして
明日また寄らせてもらうよ。」
浮所先生は、そう言い医局を後にした。
その日の夕方
久々に家へ帰る支度をしていると、
スーツ姿にスーツケースを持った櫻井先生が仮眠室に現れた。
顔を合わせるのは3日ぶりだった。
「これから帰るの?」
「あ、はい。」
「ちょっと、飲まない?」
「え、でも先生、帰ってきたばかりでは?」
「あー。学会でもらった書類、置いて行きたかっただけ。
俺もこれから帰るとこ。」
「そういえば、今日浮所先生が櫻井先生と話したいって
医局を訪ねてこられました。」
「あー・・・分かった。
じゃ、小児科に顔出すか・・・。」
「では、僕は。」
気まずさを避けるように部屋を出ようとする俺の腕を
ドアの前で櫻井先生は掴んだ。
「駅前のバー・レッドで待ってて。」
「え?」
戸惑った目を逸らすと、
「・・・待ってて。」
と顔を近づけ、曖昧な返事を確実なものへと変えるように
俺の瞳の奥を見つめた。
「・・・分かりました。」
俺の返事を聞くと、満足そうな笑みを浮かべ
大きな手のひらで俺の髪の毛を撫でた後、
小走りで廊下をかけて行った。
駅前にあるバー・レッドは
黒を基調としたモダンな外観の店だ。
看板も小さく
なかなか一見では入れなそうな大人な雰囲気を醸し出していた。
中が見えない扉を開くのに少し勇気がいる。
重厚な扉を恐る恐る押すと、
ほんの10人ほどしか座れないバーカウンターの前に
20代前半だろうか、
赤髪のバーテンダーの男が一人立っており
唯一いた中年のカップル客と談笑していた。
「いらっしゃいませ。」
こちらに気づくと、
「お好きなところへどうぞ。」
と扉から動けずにいる俺を
招き入れた。
ドアから一番近いバーチェアに座ると、
「何に致しましょうか?」
とバーテンダーが寄ってきた。
「じゃ、ビールで。」
「国産のドラフトビールや
ベルギービールなどがありますが、
どう致しますか?」
「あ、ではアサヒの生で。」
「かしこまりました。」
バーテンダーは
ビールサーバーのタップハンドルを引き
慣れた手つきで
少し細めのオシャレなジョッキに
ビールを注いで行った。
「お一人ですか?」
「あ、もう一人来る予定で。」
アルファベットでBar Redと店のロゴが描かれた黒いコースターを
さっと俺の右側に敷き
その上にジョッキを置いた。
「お仕事帰りですか?」
「あぁ、まぁ。」
「お疲れ様です。」
バーテンダーは
愛想の良い笑顔で労うと、
グリーンオリーブのピクルスが入った
小さなガラスボウルを差し出した。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
「お仕事は何されているんですか?」
「医療関係で。」
「あ、お医者さんですか?」
と病院の方角をチラりと見た。
はい、と返事をしようとしていたところに
ギィーっという扉を開く音と共に、
馴染みの声が聞こえた。
扉の方へ振り向くと
櫻井先生、そしてその後ろには浮所先生がいた。
「いらっしゃいませ。
お久しぶりですね。」
バーテンダーが驚いたように二人に挨拶をした。
「久しぶり、透くん。
櫻井先生が、レッドに行くっていうから
着いてきちゃった。
あ、柏木先生も、お邪魔して悪いねー」
「いえ。」
少し気まずそうにする俺の肩を
櫻井先生は ポンポンっと優しく叩いて、
「ごめんな」
と申し訳なさそうに言った。
「いや、いいです。僕帰りますので
お二人で楽しんでください。」
「いやー、そんなこと言わずに、
柏木先生とも話したいって思ってたし。」
と、浮所先生は
櫻井先生の手を振り切り、
俺の両肩を掴み、立とうとしていた俺を
座るように促した。
櫻井先生と浮所先生は席に着くと
聞いたことのない名前のベルギービールを
それぞれ頼んでいた。
出されたフランス語なのかオランダ語なのか
区別がつかないラベルがついた瓶から
慣れたように自分たちでそれぞれグラスに注いだ。
櫻井先生を挟んで、浮所先生は俺に
「二人は高校の時の先輩後輩なんだって?」
と興味津々に聞いてきた。
「あ、はい、まぁ。」
「櫻井先生って高校の時どんな感じだったの?」
「いいですって。」
と言い櫻井先生は話を逸らすために
浮所先生のグラスをわざと飲んだ。
「おい。それ俺の。櫻井先生、味ついてんの嫌いじゃん。」
「ぅ。やっぱこのチェリー味のまずいわ。よく飲めますねぇ。」
わちゃわちゃ騒いでいる二人を見て、
二人が仲が良かったことを知った。
「なんか櫻井先生の面白いネタとか無いのー?」
ネタ・・・
俺と付き合ってたこと以上のネタなんてあるのだろうか。
「あー。生徒会長でしたね。」
「っぽいなぁー。」
「っぽいですねぇ。」
とバーテンダーも会計を終えた中年カップルの席から離れ
俺たちの会話に加わった。
浮所先生は持っていたグラスを櫻井先生の顔の前で乾杯をするように掲げ、
「櫻井先生、世界征服狙ってそうだもんなぁ。」
と言った。
「世界征服狙ってる奴が、産婦人科医っておかしいでしょ。」
櫻井先生が呆れた様子で浮所先生につっこんだ。
お酒が進み、おふざけが増す浮所先生に
変わらずツッコミを入れる櫻井先生の会話が続いていた。
退屈そうにビールをちょびちょび飲む俺に
バーテンダーが気を遣って話しかけてきた。
「柏木先生・・・でしたよね、お名前。」
「あ、はい。」
「僕は、透です。
柏木先生も、櫻井先生と同じ産婦人科医なんですか?」
「あ、はい。まだ研修医ですが。」
「櫻井先生のお話を聞いていると
なんか大変そうですね。」
「そうですね。でもやりがいはありますよ。
出産はいつ立ち会っても感動がありますし。
まぁ、辛い時もありますけど。」
「そうなんですね。」
「バーテンダーやられて長いんですか?」
「5、6年くらいですかね。
まだペーペーの時から
櫻井先生と浮所先生にはお世話になってますよ。」
「そうなんですか。」
「櫻井先生がアメリカに行ってしまってからも
浮所先生には
ちょくちょく来ていただいていて。
柏木先生も、またもし良かったら
いつでも来てくださいね。」
「あ、はい。」
キリリとした目に細い眉で一見近寄り難かったが
話すととても社交的で
話し方も丁寧で印象がガラリと変わった。
櫻井先生が
どんどん出来上がっていた浮所先生の相手をしている間に、
俺と透くんとの話は弾んだ。
徐々に楽しくなってきた俺が
追加のドリンクを頼もうとしていたのを
「そろそろ、お開きにしますか。」
と、
櫻井先生は止め、財布を取り出しだ。
「ゴチになりまーす。」
浮所先生が櫻井先生にヘラヘラしながらお辞儀をした。
「はぁー。次は、先生、奢ってくださいね。」
「はーい。」
「お前もいいよ。」
続いて財布を出そうとしている俺に優しく言った。
バーを出ると、帰宅ラッシュは過ぎていたので
駅前にいる人は少なかった。
「もう一件いくかー!!!」と一人盛り上がる浮所先生を
櫻井先生は、なだめ、
タクシーを拾い、
彼だけを乗せ、彼の家の住所をドライバーに伝えた。
タクシーを見送ると、
「俺んち来る?」
と俺に尋ねた。
「・・・いや。」
「あんまり話せなかったしさ。」
「・・・。」
「来るよな、尚?」
ずるい。
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